2008/08/15 日本経済新聞

 北京五輪に世界中が沸き立つ中、六十三回目の「終戦の日」が巡ってきた。十五日戦没者追悼式が開かれた東京・日本武道館には今年も全国から遺族が集まり、戦禍で失われた命を悼んだ。戦後六十三年。年々戦争体験者が減り、悲劇の記憶が薄れてゆく日本社会で、二万人を超える中国残留孤児とその家族は今も戦争が残した傷跡を抱えながら生きている。(1面参照)
 東京都内の法律事務所で働く吉川紀子さん(40)は一九九二年に来日した。母親は中国残留孤児。当時はバブル崩壊前夜の人手不足。愛知県の自動車部品工場が受け入れ先となり、母親より一年遅れで来日がかなった。
 しかし、工場での仕事は清掃などの単純作業ばかり。日本語を勉強する時間も行政の支援もなく先の見えない日々が続く。約一年半後、病に倒れ手術を受けることになったのをきっかけに、工場を退職。退院してから日本語学校、大学にも入学した。現在は通訳など中国で育った経験を生かした分野で活躍する。「病気にならなかったら今ごろどうなっていたか。病気に救われた」と振り返る。
 吉川さんのように安定した経済基盤を築けた第二世代は少数派。暮らしのため必死で働くうちに日本語や技能を習得する機会を失い苦しい生活を続ける帰国者家族は多い。
 「この若者を知っている」。二〇〇三年、通訳を務めた傷害事件の法廷で、吉川さんは被告席に座る若者を見てがくぜんとした。
 被告は中国から一緒に来日した当時十歳の少年だった。二十一歳になっていた被告は残留孤児二世、三世を中心とする暴走族に入り、事件を起こした。
 不自由な日本語、学校や地域での差別。親は生計を立てるのに精いっぱいで相談もできない。「自分は中国人なのか日本人なのか」。孤立の中、悩みを深めて同じ境遇の不良グループに取り込まれていく第三世代が少なくない。
 「今、北京オリンピックが盛り上がりよる。おれは日本と中国両方のチームば応援している……」。福岡県太宰府市の特定非営利活動法人(NPO法人)「劇団道化」(篠崎省吾理事長)が十五日から福岡市で上演する残留孤児をテーマにした舞台「吉林食堂」の一幕。主人公の残留孤児二世が語るせりふだ。
 舞台は福岡市で食堂を営む孤児と家族の物語。社会や言葉になじめない孤児、日本語力の問題で高校進学をあきらめる息子など、孤児家族らへの丹念な取材を重ねた等身大のストーリーになっている。登場人物たちのコミカルなやり取りの間に時代のうねりに翻弄(ほんろう)された家族の悲哀がにじむ。
 篠崎理事長は「日本で苦労しながらも人生を切り開いた孤児らの姿を通じて、逆に人が人らしく生きられなくなる戦争の悲しさを伝えたかった」と話す。会場は博多区祇園町の「ぽんプラザ」。十七日までの上演で、十六日には残留孤児への理解を深めるシンポジウムも開く。
【図・写真】帰国後の苦悩 NPOが劇に 中国残留孤児家族の帰国後の暮らしをテーマにした舞台「吉林食堂」のけいこ風景(福岡市博多区)