こんにちわ
今日はいいお天気に恵まれていますね。
昨日おとといは意外と暑くなく、しかも雨が降っていたりとコロコロ天気が変わっていました。
おかげで昨日からあまり体調がすぐれておりません(・_・;)
み、皆さんも体調管理には気を付けてください・・・・・
さて、今日は半月ほど前に行った木曽義昌公史跡公園を紹介したいと思います!
↑千葉県旭市にあります!
木曽義昌(きそよしまさ、1540~1595)は、信長の野望をやったことある方はご存知かもしれません(笑)
木曽家は信濃(現在の長野県)に領地をもっていた豪族で、その名の通り源平合戦で活躍した木曽義仲の流れを組むといわれています。
1540(天文9)年に木曽義康の嫡男として義昌は生まれますが、16歳の時に甲斐の武田信玄に攻撃をうけ木曽家は降伏してしまいます。
その後信玄の娘を嫁に迎えたことで、武田家一門として扱われ、飛騨・美濃方面の守備を任されるようになります。
信玄の死後も、後継者である武田勝頼に仕えますが次第に弱体化していく武田家を見限り、織田信長に臣従、その後徳川家康の下につきますが、信長の死後、羽柴秀吉が台頭してくると今度は秀吉の下につきます。
家康が秀吉に臣従すると、義昌はまた家康に仕えます。
そして、家康が関東に移されると義昌もこれに従い、下総(現・千葉県)に1万石を与えられ、1595(文禄4)年に下総国阿知戸(あじと、現・千葉県旭市)で亡くなります。
↑義昌の死後、遺体は椿海という湖に水葬されたと伝わっています。
現在は干拓によってなくなってしまいましたが、この公園付近が椿海の跡地だったようです。
↑なぜかタヌキが( ̄□ ̄;)!!
↑どうやら野球チーム(?)からの寄贈品みたいです(笑)
↑公園のそばにはお墓があります。
↑下総では城下町の整備や、灌漑事業などを行ったことで、名君として称えられているそうです。
↑木曽義昌の銅像もありました!
↑木曽家の領地だった信濃から関東に移るときは断腸の思いだったでしょうね・・・・・
現在、平家物語を読んでいるのですが、義仲と今井兼平の主従愛は泣けました(ノДT)
あんまり関係ないですが(笑)








