2024/05/18 信濃毎日新聞

 昭和初期に最初の満蒙開拓団として、長野など全国11県から満州(現中国東北部)に渡った弥栄村開拓団の元団員と遺族らでつくる「弥栄会」は17日、半世紀余りにわたる活動に幕を閉じた。東京都内で総会を開き、解散を決めた。会員の高齢化が理由。慰霊碑のある本龍寺(台東区)で最後の法要をした。

 弥栄村は「満州国」建国の1932(昭和7)年、長野県や東北、北関東から在郷軍人らが入植を始めた。「武装移民」とも呼ばれた。入植時の団員493人のうち県出身者は39人。終戦時には県内から38戸176人が在籍し、ソ連の侵攻に伴う逃避行などで63人が亡くなった。

 この日の総会は新型コロナウイルスの影響で5年ぶりの開催。読経して法要した後、会長の前島進さん(88)=安曇野市穂高牧=が「経験を伝えることを大切にしてきたが、現実は厳しくなっている」と解散を提案した。北海道や秋田、新潟など全国から訪れた会員20人が受け入れた。

 弥栄会は72年に結成し、毎年持ち回りで全国各地で総会を開いてきた。2018年、元団員・会員の本多弘之さん(85)が住職を務める本龍寺境内に慰霊碑を建立。しかし高齢化に伴い会員が減少し、病気などで総会への参加が難しくなる人が増えていた。

 総会後、本堂前に並んだ出席者たちは団旗と共に記念撮影した。前島さんは「残念だが、弥栄村が記録として残り、次世代への教訓となることを期待したい」と話した。