ローマ紀行 2月14日(水) 到着・夜景 | 子育てミュージシャン・ロンドン日記

子育てミュージシャン・ロンドン日記

とある中年しかし新米パパ・ミュージシャンの子育て日記 in ロンドン

2018年2月14日(水)

 

 朝5時10分、家を出発。ストラトフォード駅から5時50分発のナショナル・エクスプレス・シャトルバスに乗り込みスタンステッド空港に到着したのはおよそ1時間後。

 

 搭乗手続きはすぐに終わり、前日に作っておいたコロッケ弁当を食す。

 

 

 一息ついたところで搭乗開始。8時45分離陸予定が、搭乗が始まったのは9時頃。結局約1時間遅れの離陸となった。

 

 

 いつもどおり、窓際はびっきー。彼の撮影によるイングランド風景。

 

 

 フライト自体はきわめて快適で、結局ほぼ予定時刻にはチャンピーノ空港へ着陸することになった。約3時間弱の旅。こちらはローマ近郊。

 

 

 なんといきなりあいにくの雨。添乗員時代に文字通り何十回となくローマに来ているあさプリンセスによれば、ローマで雨に遭遇するのは滅多にないとのこと。なんという僥倖!余程普段の行いが良かったのであろう。

 

 

 さて、ここから空港前の乗り場から予めブックしてあったシャトルバスでローマ市内へ向かおうというのだが、ここでハプニング。ライアン航空とタイアップしてあったシャトルバスを、到着時間に合わせて予約したらしいのだが、行ってみるとすでに満杯になったバスの前に長蛇の列。

 

 

 結局予約というのは単なる方便のようで、先に来たもの順に乗り込むシステムのようだ。それでも観光イタリア語なら何とかしゃべることのできるあさプリンセスが係員に、わあわあまくし立てて、なんとか列の始めには並んだものの、バスはすでにどう見ても定員。結局次の便となり、1時間遅れ。さすがイタリア。われわれの期待を裏切ってくれないところは立派なものである、といたく感心する。

 

 

 予定より1時間遅れの3時前、ローマの玄関、テルミニ駅前に到着。今回の宿はこの駅にも近いプチホテルである。この頃には天気も好転し、われわれの機嫌も直る。

 

 

 旧市内に入ってくるときに、すでに城壁を車窓から眺めたが、パパはどういうわけか、ローマに対してもっとこじんまりした町を想像していたので、初めから圧倒されてしまった。この壁もローマ時代のものなのだろうが、なんともすごいものである。

 

 

 石畳の上にトラムのレール。びっきーがいの一番でしきりに乗りたがったのだが、結論から言えば今回は持ち越し。また次回。

 

 

 3時20分頃チェックイン。部屋の小ささに少なからずショックを受けるが、ここはローマの中心。1泊50ユーロほどの超格安料金である。ファミリービジネスらしいオーナーたちの感じもすごく良いので文句は言うまい。うん。

 

 

 早速観光開始。まずはホテルすぐ近くから、サンタ・マリア・マジオーレ(聖母マリア大聖堂 英語表記ではSaint Mary Major)。

 

 

 こちらはローマ4大バシリカ(古代ローマ時代の様式の聖堂)のひとつで、聖母マリアに捧げられたものとしては最古にして最大(伝説では358ADだが実際には5世紀)。壮麗なファサード(正面デザイン)は18世紀フェルディナンド・フーガによるもの、ベルタワーは13世紀のラテン・ロマネスク様式(ローマ市内では最も高い)など、ほかの教会同様、改築・修築を繰り返しているが、それでももっともローマ時代の創建当時の構造原形を残しているものとして資料としても重要な建築らしい。歴史の一時期には教皇宮殿としても使われたことがあるという。こんな薀蓄は全部今、ウィキペディアやJTBのガイド本、現地で買ってきたガイド本や塩野七生の「ローマ人の物語」で調べて書いているのだが、ほう、そうだったのか。

 

 

 内部のモザイクは5世紀のものーということは創建当時からのもの。

 

 

 「ロマネスク」ということだから、古代趣味に東方のエキゾチックなテイストが加わったものということで、なるほど。

 ここ一つ見ただけで、キリスト教芸術はなんだかもう腹一杯になった気分になったから、さすがローマである。ロンドンにあるものの何もかもが、ここのコピーのように思えてきたパパは、この頃すでに今回の滞在中にローマ観光のつぼを「押さえる」ことは放棄した。土台無理な話である。

 

 

 次に向かったのはサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会。坂を延々と登る。

 テヴェレ河の東岸に位置するローマ旧市街は7つの丘からなる。クィリナーレ、ヴィミナーレ、エスクィリーノ、チェリオ、アヴェンティーノ、パラティーノ、そしてカピトリーノである。もっとも、この中で一番高いのがカピトリーノの丘で、海抜50メートル程度というから大して高いわけではないが、結局今回のツアーのように歩き回るとなると、結構な運動量となった。

 

 

 禍々しいですな。ダリオ・アルジェントはイタリアから出るべくして出てきた映像作家だというのがよーく分かる。彼の世界は、つまりリアルなのだ。

 

 

 この教会の最大の見ものはこちら、ミケランジェロによるモーゼ像。もともと当時の教皇ユリウス2世のための、3層、40体の彫刻からなる壮麗な霊廟としてデザインされたが、ミケランジェロは同じユリウス2世からサン・ピエトロ大聖堂建設主任に任命され、さらにシスティーナ礼拝堂の天井画を任され、プロジェクトは長く中断。ユリウス2世の死後ふたたび再開したときには計画自体が大幅に縮小され、独立した大霊廟は、壁に備え付けの彫刻となった・・・とはいえモーゼ像の迫力は圧倒的で、ミケランジェロの代表作のひとつと数えられる名作となった。

 

 

 で、影響を受けやすいパパはロンドンに帰ってきてから急にセシル・B・デミル監督の「十戒」を見たくなり、すでに購入済み。222分の超大作である・・・・いつ見るか・・・・。

 

 

 もうひとつの至宝は、「聖ペテロの鎖」。彼がエルサレムとローマで獄中にあったときに使われた鎖だという。ペテロはキリストの弟子の筆頭、またサン・ピエトロ寺院がそもそもペテロの墓所の上に建てられた(実際に彼のものとも考えられる遺骨も出てきた)ということもあり、リアリティもあって有難みはひとしおなのである。

 

 

 腹も減ってきたが、教会を出た後もわれわれは負けずに歩く、歩く・・・・。かつてのローマの行政の中心、パラティーノ・・・そして目の前に現れたのがコロセウム。いやあ、とうとう来ましたか、かつてブルース・リーとチャック・ノリスが激闘を繰り広げた憧れの地、コロセウムへ!ここへたどり着くまでにパパはなんと40年余りもの時間を費やしたのだった・・・・・。

 

 

 コンスタンティヌスの凱旋門。凱旋門はもともと共和政時代は執政官の凱旋を祝うためのモニュメントだったが、時代が下ると皇帝のためのものとなる。これは当時、複数の皇帝による寡頭制による分割統治だったローマを再び再統一したコンスタンティヌス帝の、マクセンティウス帝への勝利を祝ったアーチ。コロセウムの脇を通り、フォロ・ロマーノへと続く。4世紀のはじめの話だ。

 

 

 いやあ、なんだか現実味がないな。

 

 

 行政の中心地、フォロ・ロマーノ。こちらは明日散策予定。

 このあたりからわれわれの行程はレストランを求めての彷徨となる。あさプリンセスにはお目当てにしていたレストランがあるにはあったようなのだが、予定はすべて未定。地図を頼りに、予約も何もなしにさ迷い歩いたのだったが、これは良く考えてみれば当日はバレンタインデーの夜、まったく無謀だった。結局お目当ての場所はどこも駄目だったのだが、おかげで夜景を満喫することができたとはいえる。

 

 

 フォロ・ディ・アウグスト(アウグスト帝広場)。アウグスト帝はジュリアス・シーザーの養子オクタビアヌスで、シーザーの死後アントニウスを破り、そのほかの政敵との権力争いにも打ち勝ち、それまでの共和制を廃止、帝政を敷き初代皇帝となった。フォロもしくはフォルムとは古代ローマの公共広場を指す。神殿・行政施設・商店などが集まりさまざまな社会活動の中心地となった。

 

 

 約40メートル、ひときわ高く聳え立つのはコロンナ・トライアーナ(Trajan's Column トラヤヌス帝の柱)。西暦113年に完成した、トラヤヌス帝の戦勝記念モニュメント。この一帯はフォロ・ディ・トライアーノ(トラヤヌス帝の広場)と呼ばれ、大きなマーケットもあり、一大繁華街であったという。

 

 

 ヴィットリオ・エマヌエレ2世記念堂とヴェネチア広場。ヴィットリオ・エマヌエーレ2世は最後のサルディーニャ国王にして、初代統一イタリア国王(1861-1878)。中世以来イタリアは小国に分裂しており、19世紀の当時はサルディーニャ王国、パルマ公国、トスカーナ大公国、教皇国家などがほかのヨーロッパ列強の後ろ盾を得て互いに権力争いをしていたが、次第に統一の機運が高まり、サルディーニャがリーダーシップをとってようやく19世紀半ばにして統一国家として独立した、という経緯。時代を考えると帝国主義競争に大きく遅れをとっていたのを、ようやくその遅れを取り戻すための体制を整えた、ということだろうか。ちょうど日本の江戸末期とも時代が重なって興味深い。

 

 

 マルチェロ劇場。ジュリアス・シーザーにより着工、アウグストゥス帝の頃に完成した劇場。ルネサンスの時期に最上階が作られ、こちらは現在でもアパートメントとして立派に住居の役割を果たしている。

 

 

 結局お目当てのレストランはすべて駄目、それでも宿にも近い、予めリストアップしていた場所が予約なしでもOKだったのでこちらに決定。そんな経緯ではあったが結局われわれ一家は大満足して宿に戻ったのだった。上は生ハムとグリルしたアーティチョーク。

 

 

 手前はパパが頼んだヴェルミチェリ・カーチョ・エ・ペーペ。「至芸の味」という名を持つようで、羊のチーズと胡椒だけであえた太目のスパゲティ。いやあ、驚いた、とにかく麺の旨いことと言ったら!最近のロンドンのイタリアンはどこも美味しくなったと、パパは心の底からそう思っているが、これを食べたら、やっぱり別物。とっさにパパは「ロンドンで中国人がこねたきしめん、讃岐うどんと現地ものの差」、というようなことを思った。本物を知らなかったパパはこのスパゲティは美味なのかそうでないのかよく分からない、しかしながらその強烈な存在感は、十分に衝撃だったのだ。珍味なり。

 向こう側にあるのは残念ながらメニューになかったカルボナーラの代わりにびっきーのためにオーダーしたパンキロッシュ。卵・グリーンピース・きのこ・ベーコン・胡椒の入ったソースであえた幅の広いパスタ。

 

 

 上はバベットという、トリフクリームのかかったローストビーフ。

 

 

 デザートはチョコレートのかかったアイスとヘイゼルナッツのアイス。

 

 午後10時ようやく宿へ。さすがにくたびれて、爆睡。