2010/10/30 毎日新聞 /長野

 ◇国・県、支援に及び腰 大戦にかかわる全国の施設、大多数が市町村・民間運営
 第二次大戦にかかわる展示を行う全国の博物館、資料館、追悼施設の大多数が、市町村や民間により運営されている。国からは支援が受けられず、建設費や運営費などを自治体の支出や寄付で賄う所がほとんどだ。
 1988年に開館した京都府舞鶴市の舞鶴引揚記念館は、シベリア抑留者に関する資料館として全国に知られる。同市が2億4000万円をかけて建設し、京都府が2000万円を補助したほか、全国から約7400万円の募金が寄せられた。
 しかし設置から30年以上たち、近年は入館者数の伸び悩みなどで経営が厳しく、舞鶴市は国に支援を度々要望している。今年度設置した「記念館あり方検討委員会」でも、国の支援を求める意見が多数出されているが、厳しい財政事情の中、国の動きは鈍い。
 一方、原爆被爆50年に合わせて建設された長崎原爆資料館を運営する長崎市。建設費66億4000万円は市が負担し、96年に開設され、実物大に復元した被爆直後の浦上天主堂の南壁などを展示し、被爆研究の拠点としても活用されている。
 さらに同館の隣に、国立長崎原爆死没者追悼平和記念館が整備されたのは03年。被爆者援護法に基づき国が設置した。長崎市に国立の追悼施設ができたのは初めてで、全国でもほかは広島市にあるのみだ。被爆問題は戦争被害の中でも注目度がひときわ高いだけに、国も力を入れている。
 
ことば
 ◇満蒙開拓
 昭和初期の恐慌による経済の行き詰まりから、政府が国策として満州へ約30万人の移民、青少年義勇軍を送り出した。「五族協和」「王道楽土」の理想を掲げたが、中国側からは「侵略者」とみなされ、ソ連参戦と敗戦で多くの移民が放置された。県内からは全国最多の約3万7800人が送り出されたが、戦闘や飢え、病などで半数近い約1万4000人が死亡。多くの残留孤児が取り残された。飯田・下伊那地域から約8400人が赴き、県内で突出して多い。
写真説明 原爆被害の資料の収集・展示が行われている長崎市の長崎原爆資料館