福井藩邸跡碑 橋本佐内寓居跡碑 | 浮世な世界

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こんにちわ


もう学校が冬休みに入ったせいか、家でだらだら過ごしてしまっています(・・。)ゞ


しっかりせねば(笑)



さて、今日も京都の記事を更新しましょう!


今回は、福井藩邸跡碑、橋本佐内寓居跡碑を紹介します!



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↑実はこの碑があったのは二条城の前のホテルで、偶然発見したものなんです(笑)




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↑このように碑がありました。



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↑案内板もあります




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↑福井藩(越前藩とも)は、家康の次男である結城秀康(ゆうきひでやす、1574~1607)を祖とする大藩です。


藩主が家康の親族でもあったため、以後、藩主は松平の姓を名乗ります。


ちなみに福井藩の藩主で有名な人物に、松平慶永(春嶽)(1828~1890)がいますね。


彼はもともと御三卿の田安家に生まれ、11歳で福井藩主となります。


彼は、中根雪江や横井小楠など優れた側近を使い、軍制改革や財政再建に取り組みます。


将軍継嗣問題では一橋慶喜を擁立しますが、安政の大獄で謹慎を命じられてしまいます。


しかし、その後は政事総裁職として復帰し、維新後は民部卿や大蔵卿などの要職を歴任します。



さて、この福井藩邸跡碑のとなりには、



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↑福井藩士の橋本佐内(1834~1859)の碑もあります。



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↑橋本佐内は緒方洪庵に蘭学・医学を学び、江戸に遊学をするほど勉強熱心な人物でした。


その才能を藩主松平春嶽に認められ、藩政改革に尽力するようになります。


彼は、藩校・明道館に洋書学問所などの西洋文明を導入します。


さらに幕府の外交問題や、将軍継嗣問題にも奔走しますが、安政の大獄によって斬首されてしまうのです。




しかし、偶然にもこのような史跡を見つけてラッキーでしたね!


二条城の反対車線にあるので、みなさんも二条城に寄る前にぜひ(笑)



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