2015/11/29 東京読売新聞
テレビの前で父が目を赤く腫らしている。
子どもの頃、そんな父の様子に驚いたことがある。中国残留孤児が肉親捜しのため来日したニュースを見て泣いていたのだ。「もしかしたら、自分が孤児になっていたかもしれない」。父は3歳のとき、満州(現中国東北部)から日本に引き揚げてきており、人ごととは思えなかったという。
祖父は1940年(昭和15年)に満州に渡ったが、敗戦でシベリアに抑留された。私が中学生のとき、身近な人に戦争体験を聞いて作文にまとめる宿題があり、祖父に話を聞いた。
満州から5日間歩き続け、ソ連のブラゴベシチェンスクに着いた。氷点下40度の極寒の地で、3年間、強制労働に耐えた。収容所には竹矢来の囲いがあったが、周囲1メートルは草木が食べ尽くされた。毒性のある植物を食べて死んだ者、竹矢来から飛び出して射殺された者もいた。厳しい寒さと飢え、いつ殺されるかわからない恐怖の中で過ごしたという。
作文を読み返すと、不明点が多く不十分な内容だ。それでも、自分の家族も戦争と無関係ではなく、戦争は普通の人々の暮らしに降りかかるものだと感じたことは、よく覚えている。
戦後70年という節目の年も残すところ1か月。戦争を経験した人たちは高齢化し、直接話を聞くのは年々難しくなっている。広島市など戦争体験の伝承者を育てている地域もある一方、学校現場は忙しく、平和教育の時間も十分にはとれないだろう。
祖父は他界し遺品も処分したので、私の作文が我が家に残る唯一の戦争の記録だ。あのとき、聞いておいてよかった。そういえば、まだ我が子にきちんと話していなかった。伝承者というのはおこがましいが、節目の年に、祖父に代わって伝えておきたい。(小坂佳子)
テレビの前で父が目を赤く腫らしている。
子どもの頃、そんな父の様子に驚いたことがある。中国残留孤児が肉親捜しのため来日したニュースを見て泣いていたのだ。「もしかしたら、自分が孤児になっていたかもしれない」。父は3歳のとき、満州(現中国東北部)から日本に引き揚げてきており、人ごととは思えなかったという。
祖父は1940年(昭和15年)に満州に渡ったが、敗戦でシベリアに抑留された。私が中学生のとき、身近な人に戦争体験を聞いて作文にまとめる宿題があり、祖父に話を聞いた。
満州から5日間歩き続け、ソ連のブラゴベシチェンスクに着いた。氷点下40度の極寒の地で、3年間、強制労働に耐えた。収容所には竹矢来の囲いがあったが、周囲1メートルは草木が食べ尽くされた。毒性のある植物を食べて死んだ者、竹矢来から飛び出して射殺された者もいた。厳しい寒さと飢え、いつ殺されるかわからない恐怖の中で過ごしたという。
作文を読み返すと、不明点が多く不十分な内容だ。それでも、自分の家族も戦争と無関係ではなく、戦争は普通の人々の暮らしに降りかかるものだと感じたことは、よく覚えている。
戦後70年という節目の年も残すところ1か月。戦争を経験した人たちは高齢化し、直接話を聞くのは年々難しくなっている。広島市など戦争体験の伝承者を育てている地域もある一方、学校現場は忙しく、平和教育の時間も十分にはとれないだろう。
祖父は他界し遺品も処分したので、私の作文が我が家に残る唯一の戦争の記録だ。あのとき、聞いておいてよかった。そういえば、まだ我が子にきちんと話していなかった。伝承者というのはおこがましいが、節目の年に、祖父に代わって伝えておきたい。(小坂佳子)