2022/03/19 朝日新聞

 1942年に柏崎市から200人余りが旧満州(現・中国東北部)に渡り、半数以上が命を落とした柏崎開拓団。この歴史をテーマにした約16分間の映像作品「満州柏崎村の軌跡」を敬和学園大(新発田市)の学生3人がつくった。一家9人で入植した巻口弘さん(87)のインタビューを中心に構成され、ナレーション担当の3年岸田瑠々(るる)さん(21)は「巻口さんの記憶を継承できたのは財産だと思う」と語った。
 制作したのは岸田さんと4年和田剛輝さん(22)、3年小田颯太さん(21)。いずれも国際文化学科の一戸信哉教授(51)に映像制作を学ぶゼミ生だ。昨年春、一戸教授に示されたテーマ案の中から「満州柏崎村」を選んだ。
 「中学の頃、NHKの番組で愛新覚羅溥儀(「満州国」皇帝)を知ってから興味を持っていた」と岸田さん。書籍や新聞、ネットで資料を集め、柏崎開拓団の様子を知る唯一の生存者とみられる巻口さんの柏崎市の自宅を2度訪ねて長時間、話を聞いた。
 柏崎開拓団は、戦時体制で仕事が減った商工業者を中心とする「転業開拓団」だった。映像の中で、巻口さんは和装品販売業を営んでいた父親から聞いた「満州に行って一旗揚げよう。土地も、もらえる」という言葉を紹介している。
 開拓団は、戦況悪化による「根こそぎ召集」で巻口さんの父親ら多くの男性が従軍することになり不在に。さらに日本の敗戦で、女性や子ども、高齢者は逃避行を余儀なくされた。
 長距離の退避を断念して開拓地に戻った巻口さんらは、その後に中国で激化した国民党と共産党による内戦に巻き込まれる。食料に窮し、「口に入るものは何でも食べた」。子どもたちを養うために現地の中国人と結婚した母親と別れ、1953年に1人で帰国した(母親も後に帰国)。
 映像の最後に柏崎市の赤坂山公園にある「満州柏崎村の塔」が映し出され、「塔は今もこの場所で、日本海の先にある過去を見つめている。私たちは過去を振り返ることができているだろうか」との言葉で結ばれる。
 編集を担当した和田さんは「歴史を忘れないために記憶を残す必要がある。この作品を通じて知識を深めることができた」。岸田さんは「巻口さんは日本の敗戦後も、別の戦争(国共内戦)に翻弄(ほんろう)された」と述べ、「戦争は国の意向で決まるもの。国の身勝手で左右されるのではなく、自分のために生きていける社会でなくてはならないと思った」と話した。
 「満州柏崎村の軌跡」は今年度の県自作映像・視聴覚教材コンクールで優秀賞に選ばれた。10日に新潟市の県立生涯学習推進センターで行われた上映会には、一戸教授と岸田さん、和田さんが出席した。
 一戸教授は「戦争の足跡を若い人が学ぶ意味は大きい。当時を知る人が少なくなる中、かろうじて巻口さんから受け取ったバトンを、映像の形で表現することができた。一定の役割を果たせたのではないか」と話していた。(戸松康雄)
 【写真説明】
 (上)県立生涯学習推進センターでの上映会に出席した(左から)一戸信哉教授、岸田瑠々さん、和田剛輝さん=新潟市中央区
 (下)「満州柏崎村の軌跡」から。移住を決めた父親の思いを語る巻口弘さん