2015/09/09 03:07 朝日新聞
★70年後の青春:下
 「老いも若きも人として 日々にいそしむ行手(ゆくて)には 希望のあすが見えている われら殿中夜間生」
 堺市立殿馬場中学校夜間学級の校舎に歌声が響く。毎月初めの全校集会。生徒会の役員がその月に生まれた生徒にお祝いのカードを手渡す。
 7月の集会では落神(おちがみ)ヤスエさん(79)がカードを受け取った。「日本に帰って寂しい時あったけど、学校来てほんとによかった」。6歳だった戦中の1942年に大陸に渡り、半世紀後に帰国した残留孤児だ。
 香川から旧満州へ船で渡って間もなく母を亡くした。父と姉と3人でハルビンの日本人集落で暮らした。45年8月、国境を越え侵攻してきたソ連軍から逃げ、あちこちを転々とした。食料は乏しく、父と姉を相次いで亡くした。
 ひとり中国人の家庭に受け入れられたが、学校に行けず、料理も洗濯も自分でした。日本人であることを理由にいじめられた。16歳で家の長男と結婚し、子どもが3人生まれた。
 祖父の名前と住所を探しあて、90年、54歳で家族と日本に帰った。大阪の帰国者センターで4カ月日本語を勉強し、飲食店で皿洗いの仕事を続けた。当初は日本語がわからず、トイレに行くことを言い出せず我慢したこともあった。
 71歳の時、残留孤児の集会で殿馬場中に通う女性に誘われた。授業が理解できず辞めようと思ったが、同級生から「わからないから学校に来るの」と励まされた。足を痛め1カ月休んだ時は、先生が自宅に来て教えてくれた。
 いつも色あせたB5判のノートを持ち歩く。借りたローマ字の教科書を「aiueo」から挿絵まで全部写した。「バスの停留所でローマ字が読めた時、ほんまうれしかった。勉強できるの、一番楽しいね」