築地本願寺 その2 | 浮世な世界

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こんばんは


とうとう関東でも昨日の夜から雪が降り始めましたね。

幸い今日の朝には止んでいましたが、寒さは相変わらずです(((( ;°Д°))))



さて、前回紹介した築地本願寺なのですが、駐車場の隅っこに隠れるようにいろいろ見どころがありますので紹介したいと思います!





↑築地本願寺は浄土宗のお寺なので当然ですが開祖・親鸞の像がありました。





↑しかし、日本全国に親鸞、空海、行基にまつわる伝説や銅像があるような気がします(笑)





↑奥に墓石がいろいろあります。





↑こちらはお墓ではないですが、土生玄碩の顕彰碑です。


土生玄碩(はぶげんせき)は江戸後期に活躍した医師で広島藩医から幕府奥医師にまで昇進しました。白内障に関する治療で名を知られるようになり、シーボルトの教えを受けるようになります。

後にシーボルト事件(オランダ医師のシーボルトが国外持ち出し禁止の日本地図を持ち出した事件)に連座したと疑われて獄に入れられてしまいます。




↑こちらは間新六(はざましんろく)のお墓です。



播磨赤穂藩生まれの間新六は赤穂四十七士の一員として、吉良上野介の仇討に加わりその後ほかの四十七士たちとともに切腹します。

赤穂藩士や浅野内匠頭のお墓がある泉岳寺にもお墓があります。

なぜ二つお墓があるのかは不明ですが、縁者が檀徒だったか本人の希望ではともいわれています。





↑こちらは森孫右衛門(もりまごえもん)供養塔です。


江戸時代初期、江戸日本橋魚市場の基礎をつくったとされる森孫右衛門を称えるために1861(文久元)年、彼の200回忌に合わせて造られました。





↑こちらは酒井抱一のお墓です。


実は築地本願寺に来たのは、この方のお墓参りが目的でした(笑)





↑酒井抱一は江戸時代を代表する琳派の絵師です。


姫路藩主・酒井忠以の弟として生まれた正真正銘のお坊ちゃまですが、本人は政治などには全く興味を示さず早々に出家してしまいます。酒井家は元々文化・芸術に造詣が深く、抱一も絵画だけではなく俳句、狂歌、能、茶道なども好んでいました。

文人画家の谷文晁や、 南蘋派の宋紫石らに絵を習っていましたがその後尾形光琳に私淑します。琳派の継承者を自負し、数多くの琳派風の絵画を描いて一世を風靡しました。





↑日本美術史において重要な人物だと思うのですが、お墓はいたって質素でしたΣ(・ω・ノ)ノ!



では寒いのでそろそろお風呂に入りたいと思います(笑)