2024/06/07 信濃毎日新聞朝刊 
 伯父が満州へ―劇作家・平田オリザさん 対話と共感、あきらめない

[平田オリザさん(61)]
 私の母親の兄も満蒙開拓青少年義勇軍の一員として、数え年で16歳、満14歳で満州(現中国東北部)に渡りました。戦後、引き揚げてきました。日本の傀儡(かいらい)国家「満州国」の建国や満州移民の背景には、「欧州の植民地になるなら日本の一部になる方がましだろう」という侵略主義者の独り善がりな思想があったと考えます。異なる価値観や文化的背景を受け止める寛容さを失っていました。

 いつの時代も対話が必要です。私が言う対話とは「ディベート」と呼ばれる対論ではなく「ダイアローグ」です。AとBの意見のどちらが正しいかを戦わせるのではなく、別のCという結論を探ることです。それぞれに程度はあるでしょうが、AとBの互いが変わることを前提としたやりとりです。異なる価値観をすり合わせて、自分が変わることも良しとすることです。

 近年の自民党政権は、国会で対話を避ける傾向が目立ちます。与党という大きな立場から野党を見下し、意見をまともに受け止めない。そうした政治を許容している社会は、再び独り善がりになっていないか、われわれは省みなければいけません。


 「エンパシー」も必要です。日本語では「共感」と訳され、思いを相手と重ねるという意味を含みますが、本来はたとえ意見が全く一致しなくても寄り添うという意味です。分かり合えなくても異なることを認め、互いに席は立たない、排除しないことです。

 金子光晴が戦後発表した「寂しさの歌」という詩があります。工業化により一等国となったはずなのに、一部の財閥や富裕層に富が集中する一方で、農村が崩壊してしまった。ある種の寂しさや疎外感が、日本を戦争へと走らせたと解釈しています。

 現代において、この「寂しさ」は格差や取り残された感覚に置き換えられます。「エレファントカーブ」を知っていますか。グローバル化の進展で、誰が豊かになったかを示す指標です。先進国の富裕層や新興国の中間層が所得を伸ばした一方で、日本を含む先進国の中間層の収入は伸びていないことが分かります。

 この没落した中間層が寂しさを抱えているように思います。マイノリティーへの支援や多様性の確保が進む世界で、疎外感を持っているように思えます。疎外感はいずれ、そういう「正しさ」に迫害されて「われわれは奪われたのだ」という反発に転じます。米国では、こうした人がトランプ氏を支持しています。

 マイノリティーへの共感を持ちながら、疎外感にも共感していくことが必要です。一方的に「正しさ」を唱えて、「あなたたちは正しくない」と切り捨てず、同意はできないが理解に努める―という態度が対話なのです。

 演劇を通じ、対話と共感を多くの人と共有していくことが私の役割ですが、なかなか難しくなっています。残念ながら日本人は教育などで対話の訓練を受けていません。行動することで報われた経験が少ない現代の若者には、もっと難しいのかも知れません。

 だが、あきらめないことです。家族内や仕事場で対話し、隣人に共感し、選挙に行くといった社会に関わることを小さくても続けましょう。寂しさにより寛容さを失い、再び侵略の道に進むかどうかは、われわれ一人一人の行動に託されています。

[ひらた・おりざ]
 劇作家。1962年、東京生まれ。83年、国際基督教大在学中に劇団「青年団」を立ち上げる。94年の「東京ノート」で岸田国士戯曲賞。現在は兵庫県立芸術文化観光専門職大の学長を務める。主な著書に「演劇のことば」、映画化された小説「幕が上がる」など。