2024/06/01 信濃毎日新聞朝刊 
 時代の逆風、開かぬ部屋 「七三一」資料館、孤児育てた養父母の展示中断 未来への道どこに―現地で探る

 入り口には長蛇の列が続いていた。中国の大型連休の初日に当たる労働節の5月1日。黒竜江省ハルビン市にある「侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館」は、親子連れや若者たちで大混雑していた。職員は「休日は親子で各地の愛国教育機関に行って勉強するのです」と説明した。

 陳列館は、戦時中に満州(現中国東北部)を拠点に細菌兵器開発を進めた日本の関東軍防疫給水部(731部隊)の資料を展示。薬瓶や防毒マスクなどが並び、子どもたちが真剣な表情で見つめていた。来館者は増えているようだ。日本の政治家の靖国神社参拝、米中対立や台湾情勢、東京電力福島第1原発処理水の海洋放出…。日中間の緊張が高まるたび、対日感情が悪化することが影響しているのか。

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 その中に、ひっそりと静まり返る一角があった。立ち入り禁止の看板が立つ。その奥にあるのは、1945(昭和20)年の日本の敗戦後、満州に取り残された日本人移民の孤児たちを育てた中国人養父母の展示室だ。養育の経緯や孤児への愛情などを、聞き取り調査に基づいて中国語と日本語で紹介。日本の事実上の満州支配を巡る出来事の一つとして、養父母の人道的な側面に理解を深めてもらおうと2012年にできた。

 看板は立ち入りを禁じる理由には触れていない。ただ、黒竜江省で満蒙(まんもう)開拓を巡っては11年、方正県にある開拓団員らの共同の墓「日本人公墓」の近くで、反日活動家によって慰霊碑にペンキがかけられ、碑を撤去する事態が起きた。沖縄県・尖閣諸島の領有権問題で日中の対立が強まっていた時期だった。

 陳列館の展示で感情を高ぶらせた見学者は、日本人を助けた養父母に理解を示すばかりだろうか、何かあれば展示は撤去されかねない―。日本で関係者からは心配する声も上がる。「日本沈没」「鬼子」…。実際に施設の屋外の窓ガラスには、うっすらと付いたほこりに日本をののしる落書きも指で書かれていた。

 展示は、ハルビンを拠点に残留孤児やその養父母を支援してきた「ハルビン市日本遺孤養父母連誼(ぎ)会」の働きかけで実現した。名誉会長の胡暁慧(こぎょうけい)さん(81)=ハルビン市=は4月、下伊那郡阿智村の満蒙開拓平和記念館を訪問。新型コロナウイルスの影響でおよそ5年ぶりとなった交流の席上、帰国した元残留孤児やその家族らに「養父母の展示はスペースを2倍にしたい」との構想を明かしていた。

 だが、陳列館で具体的な準備が進んでいるのかは分からなかった。

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 陳列館から10キロ余り離れた高層マンションの敷地内。2本の煙突がそびえ立ち、陶器を焼いた窯が残る。731部隊による陶器製の細菌爆弾の製造工場跡だ。看板には「誰もが731旧址の保護宣伝員」「保護にはあなたの参与と努力が必要だ」との中国語の呼びかけが書いてある。

 「記念館にする計画でせっかく修繕されたのに、そのまま浮いてしまっているの」。近くにいた高齢の女性たちに、記者と同行していた現地ガイドが話しかけると、女性たちは工場事務室だった5階建ての建物を指さして言った。

 状況を詳しく知りたくて、記者も話しかけようとした。だがガイドに止められた。「他の国の人だったら喜んで応じるかもしれない。だが日本人と分かれば…。良いイメージは絶対に持っていない」。そのままその場を後にした。

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 中国東北部に、残留日本人孤児や中国人養父母らへの聞き取りを通じて、満蒙開拓を巡る記憶の継承に取り組む研究者や支援者たちがいる。過去を乗り越えた先に日中両国民の相互理解がある―。そんな未来も描く。ただ、国レベルで日中関係が冷え込む中、中国社会でそれらに目を向ける機会は従来以上に限られている。第6部は、記者が交流のため訪れた中国側の現場から、日中がどう手を携えていくかヒントを探る。(井口賢太)
【27面に写真グラフ 街に「満州国」の記憶】
[侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館]
 旧日本陸軍の731部隊の本部などがあったハルビン郊外にある。1982年から中国政府の管理下に置かれ、戦後70年の2015年8月に新館ができた。捕虜を細菌に感染させて観察する人体実験や、ペスト菌に感染させたノミを使った細菌兵器の研究開発などの資料を展示。長野県関係者を含む元隊員の証言記録もある。部隊長を務めた石井四郎・陸軍軍医中将の部屋がある本部建物の他、敗戦時に証拠隠滅のため破壊された細菌実験室や捕虜の監獄跡などを発掘し、25万平方メートルに及ぶ遺跡として保存している。来館者の1割が外国人で、韓国人に続いて日本人が多いという。