2009/04/10 朝日新聞【西部】
無職 福田詢(長崎県平戸市 64)
本紙連載「写真が語る戦争」が、3月27日の「引き揚げ」で終わった。
今回の写真には胸を突かれた。特に、京都・舞鶴で幼児と一緒に、名札を手に肉親を捜す女性の写真には涙を禁じ得なかった。その不安そうな顔、母親の着物をしっかりと握っている女の子。また別の、多分遺骨を入れた箱の白い包みを首から下げているおかっぱの女の子の写真にも、旧満州からの必死の逃避行が想起され、胸が痛む。
外地にいた日本人で、終戦後すぐに帰国できた人たちは幸運だったと思う。集団引き揚げは十数年続いたが、今なお異国の地に眠る日本人は多い。連合国の統治下にあったとはいえ、帰国させる方策はなかったのだろうか。国の対応の遅れが中国での残留孤児を生み、シベリア抑留者の帰国の遅れを招いたのではないか。また独立後の政府の動きも遅かった。
担当記者の後記に「この国が、置き去りにしている問題は数多い」とあるが、置き去りにする国の対応に歯がゆい思いだ。例えば外国に眠る遺骨収集でも民間が先行し、その動きや要望で政府が動き出した一面がある。
声欄に「戦争を語りつぐ」がある。体験者の生の声は年々聞けなくなる。写真も生の声も、貴重な記録として保存し語りつぎたい。
無職 福田詢(長崎県平戸市 64)
本紙連載「写真が語る戦争」が、3月27日の「引き揚げ」で終わった。
今回の写真には胸を突かれた。特に、京都・舞鶴で幼児と一緒に、名札を手に肉親を捜す女性の写真には涙を禁じ得なかった。その不安そうな顔、母親の着物をしっかりと握っている女の子。また別の、多分遺骨を入れた箱の白い包みを首から下げているおかっぱの女の子の写真にも、旧満州からの必死の逃避行が想起され、胸が痛む。
外地にいた日本人で、終戦後すぐに帰国できた人たちは幸運だったと思う。集団引き揚げは十数年続いたが、今なお異国の地に眠る日本人は多い。連合国の統治下にあったとはいえ、帰国させる方策はなかったのだろうか。国の対応の遅れが中国での残留孤児を生み、シベリア抑留者の帰国の遅れを招いたのではないか。また独立後の政府の動きも遅かった。
担当記者の後記に「この国が、置き去りにしている問題は数多い」とあるが、置き去りにする国の対応に歯がゆい思いだ。例えば外国に眠る遺骨収集でも民間が先行し、その動きや要望で政府が動き出した一面がある。
声欄に「戦争を語りつぐ」がある。体験者の生の声は年々聞けなくなる。写真も生の声も、貴重な記録として保存し語りつぎたい。