2015/08/15 佐賀新聞

 敗戦時、日本の植民地だった朝鮮半島や台湾、満州(中国東北部)をはじめ、ニューギニアやビルマなどの海外の戦地にいた軍人、軍属、一般邦人は約660万人。佐賀県内に引き揚げてきた人たちは1948(昭和23)年2月時点で10万3千人、50(昭和25)年4月には海外復員者が4万3500人余りに達した。

 『佐賀県政史』(1979年)によると、県北西部の玄界灘沿岸は、朝鮮半島などからの私設引き揚げ船が殺到。県や唐津市は「引揚邦人連絡所」を設け、宿舎の世話などを行った。婦人会による炊き出し、市内寺院の一時宿泊所としての協力など、地域の支えもあった。

 44年に71万人だった県人口は、引き揚げや軍人の復員、戦災都市からの転入者などが相次ぎ、48年には91万人を突破した。

 一方、戦前や戦中に満州へ渡り、45年8月の旧ソ連参戦による混乱で肉親と生き別れになり、現地に残された「残留孤児」や、中国人の妻になるなどして帰国の機会を失った「残留婦人」の悲劇も生まれた。