医学部受験に際して私は2浪しているので、2年間浪人生活を経験しています。

なぜ、1年目の浪人で合格できなかったのか。答えは簡単です。勉強量が足りていないだけでなく質がめっちゃくちゃ悪かったのです。

もちろん、朝8時半には予備校に行き、夜9時まで自習室に居て勉強していました。ですがその時間の全てが勉強に当てれていたかと言えば答えはNoです。

 そもそも私が医学部に行きたかったのは①生物が好きで人体に興味があった、②生きるということはどういうことなのか知りたかった、③当時は家庭内に自分の居場所がないと感じており、経済的に自立したいと思っていた、④人の役に立つ職業の4つの理由からです。

この中で、当時の私は自分が、家族から特に両親から愛されている実感がありませんでした。それは裏を返せば、「こんな卑屈な自分は愛情をくれない親のせい」「勉強できないのは、塾に行かせてくれなかった親のせい」「なぜ自分ばかり我慢しなくてはいけないのか」など、心の奥には親に対する恨みの気持ちと依存と寂しい気持ちが存在していたことになります。

そのため、せっかく自分の意思で予備校に行かせてもらっているのに(当時で学費は約60万、それに加えて交通費や食事代など膨大なお金かかってます)、「もっと自分の家にお金があれば講習だって受けられるのに」「勉強できないのは親が小学生の時に一緒に勉強してくれなかったからだ」とかとんでもない理由を並べては、模試の成績が芳しくない時や、勉強を苦痛に感じた時にそのようなこと思考ばかりを巡らせ、時間を浪費していたのです。情けない話ですがこれが事実です。ですがそんな私が変わった瞬間があります。

それは赤ちゃんを抱っこした瞬間でした。1浪目受験結果は散々で、医学部以外の学部にも全て落ち、涙を流すだけでは足りず、自分の髪の毛を自分で切ったり、ちょっと危ない方向に行きかけました。赤ちゃんを抱っこしたのはそんな時でした。まだ生後2ヶ月の姪っ子です。

想像できますか?生後2ヶ月の赤ちゃんです。まだ首もすわっていないし、5kgにも満たない赤ちゃんが、生きるため一生懸命だったんです。嘘偽りなく、一生懸命に呼吸して、眠って、ミルクを飲んで。生きることに全力なんです。その時に私は「これが命の重さなのか」と泣きたくなりました。「自分はこの命を守るために本当に努力したのだろうか。他人のせいにばかりして、言い訳ばかり並べていなかったか」とこれまでの自分が恥ずかしくなりました。その時に決めました。血を吐いてでも勉強してやる!と

 

 そこからは私の人生の再スタートです。恥もプライドも全部捨てて、そのままの自分で勝負です。

まず自分という人間を知るために両親に自分の良いところ、悪いところを聞きました。母には悪い点で自己中心的だと言われました。結構辛いですが、これが事実です。良いところは努力できるところだと言ってもらいました。

そして1浪目の結果を高校に報告に行きます。英語の先生には、「お前は女や、次であかんかったら諦めろ」と言われました。

予備校では阪大医学部に合格した人に合格の秘訣を突撃で聞きました。すると名も知らぬ人間が尋ねているのに、「予備校のテキストを徹底的にやること」と教えてもらいました。勉強できる人って本当に優しいんですよね。

 肝心の予備校のクラスですが、私は1浪目と同様の、医学部を目指すクラスとしては最下位のクラスを選択しました。

その理由は環境のせいではない。自分が変われば結果が変わると感じていたからです。もちろん、化学や生物は成績が上がっていて理解も深まっていたので、最も上のハイクラスにしましたが、英語や数学は徹底的に基礎が大事と思っていたので、ベースのクラス変更はしませんでした。そうやって、2浪目ではうまくいかない言い訳をする時間を徹底的に自分との戦いに費やすこと時間にする事に成功したのです。

というわけで姪っ子は私にとってはめちゃく大事な存在です。