こんにちわ
昨日は年末も近いからか、バイトがメチャクチャ忙しかったです。
なのでさっき起きました(笑)
さて、今日は水戸藩の藩校であった弘道館(こうどうかん)をご紹介します。
弘道館は1841(天宝12)年、第9代水戸藩主徳川斉昭(1800~1860)が水戸城内に創設した藩校です。
藩士に文武両道の修練をつませようと武芸、医学、蘭学、天文学など幅広い学問を取り入れました。
今の総合大学のようなものですね。
↑読みづらいですが弘道館と描いてあります(笑)
↑最後の将軍徳川慶喜もここで勉学に励んだそうです。
↑入り口です!
ちなみに受付で水戸城のスタンプがもらえるのでお忘れなく(笑)
↑こちら正庁です。
ここで学問を教えていたそうです。
弘道館に入れる年齢は15~40歳と結構幅が広かったそうです。
勉強に年齢は関係ないですからね!
この弘道館では水戸学という水戸藩独特の学問が教えられていました。
この水戸学というのは、2代藩主徳川光圀(黄門さまです)が編纂した歴史書「大日本史」を通じて広まった学問です。
わたくし、この水戸学というのは難しすぎて全くわからないのですが(←おい!)、どうやら尊王攘夷論を特色とする学問だそうです。
なんで水戸徳川家が尊王?と、思うのですがここはわたくしの勉強不足ですorz
↑弘道館内です。
↑中は相当広かったです。
↑これはなんだろう??
↑こういうところで、武芸なんかをやってたんでしょうね。
↑トイレですね。
使用禁止ってわかってるわ!(笑)
↑こちらは銃痕です。
さきほども説明しましたが、水戸藩は水戸学を奨励したことで、尊皇攘夷の気風が藩全体を占めるようになります。
しかしその後、藩内では急進派の天狗党と保守派の諸生党が対立するようになり、1864(元治1)年に天狗党が筑波山でついに挙兵します。
これがいわゆる天狗党の乱で、この藩内抗争に勝利した諸生党が藩を掌握します。
しかし1868(明治元)年に戊辰戦争が勃発すると、新政府軍は諸生党を朝敵とし、追討令を出します。すると天狗党の残党がそれに呼応するかのように勢力を盛り返し、水戸城下で諸生党を襲撃するのです。
弘道館も戦場となり、多くの建物・書物が焼失する大惨事となってしまったのです。
・・・・・このように幕末の水戸では多くの血が流れてしまうのです。
う~ん考えさせられるなぁ。












