2024/03/22 信濃毎日新聞

 「ヤミ畑」と批判の元孤児、悲痛な中国語 「私は日本人じゃないの?」

 呼び鈴を鳴らすと、小柄な高齢の男性が穏やかな表情で玄関先に顔を出した。だが取材のお願いを切り出すと、まなざしは不信感を帯びた。「いまさら話しても仕方がない」。困ったような表情で口を閉ざす。やりとりを続けるうちに、わずかだが話してくれた。中国語で繰り返した。「私は日本人じゃないの?」
 中国残留日本人の帰国者が多く暮らす長野市篠ノ井地区の県営みこと川団地。残留孤児だった男性は、篠ノ井塩崎の千曲川河川敷の本来は許されない場所で耕作していた一人だ。昨年秋、ユーチューバーが耕作を「不法中国人によるヤミ畑」と批判して配信した動画に、カメラを向けられ、日本語で思うように話せず戸惑う姿が映っていた。

 「土地が余っていると、もったいないと思っちゃうの」。同じ団地に住む帰国者の女性は「良くない」こととした上で、耕作者たちの思いを代弁する。帰国者たちの暮らしは余裕があるわけではなく、生活の足しにするため「みんな、どこかで畑をやっている」。女性も近くに土地を借りている。収穫した野菜は、交換することで隣人との交流のきっかけにもなる。「畑は社交場。小さな生きがいなの」

 男性は2004年、中国残留孤児が国家賠償を求めた長野地裁の集団訴訟に原告として加わっていた。その資料などによると、敗戦時は推定2歳。正確な生年月日は分からず、現在は81歳くらいだ。満州(現中国東北部)へ渡った開拓団の一員として黒竜江省通河県にいた。出身地や本名、両親の名前なども分からない。中国人の養父母に育てられた。結婚して農業を続けた。身元未判明のまま1989年に家族と永住帰国した。

 子どもたちの独立後、職を失って収入が年47万円の年金だけだった時期もあった。訴訟を踏まえて07年に改正された帰国者支援法に基づき、1世の帰国者は新たな生活支援を受けられるようになった。

 男性の暮らしは、ユーチューブ動画をきっかけに騒がしくなった。男性にとっては突然断罪されたように感じたが、指摘には反省し、畑は引き払った。自宅には警察も来た。騒動で「子どもや孫に迷惑をかけた」と落胆する。

 何より、日本語が話せないことで「不法外国人」と扱われたことがショックだった。子どもの頃、学校では「日本(リーベン)鬼子(グイズ)」と蔑称で呼ばれた。帰国後の勤め先では、日本語が不自由なため、人のミスを自分のせいにされた。中国では「日本人」と、日本では「中国人」と差別されてきた記憶がよみがえった。

 ただ、地域には耕作者たちへの厳しい視線もある。近くの男性(85)は「やめてほしいと言っても聞いてくれなかった」。一帯にはごみの投棄もあった。動画が違法状態の解消につながった―と受け止める声は少なからずある。

 3日、畑のあった河川敷を千曲市の元教員、飯島春光さん(70)が訪ねた。近くの篠ノ井西中学校でかつて、満蒙(まんもう)開拓や中国残留日本人についての学習に力を注いだ。傍らには、その時の教え子で明治大3年の北原康輝さん(22)=東京=がいた。北原さんは残留日本人4世に当たる。

 日本語の話せる3世や4世が社会にとけ込むに連れ、地域で満州移民の歴史への関心は薄まっていると感じている。だがそうした中では、「ヤミ畑」の件が互いの溝を深め、地域の分断のきっかけになってしまわないか―。2人は同じ危機感を抱いていた。

[千曲川河川敷の「ヤミ畑」問題]
 長野市篠ノ井塩崎の千曲川河川敷で中国残留日本人帰国者らが無許可で耕作し、昨年9月、県外のユーチューバーが違法と指摘した。テレビのニュースやワイドショー番組も取り上げた。国土交通省千曲川河川事務所(長野市)によると、耕作は少なくとも2010年から続き、面積は計約1ヘクタール。耕作者数は不明。長野南署との合同巡視後、耕作者たちは畑をやめ、建てていた小屋も撤去した。河川法は、河川敷の国有地を占用する場合は許可が必要としている。1965年の同法施行前から民間が利用してきた土地は一定の条件で耕作が認められる。