こんにちは
少し間が開きましたが小塚原回向院のレポの続きになります!
↑小塚原回向院には幕末の志士のお墓も多くあります。
↑屋根に覆われているいかにも特別な感じのするお墓ですね。
こちらは安政の大獄によって処刑された橋本左内のお墓になります。
福井範囲の子として生まれた橋本左内は幼少のころから秀才の誉れ高く、福井藩主松平春嶽の知遇を得て藩政に参画。薩摩や水戸の志士たちと時勢を論じますが、将軍継嗣問題で一橋派を推挙したことから井伊直弼の安政の大獄によって、わずか26歳の若さで処刑されてしまいます。
西郷隆盛も彼の死を惜しんだといいます。
↑お墓は非常に簡素ですね。
↑そばには碑がありますが全然読めませんでした(笑)
↑こちらも橋本左内同様安政の大獄によって処刑された吉田松陰のお墓になります。
長州藩士の子として生まれ、私塾・松下村塾を主宰し伊藤博文、高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)、山県有朋といった幕末から明治に活躍する人材を多数輩出。また、幕末の尊王攘夷思想に多大な影響を与えた人物として有名ですね。
やはり手を合わす人が多いのか、お花が添えられていました。
↑ちなみに世田谷区にある松陰神社境内にもお墓があります。
↑こちらは頼三樹三郎(らいみきさぶろう)のお墓です。
江戸時代を代表する儒学者・頼山陽の第3子として生まれた頼三樹三郎は、幕府の黒船来航の対応を非難します。また公卿や宮家に尊皇攘夷を遊説したため安政の大獄によって処刑されてしまうのです。
ちなみに鴨厓とは号であり、
↑墓石脇にはきちんと三樹三郎の名があります(読みづらいですが)。
↑また松陰神社には三樹三郎のお墓もあります。
↑こちらは水戸藩士・鵜飼吉左衛門(うがいきちざえもん)と次男・幸吉のお墓です。
水戸藩主。徳川斉昭の命を受け、尊攘派の公卿と交わり、将軍継嗣問題や日米修好通商条約の勅許問題で大老の井伊直弼を批判。1858(安政5)年には鵜飼幸吉が戊午の密勅(朝廷が水戸藩に出した勅許)に関わっていたため、親子ともども安政の大獄によって処刑されてしまいます。
↑他にも安政の大獄や桜田門外の変に関わった志士のお墓が数多くあります。
奥にあるのが吉田松陰のお墓ですね。
こうしてみるとどれだけの人命が幕末という動乱の時期に失われたのか・・・・・・・・
しかも20代の若者もかなり多いというのがなんともいえません・°・(ノД`)・°・
↑こちらは奥羽越列藩同盟成立に尽力した米沢藩士・雲井龍雄のお墓です。
ただ、わたくし的には詩人の方のイメージが強いですね。
↑他にも二・二六事件の首謀者の1人である磯部浅一のお墓などもありました。
というわけで長くなりましたが小塚原回向院編は終了になります(。・ω・)ノ゙












