今日、ふと東京大仏さんの蓮が気になって

 

おばあちゃんのリハビリの準備を整えて。

 

 

 

「今から行きます~ お変わりありませんか?」の電話を受けて

 

「蓮の写真を撮りに行きますから、お願いします~」っとお願いして

 

 

速攻出かけました。

 

 

 

 

そしたら、

 

去年の夏至には咲いていた蓮も

 

 

 

 

 

 

 

 

まだ、こんな感じでしたよパー

 

 

 

あと、数日かな~

 

 

開くのが楽しみです照れキラキラキラキラ

 

 

 

 

 

昨日の夏至は、ものすごく感情のデトックスがあり、

 

朝には快調なすべり出しだったのに

 

 

娘が来て、帰りしなに

 

 

 

「えはてなマーク 笑い泣き  私が何をしたゲロー」っという…

 

 

ビックリなご発言ショボーン

 

 

 

 

娘は娘で

 

とっても苦しかったみたい。

 

 

 

前から、「言葉」がすごく気になっていたんだよね。

 

そういう言葉を使わない方がいいな~って思ってた。

 

 

 

「あ、ダメだよ、そんなこと言っちゃあせる」と

 

一言言ってしまったら、返り討ちにあいました(笑

 

 

 

(笑 …と書いたのは

 

少しでも場を和らげたいので、使いますがww

 

 

 

なんか、気がついたの。

 

闇が深い時は、拒絶してしまうんだなって。

 

 

 

 

…というか。

 

 

 

「よかれと思ってやって、報われない」って

 

私の「あるある」なのでね。

 

 

 

「まだ、あなたの中にありますよ、その傷…」って

 

教えてくれたのではないかな。

 

 

 

光が強く入る時

 

「あぶりだし」的なことも多いよね。

 

 

 

それが「気づき」になり

 

「浄化」になる。

 

 

 

 

気がつかなかった奥の、奥のほうの感情…

 

なんとか鎮め、なだめながら押し込めてしまったもの。

 

 

 

「出してはいけない」って。

 

 

 

ほんとは出せばよかったのかも。

 

その時は荒れても、出してスッキリしたほうが

 

よかったのだろうかね。

 

 

 

「このまま平穏に暮らせたら…」って

 

何かを我慢してやっていたら

 

それも「犠牲」っていうんだよね。

 

 

 

「私さえ、我慢したら…」って

 

それは、いつか噴火する。

 

 

 

知らず知らずしている

 

日常の小さな我慢。

 

 

 

思いやりのつもりでも

 

愛のつもりでも

 

 

「自分を偽っていないか?」っと

 

問われたのかな。

 

 

 

「あなたは優しすぎるから」と

 

よく、高次のメッセージでも言われるけど。

 

 

「過ぎたら、いかん」のよ。

 

 

 

怒るべき時には怒る。

 

かばうばかりが愛ではないよね。

 

 

 

「私がいないとこの家は…」という意識も

 

変えた方がいいのだ。

 

 

 

確かに

 

そうだと思う。

 

 

 

けど。

 

 

 

案外、どうにか、なるようになっていくかもしれないね(笑

 

 

 

 

とりあえず、

 

娘も息子も

 

もう子どもじゃないし

 

 

「困った、困った」と言ってきても

 

甘えがあるから。

 

 

 

手を貸すだけ貸したら

 

あとは、心配しない。

 

 

 

誰にもちゃんと護ってくれる神様はついてるから。

 

 

「娘をよろしくお願いします」

 

「息子をお願いします」と

 

 

祈っていけばいい。

 

 

 

わたしが自立していこう。

 

 

 

 

 

すべてはうまくいっていますコスモス

すべてにありがとうございますコスモス