2008/08/09 毎日新聞岩手

 ◇支援する岩手の会、きょう解散
 ◇孤児の生活、今も厳しく 「今後も助け合いたい」
 中国残留孤児の人権回復、生活保障を求めて活動してきた「中国残留日本人孤児を支援する岩手の会」(南奎雲会長、約90人)が9日、改正中国残留邦人支援法の成立など一定の成果を収めたとして解散する。その一方で、県内在住の孤児25人とその家族約250人は、今も日本語が不自由で生活が厳しい人も多く、南会長は「今後も関心を持ち、仲間として助け合っていきたい」と話している。【山口圭一】

 同会は05年10月に設立。全国の孤児2211人が「速やかな帰国措置と、永住後の自立支援策が不十分」と、国を相手に各地裁で賠償を求めて提訴したのに合わせ、06年4月には県内16人を含む東北の孤児37人が仙台地裁に集団提訴。「母国民として人間らしく生きる権利」を侵害されたと訴える孤児を支えてきた。

 06年12月には神戸地裁が国に賠償を命令。各地の運動の盛り上がりもあり、07年11月には改正支援法が成立した。基礎年金を満額支給するほか、生活支援の給付金を単身世帯で月額最高8万円上乗せするなどの内容で、東北訴訟も今年3月、原告が訴えを取り下げ終結した。

 この間、同会は署名や裁判闘争の費用を集める募金運動を通して県民に理解を求めてきた。南会長は「勇気を持って人道を訴えると、人は見捨てないものだと感激した」と振り返る。

 県内孤児の一人で、中国・瀋陽(しんよう)市で育った盛岡市西仙北、無職、西山昭次郎さん(68)は27年前に帰国。親せきがいた一戸町に家族5人で移り住んだが、言葉が不自由で就職も難しかった。ようやく就いた林業は冬場の仕事がなく、収入は生活保護だけの時も。一家への支給額が月2万円だったこともあった。

 西山さんは「支援者の人々のお陰で法律も改正された。私たちだけでは、こうした結果にはたどり着けなかった」と感謝する。一方、西山さんの娘で、県内の孤児の通訳役も務める岩子さん(38)は「法律はできたが、言葉が壁になって十分手続きを受けられない人もいる。行政の担当者によって理解も異なる。国に周知を求めるなど活動は続けたい」と話す。