2024/06/03 信濃毎日新聞朝刊
 中国人養父母や街づくり、記録を残す 「偽満」の影、デリケートさも

 中国で2015年に出版された「中国養父母の歴史記録」。779ページ、B5判ほどの分厚い本に、中国残留孤児の養父母1218人の名前や職業、引き取り時の孤児の年齢などのデータが詰まっている。養父母と、県出身者を含む孤児の計42人から聞き取った思いなども掲載。黒竜江省社会科学院の職員時代に中心となってまとめた車霽虹(しゃせいこう)さん(61)は「養父母を支援するためにも記録に残そうとした」と振り返る。

 編集は、ハルビン市日本遺孤養父母連誼会名誉会長の胡暁慧(こぎょうけい)さん(81)、秘書長の石金楷(せききんかい)さん(66)らと連名だ。収めた内容は、1970年代ごろから研究者らが積み重ねてきた調査を下地にした。

 日本人の元開拓地を調べた同院歴史研究所長の梁玉多(りょうぎょくた)さん(59)は、ある養父への聞き取りが印象深い。実子は日本兵に銃殺されたと聞いた。それでも孤児を育てた理由を尋ねた。「日本人かどうかは関係ない。生命だ」と返ってきた。結婚生活がうまくいっていない残留婦人にも出会った。戦争によって起きた出来事や、そうした一つ一つの声を記録する大切さを感じた。

 車さんが本格的に調べ始めたのは2000年からだ。養父母や孤児の詳細は中国でもあまり知られていない。孤児が日本に帰国し、残されて困窮する養父母もおり、広く知らせようと記録化を急いだ。ただ15年に出版にこぎ着けた際、調査した養父母の約8割は既に亡くなっていた。

 車さんは、養父母は「一般の中国人」であるだけに、誰にも記憶されないまま「歴史の海の中になくなるかもしれない」と危機感を抱く。同院の文学研究所副所長を務め、退職後も連誼会の活動に協力。同会が関わる侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館の養父母の展示を充実させるため、研究結果を生かしたいと思う。

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 「満州国」時代を思い起こさせる取り組みには、デリケートさもある。

 大連理工大准教授で映画研究や社会文化などが専門の林楽青(りんらくせい)さん(51)は、満州国の国策映画会社「満州映画協会(満映)」を研究。その流れで、中国東北部の主要都市に残る満州国や日本統治時代の建物についても調べている。だがその内容は中国ではほとんど発表していない。好ましく思わない人もいるからだ。

 満映が製作した作品は、日本の事実上の支配下にあった満州の豊かさを強調するプロパガンダ的な側面があるとされ、研究する人は少ない。林さんは日本に留学した15年から、映画の中に日中の文化がどう描かれているかを研究。屋外ロケのシーンは街がそのまま映っており、比較して現在の姿をたどっている。

 その頃の日本の関与を象徴する建物には、経緯を前面に出して愛国教育の拠点とされているものがある一方、南満州鉄道の病院や図書館のように、そのまま使っている施設もある。林さんは、それらは「街づくりの重要な要素として生かされている」とし、7月に日本の学会で発表する。

 大連には、刺し身を食べたり、和室を好んだりと、約40年間の日本統治の影響が今も色濃く残る。そうした文化への理解を深めようと、林さんは18~19年、大連長野県人会の知人と協力し、市民向け講座を学内で開催。中国人の研究者や学生、日本人ら約30人が集まり、手応えを得た。

 中国では「満州国」とは言わず「必ず『偽』を付けて『偽満(ウェイマン)』と呼びます」と林さん。「戦争はしてはいけないのは大前提だ」と強調する。その上で、その影響も受けながら文化がどう変わってきたかに注目することは「地域の今を理解する上で必要だ」と考えている。

[満州映画協会]
 1937(昭和12)年に「満州国」の首都・新京(現長春)に設立。日本人中心の製作スタッフで中国語の映画を手がけ、娯楽映画の中に日本と満州国の親善の宣伝を取り入れた。俳優は中国人だったが、中国生まれの山口淑子さん(1920~2014年)が、日本人であることを伏せて「李香蘭」の名で活動した。満州国政府と南満州鉄道(満鉄)が出資した。作品の多くは45年8月に満州に侵攻した旧ソ連軍が持ち去り、モスクワに収蔵。東洋一と称された撮影所は中国共産党に引き継がれた。