2024/06/12 信濃毎日新聞朝刊 
 「自分を殺して役を務めた」祖父 あるべき己へ言葉の格闘

 胡桃沢伸さん(57)=下伊那郡豊丘村出身、東京在住=は、37歳を過ぎて祖父・胡桃沢盛(もり)(1905~46年)の死の背景を知った。だがそれからすぐに、祖父について語れるようになったわけではない。語る言葉を獲得するには、多くの時間と努力を要した。

 在日コリアンの詩人金時鐘(キムシジョン)さん(95)との出会いが、伸さんの言葉を変えた。日本統治下の朝鮮・釜山に生まれ、済州島(チェジュド)で育った金さん。終戦による解放後、皇民化教育によって強いられ身に付けた日本語をいったん身から引き?がすように捉え直し、突き詰めた。伸さんは、金さんが詩を教えていた大阪文学学校に通い、詩を書き始めた。

 金さんの指導は厳しかった。「日本語は慣れや親しみを確認するために使われているが、それでは詩は書けない。言葉は批評だ。新しい認識を発見し伝えるためにある」
 春と言えば桜―。そんな日本人が持つ通念に「寄りかかって言葉を使うな」との指摘だった。尊敬語や謙譲語もそうだ。上下関係が既に織り込まれている。国家や共同体は、こうした言葉を使いこなすことを求め、言葉を介して従順な精神を育んでいく―。

 「そういう言葉を使っていたら、祖父から自分を切り離せない」。内からの叫びに突き動かされ、伸さんの脚本家としての歩みは、身に付けてきた日本語を徹底的に問い直すことから始まった。


 昨年11月、大阪市内の劇場で、シェークスピアの四大悲劇の一つ「ハムレット」を伸さんが改作した芝居「ハムレット 例外と禁忌」が初めて上演された。

 父を毒殺して王位に就き、母を奪った叔父に対するデンマーク王ハムレットの復讐(ふくしゅう)劇。伸さんは、権力闘争に明け暮れ、戦を続ける男性社会の滑稽さと醜さを描いた。

 劇中、ハムレットは苦悶(くもん)する。「知らない誰かに俺は演じられている。この俺は、ハムレットはどこに。いるのか、いないのか。それが問題だ」。ハムレットの有名なせりふ「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」を、伸さんはそう置き換えた。

 終演後、伸さんは舞台上で語った。「ハムレットは父の持ち物であり、家の持ち物だった。それを振りほどいて自分になっていく。そういう問題意識で書いた」。登場人物たちは、自分の在りかに悩み、自分の言葉を欲する。王の位置にある人や、父の言うままに生きる娘、負けた男から勝った男へと「所有」が移っていく妃の苦しみを描いた。

 祖父の盛も、日記をたどると、「百姓」や「村長」、「家長」として自分のあるべき理想の姿を抱いていた。だが、次第に国家主義の流れに埋もれていった。

 1942(昭和17)年3月1日のページ。「経済的に世の中が一変せんとする今、何処(どこ)へ此の身が落ちついて行くのかさえ判(は)っきりわからない。先(ま)ず確(しっか)りした肚(はら)を作る事と判断を過(あやま)らぬ事と、自己を一層空(むなし)うして村の為め御国の為めに合致する様 自己内面に於ける意欲を抑えつけて行く」「前へ??国策の線に沿って明るく力強く進む気持で」。前年の12月、日本は泥沼化する中国戦線を抱えながら、米英などとの太平洋戦争にも突き進んでいた。

 伸さんは言う。「自己を一層むなしくして国策の線に沿っていく。自分を殺して役を務めることが良いことと思っていたら、国の思うつぼだ」
 伸さんが書く脚本は、盛と満蒙(まんもう)開拓への批判的な考察が通底する。芝居を通じて、盛と真正面から対峙(たいじ)してきた。