妊娠中の私は、夜9時にはバッッタンキューで
スイッチが切れたかのように、ばたりと寝ていました。
ちょうど、その頃夫は学校で校長に当たるような
役割に抜擢され、いわゆる学校内の代表となった。
ドキドキしていたに違いない。
初めての経験で、張り切ってもいたよね。
しかし、現実に300人ほどの青年を抱える学校を運営するのは
簡単なことではない。
日々、いろんな問題が起こるし
30人ほどの先生をまとめるのも
容易なことではない。
彼は、常に学校内を歩き回り
仲間との打ち合わせをよくしていた。
私たちの部屋は、学校内の
敷地内にあって、常に周りに
生徒や仲間がいる。
彼が部屋に戻ってきたと思ったら、また
すっとんで、出て行く。
「最近、会話がない。。。」
朝も昼も忙しく、夜戻っていたときには
既に寝ている私がいる。
会話が本当に少なくなっていた。
「寂しい。。。」
正直、感じていた。
でも、
「頑張っているんだし。
応援したいし、よき理解者でありたい。」
という狭間で葛藤していた。
寝る前に
「愛しているよ。
いつも応援しているから」
と置き手紙をしてみたり、
自分なりに一生懸命理解ある妻になろうとした。
でも、限界が来た。
一週間、二週間。。。
これはひどいよ。
会話が少なくなっていることに
気付いていない、としかいいようがない。
ついに切れた。
「ねぇ、バランスとれてないよ、全く。
これって、仕事仕事仕事で、家庭を
振り返らない夫のパターンになってない?!」
「私にもお腹の赤ちゃんに少しは目を向けてよ。」
爆発したね。
”はっ!!”と、したらしい。
「これから、父親になると思うと、もっと自分を成長させて
頑張らなきゃってすごく自分を追い込んでたかも」って。
”親”になる。
やはり見えないプレッシャーがあるだろう。
しっかり養っていきたい、と一段と強い思いがあったに
違いない。
父親になるからこそ、今まで以上に自分を成長させたいっていう
思いは決して間違っていない。
だけど!!!!
行き過ぎでは、逆に家庭にストレスを与えて
逆効果だよー!!と。
仕事とプライベートの線を引きにくい環境だからこそ
自らコントロールしなければならい。
バランスって大事だよね、って二人で再確認しました。
妊娠期間中、ストレスを抱えるかどうか夫との関係が
大きい部分を占めると思う。
二人がよりハッピーな関係を築けていられれば
自然とママもハッピーになって赤ちゃんもハッピーとなるから。
父親になるということは、経済的な部分だけでなく
子どもを支えるママをどれだけ
サポートできるかも大事だと、二人で再認識した。
それからは、
部屋に戻ったときは、ちょっと一息ついて話してくれたり、
向き合う時間を彼なりに工夫してとってくれるように
なった。
物理的に一緒にいられる時間が少なくとも
この愛情を伝える方法はたくさんある。
彼なりに工夫してくれたのが、また嬉しかった。
私たちが目指すもの。
それは、まさにバランス。
誰もが一日24時間与えられている。
仕事も家庭も、仲間との関係も、自分の時間も、いろんな
大事なものがあるわけで、どう自分がうまく
バランスを持ちながら過ごせるのかが、課題だよね。
日本に帰国した今も、私自身
育児と仕事、家庭いろんなものをどう両立していくかが
課題となっている。
どれも大事なものだから。
その中でも夫婦の関係、それは育児でも、
仕事面でも、自分の人生のとても大きな土台となる
部分だから大切に大切にしたいと思っています。
あけましておめでとうございます!!
今年もどうぞ、よろしくお願いします☆
さて、2010年振り返りをしてみました。
2010年、自分に大きな衝撃を与えた出来事の一つに
友人の赤ちゃんの突然死があります。
ママさんが昼寝から起きたときには、もう体が硬くなっていたみたいで。
死因は持病による心筋梗塞だそうです。
4ヵ月という、あまりにも短い命でした。
直接会ったことはなかったのですが、
やはり母親となった今、子どもの『死』がとても
リアルの問題に感じて仕方がありません。
そのことが、ずっと頭から離れず
ママ友の気持ちを思うと本当に切なくて
涙が止まりませんでした。
娘が、笑っていること、そこにいること、
生きていること。
みんなが、生きていること。
その有難さを、改めて感じた出来事でもありました。
私が出産した、東チモールという国は
東南アジアでは最貧国の一つです。
東チモールの乳児死亡率は75で、世界で28位です。
(生後1年未満の赤ちゃんが乳児)
1000人に75人が亡くなるということです。
100人に7.5人。
ちなみに、日本の数値は3です。
1000人に3人ということですね。
運営する学校に、全寮制の生徒400人がいました。
その半分が女子としたら、200人。
そのうちの15人の子どもが亡くなり、
悲しむ生徒がいると想像するとドキッとします。
小さな数ではないですよね。
やはり衛生状態は、いいとはいえず
下痢で亡くなる赤ちゃんがとても多いのです。
また、予防接種の重要性を知らず
連れて行かない親もたくさんいることを知りました。
結核にかかってなくなったり、マラリアだったり死因は様々。
以前、学校のプログラムの一環として
近くの病院に通っていたのですが、
やはり赤ちゃんが多かった。
東チモールでは、こうした医療分野で
支援するNGOがたくさん入っていました。
日本であれ、東チモールであれ、
命は、本当に尊いもの。
子どもを失った親の痛みは計り知れません。
妊娠する前にメディカルグループのコーディネートを
担当していたこともあり、
未来の親となる青年たちへの教育にさらに
熱が入りました!
(妊娠前に近くの病院で、マラリア予防の劇を行ったときの写真)
衛生面や、病気の予防方法、子どものケアなどを
中心とした授業を妊娠中も生徒を対象に
ずっと、行っていました!!
『いつか親になる』
まだまだ若い彼らには、遠い話のように思えても
やはり、身近で亡くなる赤ちゃんを見る機会が多いのだろう。
授業を真剣に聞き入ってくれていたことが印象的でした。
帰国する時には、卒業した生徒にも
赤ちゃんが何人も産まれて遊びに来てくれました。
教育、それは次の世代にも大きな影響を与えるものですね。
すくすくと育ちますように。。。願いを込めて。
今年もどうぞ、よろしくお願いします☆
さて、2010年振り返りをしてみました。
2010年、自分に大きな衝撃を与えた出来事の一つに
友人の赤ちゃんの突然死があります。
ママさんが昼寝から起きたときには、もう体が硬くなっていたみたいで。
死因は持病による心筋梗塞だそうです。
4ヵ月という、あまりにも短い命でした。
直接会ったことはなかったのですが、
やはり母親となった今、子どもの『死』がとても
リアルの問題に感じて仕方がありません。
そのことが、ずっと頭から離れず
ママ友の気持ちを思うと本当に切なくて
涙が止まりませんでした。
娘が、笑っていること、そこにいること、
生きていること。
みんなが、生きていること。
その有難さを、改めて感じた出来事でもありました。
私が出産した、東チモールという国は
東南アジアでは最貧国の一つです。
東チモールの乳児死亡率は75で、世界で28位です。
(生後1年未満の赤ちゃんが乳児)
1000人に75人が亡くなるということです。
100人に7.5人。
ちなみに、日本の数値は3です。
1000人に3人ということですね。
運営する学校に、全寮制の生徒400人がいました。
その半分が女子としたら、200人。
そのうちの15人の子どもが亡くなり、
悲しむ生徒がいると想像するとドキッとします。
小さな数ではないですよね。
やはり衛生状態は、いいとはいえず
下痢で亡くなる赤ちゃんがとても多いのです。
また、予防接種の重要性を知らず
連れて行かない親もたくさんいることを知りました。
結核にかかってなくなったり、マラリアだったり死因は様々。
以前、学校のプログラムの一環として
近くの病院に通っていたのですが、
やはり赤ちゃんが多かった。
東チモールでは、こうした医療分野で
支援するNGOがたくさん入っていました。
日本であれ、東チモールであれ、
命は、本当に尊いもの。
子どもを失った親の痛みは計り知れません。
妊娠する前にメディカルグループのコーディネートを
担当していたこともあり、
未来の親となる青年たちへの教育にさらに
熱が入りました!
(妊娠前に近くの病院で、マラリア予防の劇を行ったときの写真)
衛生面や、病気の予防方法、子どものケアなどを
中心とした授業を妊娠中も生徒を対象に
ずっと、行っていました!!
『いつか親になる』
まだまだ若い彼らには、遠い話のように思えても
やはり、身近で亡くなる赤ちゃんを見る機会が多いのだろう。
授業を真剣に聞き入ってくれていたことが印象的でした。
帰国する時には、卒業した生徒にも
赤ちゃんが何人も産まれて遊びに来てくれました。
教育、それは次の世代にも大きな影響を与えるものですね。
すくすくと育ちますように。。。願いを込めて。
だいぶ、ご無沙汰しています。
妊娠していた頃に書いていた日記を読み返してみました。
東チモールで出産することを決めてから、4ヵ月後に
母から一通のメールが届いた。
「出産前後に東チモールに行って、あなたのサポートをしたい。
母親として我が子にする最後の役目だと思っている。」と。
涙が溢れるほど、嬉しかった。
初めてのお産で不安ばかりだったから。
どうやって赤ちゃんを抱いていいのかもわからない。
母親学級というものもなく、本当にわからないことだらけだったから。
情報源といえば、私のほかにティモールで出産した方に借りた
2007年度版の「た○ごクラブ」しかなった。
この一言にどれほど、安心しただろう。
結婚式に一度、東ティモールに来てくれてから一人でも大丈夫だという。
母強し!!!
(結婚式に来た際、地元のマーケットへ)
住んだこともない途上国の環境で、三週間も娘のために一緒にいてくれるなんて。
本当にありがたいことです。
(結婚式で、手紙を読んだ後に、伝統のタイスを渡した)
思い返すと、母親とは過去によくぶつかった。
進路に迷いまくって、決断をコロコロ変えていた自分がいたから。
「あなたのせいで、どれだけ周りが迷惑していると思っているのよ」
痛すぎる言葉、悔しいと何度もなき、何度も感情的になった。
頑固な自分、模索しながらも”こうだ!!”と決めたら妥協できないもので。
そうして、感情的にぶつかり合う、反面
母親はいつも、強力なサポーターでもあった。
そして、本当に両親に理解してもらえたのは、
結婚式で、自分の活動現場をみてもらえたときだと思う。
一緒に活動する先生たちと
生徒たちに囲まれ過ぎてる。。。。探せるかな?!
良き先生、仲間、生徒に囲まれながら活動している私を再確認して
「やっと、あなたのやていることが理解できたわ。
あなたの人生だから、彼としっかり生きなさい」と
言ってくれたこと、一生忘れない。
両親の理解があってからこそ、今の自分がいることを忘れたくない。
ありがとう。。。
そして、”母親”となった今、子どもにも”自分の道を選んで生きる”ことを
応援できる親でありたいと心から思う。
結婚式で、伝統の踊りを披露してくれた生徒たち☆
妊娠していた頃に書いていた日記を読み返してみました。
東チモールで出産することを決めてから、4ヵ月後に
母から一通のメールが届いた。
「出産前後に東チモールに行って、あなたのサポートをしたい。
母親として我が子にする最後の役目だと思っている。」と。
涙が溢れるほど、嬉しかった。
初めてのお産で不安ばかりだったから。
どうやって赤ちゃんを抱いていいのかもわからない。
母親学級というものもなく、本当にわからないことだらけだったから。
情報源といえば、私のほかにティモールで出産した方に借りた
2007年度版の「た○ごクラブ」しかなった。
この一言にどれほど、安心しただろう。
結婚式に一度、東ティモールに来てくれてから一人でも大丈夫だという。
母強し!!!
(結婚式に来た際、地元のマーケットへ)
住んだこともない途上国の環境で、三週間も娘のために一緒にいてくれるなんて。
本当にありがたいことです。
(結婚式で、手紙を読んだ後に、伝統のタイスを渡した)
思い返すと、母親とは過去によくぶつかった。
進路に迷いまくって、決断をコロコロ変えていた自分がいたから。
「あなたのせいで、どれだけ周りが迷惑していると思っているのよ」
痛すぎる言葉、悔しいと何度もなき、何度も感情的になった。
頑固な自分、模索しながらも”こうだ!!”と決めたら妥協できないもので。
そうして、感情的にぶつかり合う、反面
母親はいつも、強力なサポーターでもあった。
そして、本当に両親に理解してもらえたのは、
結婚式で、自分の活動現場をみてもらえたときだと思う。
一緒に活動する先生たちと
生徒たちに囲まれ過ぎてる。。。。探せるかな?!
良き先生、仲間、生徒に囲まれながら活動している私を再確認して
「やっと、あなたのやていることが理解できたわ。
あなたの人生だから、彼としっかり生きなさい」と
言ってくれたこと、一生忘れない。
両親の理解があってからこそ、今の自分がいることを忘れたくない。
ありがとう。。。
そして、”母親”となった今、子どもにも”自分の道を選んで生きる”ことを
応援できる親でありたいと心から思う。
結婚式で、伝統の踊りを披露してくれた生徒たち☆



