霊山護国神社・墓地 その2 | 浮世な世界

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歴史好きの男子学生が史跡やお城をまったりと紹介するブログです!

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こんにちわ!


昨日の霊山護国神社の記事の続きです!



といっても写真をただ載せるだけなのですが(笑)




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↑こちらは人斬りの異名を持つ河上彦斎(かわかみげんさい、1834~1871)のお墓です。


河上は熊本藩出身の尊皇攘夷論者です。


彼の起こした事件でもっとも有名なのは、幕末の思想家・佐久間象山を暗殺したことでしょう。


佐久間象山は信州松代藩の思想家であり、勝海舟や吉田松陰なども彼の影響を受けています。


彼は公武合体による海防論を主張していましたが、攘夷論者の恨みを買い河上が彼を暗殺してしまったのです。


河上はその後高杉晋作ら長州藩とも行動しますが、維新後に反政府運動を起こし処刑されてしまいました。




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↑こちらは攘夷派に武器などを提供していた商人・古高俊太郎のお墓です。


古高については以前記事に書いたので割愛させていただきます(笑)


古高俊太郎邸跡  ←こちらに詳しく載ってます





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↑こちらは長州藩士・久坂玄端(くさかげんずい、1840~1864)のお墓です。


久坂玄端は吉田松陰の松下村塾で学び、高杉晋作ともに「松下の双璧」と呼ばれた人物です。


松陰の死後、尊皇攘夷運動に参加し、土佐・長州・薩摩・水戸などの志士と交流し尊皇攘夷の急先鋒となります。


後に脱藩し、横浜外国商館襲撃を計画、イギリス公使館焼討ちなども行います。


1864年の蛤御門の変の際に。流れ弾に当たり鷹司邸で自刃してしまいます。



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↑こちらは高杉晋作(たかすぎしんさく、1839~1867)のお墓です。


彼は・・・・・・・説明しなくても大丈夫ですよね(笑)




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↑こちらは長州藩士・来島又兵衛(きじままたべえ、1816~1864)のお墓です。


来島又兵衛は長州出身の尊攘派志士です。


1855(安政2)年に藩の大検使役、次いで所帯方頭人となり、1863(文久3)年四国艦隊下関砲撃事件には参謀として活躍しました。


後に藩主の雪冤運動の急先鋒となりますが、蛤御門の変で戦死してしまいます。



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↑こちらは長州藩士・吉田稔麿(よしだとしまろ、1841~1864)のお墓です。


彼は吉田松陰の松下村塾に入門し「松下の四天王」と称された人物です。


無駄口を聞かず、謹直重厚な人物であったらしく師の松陰にも目を掛けられていたそうです。


松陰の死後は、高杉晋作率いる奇兵隊に参加し討幕運動を始めます。


しかし、1864(元始元)年、京都の池田屋で、志士たちと話し合っていたところを新撰組に襲撃され討ち死にしてしまうのです。





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↑こちらは近代陸軍の創設者・大村益次郎(1824~1869)のお墓です。


大村は長州出身の軍学者で、緒方洪庵の適塾で医学を学びました。


1869(明治2)年に兵部大輔となり、諸藩混成の士族的御親兵を国民的な近代軍隊へ改組するため、フランス陸軍、イギリス海軍を模範とした兵制改革を行います。


しかし、旧士族の反感を買い暗殺されてしまうのです。



以上で霊山護国神社の説明は終わりです。


なんか最後はダラダラと説明するだけになってしまいましたね・・・・


もう少しブログ書くのうまくなりたい(´・ω・`)


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