2024/05/26 信濃毎日新聞

 本紙連載「鍬(くわ)を握る 満蒙開拓からの問い」で昭和前期の満州(現中国東北部)での経験を証言した三井寛さん(89)=中野市中野=が25日、長野市で講演した。1945(昭和20)年8月のソ連の対日参戦に伴い、逃避行や避難生活で多くの人が亡くなったことを説明。「弾が飛んでくる(ことで死ぬ)より、その過程でみんな死んでいる」と戦争の実態を訴えた。

 NPO法人松代大本営平和祈念館(長野市)が企画。北信地方の25人が耳を傾けた。

 三井さんは県単独編成の黒台(こくだい)信濃村開拓団の一員として満州に渡った。講演では当時の暮らしについて、現地の人たちと「同じ家に住み、遊んだり、ご飯をもらったりした」と述懐。一方、日本人側は現地の人たちの土地や畑をただ同然で取り上げたとした。

 逃避行では「空襲で開拓団は大混乱をきたし、ばらばらになった」と述べ、ソ連の捕虜になった際に団員が青酸カリで自決した様子を説明。収容所では、夜にソ連兵が入ってきて女性を襲ったとし、翌朝に何人かが井戸に飛び込んでおり「被害に遭った人ではないか」と推察した。