2018/10/17 神戸新聞

 戦後、旧満州(現中国東北部)に取り残された中国残留孤児らが日本語を学ぶ尼崎市の教室が今年、開設から10年を迎えた。苦難を越えて帰還を果たし、日本で暮らす70~80代の孤児ら約40人が読み書きを学ぶ。20日には10年間の歩みを振り返る集いが予定され、教室を主催する市民グループ「コスモスの会」は「孤児たちの厳しい人生を知り、支援の輪に加わって」と参加を呼び掛ける。(初鹿野俊)
 国の移民政策により旧満州に渡り、戦後の混乱に翻弄(ほんろう)された中国残留孤児。2002年以降、国に賠償や謝罪を求める訴訟が全国15地裁で提起された。兵庫では65人の原告団が神戸地裁に提訴し、06年12月、全国で唯一勝訴した。
 国の控訴を受け、原告らの裁判や日本語学習を支援する動きが阪神間や神戸、明石で広がった。尼崎市では08年4月、宗景(むねかげ)正代表(71)ら有志がコスモスの会の前身団体を設立。市立中央公民館(西難波町6)で教室を開き、ボランティアのスタッフが日本語を教え始めた。同年10月からは市の委託事業になった。
 教室では毎週火曜、阪神間に暮らす残留孤児1世を中心に、配偶者や子ども(2世)らが単語の意味や文章の構成、発音の仕方などを学ぶ。そのほか、生け花や手芸などの日本文化を体験する講座やバザー、盆踊りなどを通じて地域住民との交流にも取り組む。
 生徒の一人で尼崎市の重光孝昭さん(79)は鹿児島県・奄美大島出身。3歳の時に一家で旧満州に渡ったが、待っていたのは不幸の連続だった。弟は病死し、父は徴兵され消息不明に。母は妹を産んだが、母と妹も相次いで亡くなり、5歳で迎えた終戦時は1人だった。その後、中国人の養父母に育てられ、44歳でようやく祖国の土を踏んだ。
 教室には8年前から通っており、「『に』や『を』の使い方が分かってきた。ボランティアさんも家族みたいで、分かるまで教えてくれるので楽しい。教室は生活の一部です」と重光さん。宗景さんは「残留孤児たちが地域に溶け込むのは難しく、まだ道半ば。広く関心を持ってほしい」と話している。
 集いは20日午後1時から、アルカイックホール・ミニ(同市昭和通2)で。宗景さんやジャーナリスト大谷昭宏さんの講演、パネル討論などがある。参加無料。同会の田中いずみさんTEL090・1483・0510
【写真説明】終戦後の苦難を経て帰国を果たした中国残留孤児。「コスモスの会」の日本語教室で女性たちが学ぶ=尼崎市立中央公民館