江戸城 その4(皇居東御苑) | 浮世な世界

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さて、ではいよいよ江戸城メインの本丸・二の丸・三の丸跡をご紹介します!



前回の記事でも書きましたが、これらは現在は宮内庁が管理する東御苑の中にあります。


東御苑は皇居付属の庭園であり、一般の方も無料で中に入ることが出来ます。


ただ、入園時間や休園日があるため注意してください。




では、東御苑に残る遺構をご紹介したいと思います(`・ω・´)ゞ






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東御苑の入り口は、大手門、平川門、北桔橋門(きたはねはしもん)の3ヶ所から出入りできます。


今回は北桔橋門から入りました。



この門は橋を上げることで、本丸との通行を完全に遮断することができるという便利な門です。


江戸城にはこの北桔橋門と西桔門の二つしかないそうです。




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↑門から少し歩くと天守閣跡が見えます。





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↑こちらが江戸城天守閣跡です。


現在は天守台の石垣しか残っていませんが、築城当時は壮麗な天守閣が築かれていたそうです。



江戸城天守閣は、慶長、元和、寛永の3つの時期に建て直されています。


慶長、元和については資料が残っておらず、詳しいことはわかっていないそうです。



資料が残る寛永期の江戸城については、五層六階の大天守だったそうです。




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じつは、江戸城天守閣は江戸幕府ができてからわずか50年ほどしか存在していませんでした。



どういうことかといいますと、1657(明暦3)年の1月に大火災が発生してしまうのです。


後に「明暦の大火」といわれるこの火事によって、江戸市街の6割が焼失し、死者も10万人を超えるという大惨事になります。


そして江戸城にも火の手がせまり、天守も焼失してしまうのです。



当時の将軍・家綱(四代)は、すぐに天守の再建に着手します。


まずは加賀の前田家に天守台を築かせ、「さぁ、いよいよ天守の再建だ!」と、工事をしようとしたときに、ある人物が「待った!!」をかけるのです。



その人物は保科正之(ほしなまさゆき)という会津藩のお殿様。


彼は「今はもう戦いがねぇんだから、ハッキリ言ってジャマじゃね? つーかそんなんに金使うより、町の復興資金に使ったほうがぜってーいいって!!」と進言したのです。(セリフはわかりやすくアレンジしましたwww)


そしてこの意見が受け入れられ、現在まで天守は再建されることなく、天守台だけが残ったというわけなのです。


ちなみに、





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↑天守台には、籠城戦にそなえるための井戸がありました。




ホントはもう少し書きたかったのですが、もうそろそろバイトの時間なので本日はこの辺でC= C= C= ┌(;・_・)┘