はじめまして。おりんです♡
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我が子たちの頑張りを記録しつつ応援していくブログです♪
ときどき母・・
なのでくだらない内容も書きますw
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母が乗り越えてきたこと・・・
だいずのこと
他にも・・
病気のお話はこれから
まだまだ続きますが
今日はおまめのことを
書いてみようと思います
おまめは
低体重児としてうまれました
本来なら、うまれて最初に
ママの胸の上に置かれ・・
待っていたパパが抱っこし・・
5~8日
ママと一緒の病室で過ごす・・
そんな事を理想としますが
おまめに限っては
そんなわけにもいかず
2500gくらいだよと言われ
予定日を迎えました。
予定帝王切開です
出産当日・・
オペがはじまり5分くらい・・・
でしょうか。オペはとにかく早い
おまめがうまれました
母は目が悪いのですが
コンタクト禁止・・・
眼鏡もはずしてる・・・
そんなオペの中、うまれた我が子が
見えるはずもなく・・・
聞こえるのは医者の声だけ・・
『〇〇さん!!いや・・
思ったより小さいよ・・』
おまめの産声がかぼそく聞こえたか
どうかも忘れるくらい・・・
ショックが大きかったです
全く見えないし。
とりあえず無事にうまれたおまめ。
体重は2000gちょっとくらい
500gも違う
ようやくくるまれて母のもとへ・・
でも一瞬だけ
眼鏡かけさせてくれたけど
一瞬だしよくみえない
パパの抱っこタイムもなく・・・
そのまますぐに保育器のなかへ
この時、出産を廊下で待っていた
パパ・両家ジジババの前の
乳児室のガラスの向こうには
保育器に入った小さな小さな
赤ちゃんが
ババたちは
「あ!見て!
あんなに小さな子
かわいいねぇ・・」
とババーズは話していたそうです。
まさかのその子が自分たちの孫だとは
知りもせずに・・・
それからしばらくして
廊下待機の家族に連絡が。
ここで初めて知りました。
「えっ
あれ、うちの子」
今でもババーズは覚えているようです。
小さくて、確かにかわいい・・
でも自分の孫だとわかったら
さぞかし驚いたようです。
そして心配したそうです
なぜ帝王切開だったかは
またいつか書けたらなと思います。
ちなみにだいずも帝王切開だったので
必然的におまめも帝王切開でした
そんなこんなで
保育器の中のちいさなおまめ。
生まれたては、母の母乳の前に
新生児室でミルクをもらうようです
まだ母子同室にはなりません。
母はおなかをざっくり切っているので
当日は死んだように寝て休みます
翌日からは痛みに耐えながら
歩いて癒着を防ぎます
2回目なので要領はわかっていましたが
痛みは耐えるしかありません
おまめは、保育器の中で
ミルクをもらったようです。
母は起き上がれないので
翌日まで見に行けません。
こうして翌日の朝
おまめに会いたい気持ちで
必死に一人で新生児室の前へ
初めてちゃんと見る我が子・・
とっても小さかった
そこへ仲良くしてくれていた
助産師さんが来て
「赤ちゃん、ちょっとミルクの
飲みが悪くて・・
まだ先生に話してないんだけど
点滴みたいにチューブで
飲ませないとダメかも・・」
ただでさえ保育器に入るとか
心配で心配で仕方なかったのに
ミルクが飲めないとか何
ここで母は泣き崩れました
なんてったって
メンタルはおとうふなので
無理ですよ、不安で押しつぶされ
パニックになりました
大泣きしていたところに医者到着
「何泣いてんの」
こんな一言も
メンタルの弱い母には
怒鳴りつけられている感覚でした
ここで助産師から話を聞いた医者
旦那も呼ばれ急いで面会に。
夫婦で医者のところへ行くと
「こっちだって一生懸命
やってるんだから泣くなよ
ったくもうさぁ・・・」
となぜか怒鳴られる母・・・
余計に泣きますよねこれじゃ
一生忘れませんよ
別に医者を責めてもいないし
何も言ってないのに。
こうして泣く母と冷静な旦那で
話を聞くことに。
おまめは大きな大学病院へ行くことに
なりました。
ピーポーピーポー
新生児用の救急車が到着。
まわりのママたちも何があったかと
みてたりするし。苦痛でした
救急隊員の人が持っていたのは
まるでペットを入れるカゴ
持ち手のついたケージみたいな
小さなものでした。
え・・・あれに入れるわけじゃ
ないよね・・・
そう思っている間に
救急隊員の人が戻ってきました。
カゴの中には・・・・・
小さなおまめ・・・
母は
「よろしくお願いします」
と叫ぶしかできませんでした。
こうしてうまれた翌日には
母と子離れ離れに
しかも母は帝王切開なので
5日で退院する人よりも
長く入院は8日間の予定。
2日目から、みんなのところは
赤ちゃんが同室でお世話になります。
個室が空いておらず4日間くらいは
大部屋でした。
1日違いの子たちのママ3人と同室。
全員帝王切開です。
その4日間は悲劇でした・・・
だって、翌日からみんなは
赤ちゃんをみにウロウロ・・
3日目からは母子同室・・・
順番に個室にうつり
母も個室に移動。
みんなの部屋からは
赤ちゃんが泣く声・・・
母も歩かないといけないので
嫌でも廊下へ出ます。
目の前には新生児室・・・
赤ちゃんの泣き声・・・
食事も部屋からレストランに変わり
他のママたちと一緒。
ここで悪い癖がでちゃうんですよね
本当はみんなが幸せそうに
赤ちゃんの世話してるのなんか
みたくないし
泣き声も聞きたくない!
幸せトークなんか聞きながら
食事なんてしたくないよ!!
でもついいつもの癖で
フレンドリーに
みんなに話しかける母
人見知りが多い世の中
母みたいな誰にでもフレンドリーな
存在は喜ばれるのです
「話しかけてもらえてうれしい!
人見知りだから・・・・
誰かとはなしたかったです」
ですって。
それがまた嬉しくてやめられない
普段から顔は広いです
そんな母はHSP
旦那がおまめに面会にいった
動画や写真をみながら
搾乳をする日々・・
(搾乳したものを冷凍して
大学病院のおまめに届けてます)
そんな日々を過ごしていて
入院5日目の朝。
「体調が良ければ外出していいよ」
そう医者に言われたのです
ついにきました
おまめに会いに行けるのです
すぐに両親に電話をして
連れて行ってもらいました
おまめの病院に着き新生児室へ。
もちろん産婦人科の方ではなく
NICUです。
様態の悪い赤ちゃんたちがいるところ。
冷凍母乳を提出。
上着を脱ぎ、手を洗い消毒。
いろんな赤ちゃんがいるので
すごくしっかり管理されています。
こうしてやっと会えたおまめ・・・
ここでやっと
母、初めての抱っこです
入院していても
そんなに簡単には体重は増えません。
2000gより減る日もあった
ようです。(途中減るのが普通)
ここで初めての直接の母乳
まだ自分の体が痛むので
この日は早々に入院の部屋へ帰宅
とにかくほっとしました。
そして初めての抱っこ・・
小さくて壊れそうなおまめ・・
かわいかったです
生後7日目
だいずの時も帝王切開だったので
7日目はまだ入院中。
個室でお七夜の命名式をしました。
おまめの命名式は大学病院。
面会の関係で夜ではなかったけど
2回目の面会でひっそり命名式
この日は初の沐浴もして
おまめと母のふれあいタイム
そんなこんなで
母は8日目に無事退院。
それからは毎日おまめの面会へ
でもそんなに長くは続きませんでした。
体重はちょっと減って
2000gくらいだけど
ミルクものめるようになってきたから
退院できるといわれ
生後10日目におまめ無事退院
旦那が休みの週末を狙っての
退院でした
その日はだいずはジジババと留守番。
おまめにはチャイルドシートは
ブカブカだから
小さめ赤ちゃん用のクッションを
追加して使いました。
オムツも普通のより小さいサイズ
無事に帰宅し初家族写真
兄になっただいず
こうして、低体重の危機を乗り越えた
おまめでしたが問題が・・・・
入院中
チューブでミルクを飲んでいたせいか
食べること(飲み込む)に慣れておらず
幼児期は食べたら吐く、食べたら吐くを
繰り返すような子に
さらには
入院中にずっとおしゃぶりをくわえさせ
られていて、ゆびしゃぶりが癖に・・
(我が家はおしゃぶり使わない派でした)
こうして小学校入学までは
食事に難ありの子でした
偏食、少食、吐き癖・・
身体は華奢で、押したら倒れる・・
体力もなく、歩くとすぐに疲れる・・
そんな時代もあったねと~
By 中島みゆき 「時代」
そんなおまめも9歳に
低学年の時は身長も伸びてきて
最初はヒョロヒョロ・・・
吐きぐせも減ったけど
食後にちょっとでも走ると吐く・・
(高学年になり午後の体育もある
ので心配はつきません・・)
でも昨年から急に食事の量が増え
なんと今は
太りすぎメーターが・・・
体力なくてすぐに疲れる
運動苦手なおまめは
足に肉割れができてしまいました
あんなに小さくて心配したのに
今は体重と肉割れに悩む
イケメン男子
(ずっと言われてきました)
その面影は・・・・・
身長と体重は交互に伸びるというから
今は体重の時だとは思うけど・・
華奢から急激に増えたから
あまり歩いたり走ったりしない足に
肉がついてキャパオーバー・・・
なんだろうなと切実に悩んでいます
そんなこんなで
おまめの出生でも色々ありました
今こんなに大きくなって
嬉しい限りです
だいずもあれから異常なしだし
まだまだ苦労話はありますが
今日はこのへんで
長くなってごめんなさいね
読んでくれてありがとう
おまめの過去お
わ
り