2015/12/15 朝日新聞/長野県

 戦後、満蒙開拓団の中国残留孤児を育てた養父母の存在に光を当てるシンポジウムが12日、阿智村中央公民館で開かれた。敵国だった日本の子どもを引き取った養母の李淑蘭さん(88)が登壇し「孤児になった子を助けるのは当たり前という信念があった」などと当時の心境を語った。
 満蒙開拓平和記念館と飯田日中友好協会の招きで、李さんやハルビン市にある養父母支援団体の役員らが来日。飯田市在住の元孤児、多田清司さん(76)らもシンポに加わった。
 李さんは、記念館の三沢亜紀事務局長の質問に答える形で語り始めた。
 終戦2カ月後の1945年10月。李さん夫婦が営む饅頭(まんじゅう)屋の店先に立ち尽くす日本人の母親と4人の子どもがいた。空腹を察した李さんは、おかゆを食べさせた。数日後に再び現れた母親から5歳の女の子を預かってほしいと訴えられた。19歳だった李さんは29歳の夫と相談し、引き受けることを決めた。
 3カ月ほどたち、日本に帰ることになったと母親が子どもを引き取りに来た。一緒に帰国した方がいいと勧めたが、子どもは李さんのもとを離れようとしなかった。母親は「日本で落ち着いたら迎えにくる」と言い残して去った。李さんは子どもの心境を「(ハルビンに残れば)ごはんをおなかいっぱい食べられ、暖かいふとんで眠れると思ったのでしょう」と話す。
 わが子のように育てたという李さんは、しばしば「なぜ、敵国の子を引き取ったのか」との非難にもさらされた。「でも、親がいないのだから、誰かが助けないといけない。信念は曲げませんでした」。静かな口調の李さんがそう言い切ると、会場で聴き入る約100人から拍手が起きた。
 72年の日中国交正常化後、残留孤児の肉親捜しが始まり、育てた子どもは81年に永住帰国した。「離れるのはつらかったけれど、本人のためには良いと思った」と振り返った。その後、中国を訪れた子どもと再会する機会が2回あったという。近年は音信が途絶えがちだが、「また会いたいです」と話した。
 シンポジウムは26日まで満蒙開拓平和記念館で開かれている「日本人残留孤児と中国養父母展」の関連行事。開館3年目の記念館が、昨年と今年実施した訪中調査でハルビンの養父母連絡会と交流が進み、李さんらの来日が実現した。記念館の寺沢秀文専務理事は「養父母がいたから孤児たちは生き延びられたが、わが国で注目されることは少なかった。証言を直接うかがう貴重な機会になった」と話した。(山田雄一)
 【写真説明】
 残留孤児を育てた当時の様子をシンポジウムで話す李淑蘭さん(左)=阿智村