頼山陽史跡資料館 | 浮世な世界

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歴史好きの男子学生が史跡やお城をまったりと紹介するブログです!

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こんにちわ


今日は祝日だということをすっかり忘れていました(笑)


しかも、わたくしは鼻がグズグズで気分がすぐれずなんともなんとも・・・・・・・


これから冬になるといっつも鼻づまりになるからな~



さて、といわけで今日は広島旅行の続きです。


今日は頼山陽史跡資料館を紹介いたします!



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↑広島城近くにあるとガイドブックには書いてあったのですが、探すのにかなり苦労しましたよ(@Д@;


頼山陽(1780~1832)は江戸後期に活躍した儒学者です。

父も有名な広島藩お抱えの儒学者・頼春水で今回の旅行では彼のお墓を見てきたので後日紹介します。

頼山陽は18歳のころに江戸に遊学に出て、儒学者の尾藤弐州の門弟になります。

しかし、藩士の生活が耐えられなかったのか突如脱藩し、諸国を放浪、当然半から連れ戻され、幽閉されてしまいす。

これがかえって勉学に励むきっかけとなったのか、彼の代表作である『日本外史』の執筆を行うようになります。

この『日本外史』は源平から徳川までの武家の攻防を記したもので、尊王思想も多分に含まれていたことから幕末には志士のバイブルとして愛用されたようです。



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↑入り口にあるこの碑はどうやら一度原爆によって折れてしまった物を、またくっつけたものだそうです。

ここにも原爆による傷跡が・・・・・・・



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↑資料館では頼山陽に関する遺品や、彼が書いた書画などが展示されています。


頼山陽は、書や絵画などにも造詣が深く江戸後期を代表する南画家の田能村竹田や、陶工の木木米とも交流があったようです。



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↑また施設内には頼山陽の居室があります。


これは、脱藩して連れ戻された時に幽閉されたときの居室のようです。


残念ながら、これも原爆によって焼失してしまい、現在のものは1958(昭和33)年に再建されたものです。



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↑山陽はおよそ3年も幽閉されていたといいます。


わたくしだったらこんな狭い場所は耐えられませんな(((( ;°Д°))))



そんなこんなで旅行一日目はこれで終了です!

次回は二日目に行った場所、世界遺産の厳島神社を紹介したいと思います(・ω・)/



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