日本の人たちは
縄文時代に生きていた人たちの記憶とか、
意識をもっているのではないかなぁ?



縄文時代、
もし、意見が分かれたり

生き方の相違に気がついたときには

戦わずに
「住み分ける」ということをしたそうです。

とても平和なやり方ですね。


縄文も後期に入ってくると、
他から入ってきた人により

攻め込まれたりして
集落を護るために戦わざるを得なくなったようてすが、


長い長い、縄文の時代は
どの子も自分の子のように
みんなで護り

みんなで知恵を出しあって
協力しあって暮らしていたようです。


私達のご先祖は
そんな素晴らしい平和の心を
もっていました。



これは、私のアカシックからの情報でもあり、

「ナガスネヒコ」さんとのご縁で
もたらされたものなのです。


ある時、私は
ナガスネヒコさんの集落で

一緒に家族みたいに暮らしていたひとりの女の子でした。

(なんと、そこにはともちゃんもいました)


ある時、

可愛がってくれていた
ナガスネヒコさんの姿が見えなくなりました。


こちらは、縄文時代の終わり、
弥生時代に入る時です。


攻めてくる人たちから
私達を護るために


戦に出ていったナガスネヒコさんは、

とても強かったし、
本気を出せば簡単に勝てたのだけど


人を傷つけるということが
どうしても出来ずに、
討たれてしまいました。


誰かを傷つけるというのは
ナガスネヒコさんの想いと反していたのです。


また、ある時代には、
私は、ナガスネヒコさんの妻でした。


この時は
夫とともに、志を同じくして

みんなと平和に暮らしたようです。



あ、

話が思わぬ方向に脱線しましたが、



アウトプットしたかったのは、

縄文の心を思い出す時だよね?

…ということです。



そしてね。

森羅万象に神を見て
自然と共に生きたことが

今、光となって
日本を護る力になっていると。

そんなふうに思うのです。



私達がその心を思い出し
生き始める時に


神の護りは強く確かなものに
なるのだと感じます。




すべてはうまくいっていますコスモス
すべてにありがとうございますコスモス