アメリカ合衆国大統領選挙の総選挙 | この世は舞台、人生は登場

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大統領選挙表紙

大統領総選挙(General Election)


 民主党も共和党も新年早々から、それぞれの代表者を選ぶために予備選挙を開始します。そして党を代表する大統領候補者を一人に絞り、それぞれの党大会において正式指名を行います。そして指名を受けた二人の大統領候補者によって、事実上の一騎打ちの選挙戦が戦われます。そして議会法「11月第1月曜日の次にくる最初の火曜日(the first Tuesday after the first Monday in November)」に従って、次回2016年の総選挙は11月8日火曜日に行われます。特別なことが無い限り、その日の夜には勝敗が判明して、当選した民主党か共和党の候補者が、マスコミで勝利宣言をだします。



総選挙では誰を選ぶのですか?

 11月8日の選挙では、大統領を直接的に選出するわけではありません。大統領を選ぶ人を選挙する日です。それゆえに、正式には「大統領選挙人選挙」と呼びます。



アメリカ総選挙投票用紙
大統領投票箇所

上の添付画像の上部は、2004年のマサチューセッツ州と2012年のミネソタ州の投票用紙です。そして下部はマサチューセッツ州の投票用紙の大統領をマークする箇所だけを拡大したものです。

 上の投票用紙からも分かりますように、書かれているのは大統領候補者の名前のみで、選挙人のことは何も書かれていません。有権者は大統領候補の名前が書かれている右側の丸い空欄を塗りつぶすだけなのです。即その行為は、マサチューセッツ州に割り当てられている11人の選挙人を投票するという行為に他なりません。



選挙人とはどんな人?

 はっきり申し上げれば、現代では選挙人などという制度は必要ありません。大昔からの因習がしつこく残っているだけ、と言っても過言ではありません。この選挙人の制度を知るためには、合衆国の建国の時代にまで遡る必要があります。

 イギリスとの独立戦争を共に戦い勝利をおさめた13の州は、1787年5月25日にフィラデルフィアにおいて「憲法制定会議」を開催しました。まず、ジョージ・ワシントンを議長に選出して、「各州は代表団の多数決により1票を持つ」という表決方法を取り決めました。そしてその年の9月17日に憲法草案は採択され、それぞれの州に持ち帰って、州議会において批准作業を進めました。その憲法草案は、13州の三分の二以上(9州)が批准すれば効力を発効することが申し合わされていました。その批准手続きは決して順調ではありませんでした。批准手続きをした順番を下の表に示しておきましょう。

憲法批准手続き
憲法制定会議の過程

 成立に必要な全州の三分の二にあたる9番目の州としてニューハンプシャー州が批准した時点で、合衆国憲法として効力を持つことになりました。しかし全州一致を目的としていましたので、その後も批准作業は続きました。しかし、バージニアとニューヨークの二大州が批准した段階で、まだノースカロライナとロードアイランドの2州が批准を拒否していましたが、合衆国憲法に従った大統領選出作業を開始しました。

 その大統領選挙を規定している憲法は、「第2条第1節2項」です。
「各々の州は、その州の議会が指定する方法で、割り当てられた選挙人を任命すべし(Each State shall appoint, in such Manner as the Lesislature thereof may direct, a Number of Electors)


 現在行われている大統領選挙は、有権者が、直接、大統領候補者に投票するのではなく、その候補者を支持する大統領選挙人を選挙によって選び、その選挙人が大統領を選挙によって選任する間接的方式を採っています。しかしこの憲法の条文をみる限り、大統領を民選にしなければならないという規定にはなっておりません。憲法制定会議において、モリス(Gouverneur Morris)が現在の選出方式でもある「各州の人民により選挙人が大統領を選出すべきである」という動議を出しましたが、6対5で否決されました。そのかわり、ラトレッジ(John Rutledge)が「連邦議会での両院合同投票により選出する」という、日本の総理大臣選挙に似た方式を動議しましたが、その方は7対4で賛成されたほどでした。(参照:M.ジェンセン『アメリカ憲法の制定』)。しかし最終調整の段階で、上の条文の表現におさまりました。

ジョージ・ワシントンを初代大統領に選出した選挙人

最初に割り振られた下院議員の定数
開国13州と定数

 憲法作成時は、下院だけの一院制だけで議会を構成する予定でした。しかしそれでは、人口の多いマサチューセッツとペンシルベニアとバージニアの三大州には有利でしたが、小さな州にとっては圧倒的に不利でした。そこで、人口に関係なく平等に2名ずつで構成される上院を増設しました。そして大統領選挙人の各州の定数は、その州の下院と上院の割り当て数の合計ということになりました。その結果、上に示しました下院議員の定数に2名を加えた数が、初代大統領を選出するための各州に割り振られた選挙人の定数になりました。
 1788年7月にニューヨークが憲法草案を批准した時から、各州は大統領選挙人の選出作業を本格化しました。その選出方法はそれぞれの州に一任されていましたので、州を幾つかの選挙区に分けて選挙によって選んだデラウェアのような州もあれば、ジョージア州のように民選によらないで、州議会で指名されるだけの所もありました。とにかく選ばれた選挙人たちは、憲法第2条第1節3項「選挙人は銘々の州で会合すべし(The Electors shall meet in their respective States)」に従い、また1788年9月13日に開催された「連合会議(Confederation Congress)」において可決された「1789年1月7日公布、2月4日選挙」という選挙法に従い、大統領選挙人選挙が行われました。
 その選挙において13州に集まった選挙人の合計は、憲法の規定通りであれば91人のはずでしたが、実際には22人も少ない69人だけでした。その欠員の原因はといえば、まだその時点では憲法批准を拒否していたノースカロライナの7名とロードアイランドの3名が参加しなかったことは当然です。しかし、バージニア(定数12)は2名の欠員を出してしまいました。その州は、12選挙区に分けたがために、一つの区で選任作業に失敗して決まらず、もう一人は大統領選挙当日に欠席してしまいました。さらにメリーランド(定数8)は、一般投票での選出はすべて順調に進みましたが、肝心の選挙日当日に2名の選挙人が欠席してしましました。さらに大量欠員を出した州がありました。それは会議の開催都市のニューヨーク州(定数8)でした。この州は最後まで憲法草案の批准に手こずっていましたので、いまだに大統領選挙法が州議会で可決されていませんでした。結局、大統領選挙日の当日までに選挙人を選出することすらできませんでした。


 
大統領選挙人によるワシントンへの投票結果は?

 1804年の憲法修正第12条で、大統領と副大統領が別々に立候補して別々に投票する現在の形式に修正されるまでは、「二名連記投票方式」といって、大統領候補者の名簿から二名の名前を併記して、最も得票の多い候補者が大統領になり、次に多い候補者が副大統領になるという方式でした。その方式に従って初代大統領の選挙の模様を再現してみましょう。


最初の大統領選挙

 合衆国の建国時の予定では91名の大統領選挙人によって正副大統領を選任する予定でしたが、上述しましたような不手際のために、22名も少ない69名で選挙をすることになりました。立候補者は、ジョージ・ワシントン、ジョン・アダムス、ジョン・ジェイ、ロバート・ハリソンなど12名でした。ワシントンが満票の69票で大統領に当選しましたので問題はありません。もし、最多得票者であってもて,「任命された選挙人総数の過半数(a Majority of whole Number of Electors appointed)」に達していなかったならば、下院で決選投票が行われることになっていました。次点のアダムスが34票で副大統領に当選しましたが、総選挙人69票の過半数は35票なので、次点ではあっても34票でしたので過半数に達してはいませんでした。しかし幸いにも、副大統領選出には最多得票数と同得票数の時は上院において決選投票をするという規定はありましたが、過半数の条件は抜けていましたので、アダムスが副大統領になることができました。


現代の大統領選挙人

 トマス・ジェファーソンが第3代大統領に当選した1800年の選挙の時、選挙人選挙ではアーロン・バーと73票ずつの同票でした。その結果、下院で決選投票が行われましたが、35回も投票がやりなおされて、36回目でようやく決着がつきました。その反省のもとに、1804年の修正12条で現在の方式に修正されました。しかし選挙人の持つ「一票」の重みは、格段に軽くなりました。
 少なくとも旧憲法下の選挙人は、自分の意思で投票することができました。しかし現在の選挙人は、各党の大統領候補者を選挙するためだけに選任されます。すなわち政党が所属候補者に投票してくれる人に依頼して党の選挙人になってもらうのです。投票用紙からも分かりますように、名前が載っているのは正副大統領候補だけで選挙人のことは名前さえも書かれておりません。しかも「勝者独占方式(Winner-Take-All)」といって、1票でも多く得票した大統領候補者は、その州に割り振られた選挙人の全ての票を独占する方式なのです。ということは、選挙人になってほしいと依頼した候補者が落選すれば、その次点で仕事はなくなります。また自分の候補者が当選しても、やることといえば、当選した大統領候補者の名前を書いて、自分の名前を署名することだけです。その日時は議会法で決まっていて「12月第2水曜日の次にくる月曜日(the first Monday after the second Wednesday in December)」なので、2016年の選挙では12月19日に州都に集まって署名儀式をするだけです。まさしく形式だけの役割しか持たない大統領選挙人なのに、なるための資格だけは厳しく規制されています。憲法第2条第1節2項で「上院議員と下院議員と国家公務員」を任命してはならないと規定しています。また南北戦争の影響で制定された修正第14条では、「元議員や公務員で国家転覆にかかわった者」も規制対象になりました。その他の事項は、各州と各政党に任されました。



2016年12月19日に行われる事

 憲法の規定に従えば、12月19日の大統領選挙人による選挙の結果を見なければ当選者は判明しないはずなのに、11月8日の総選挙(大統領選挙人を選ぶ選挙)の時点で勝敗が決定して、民主党か共和党のどちらかの候補が勝利宣言を出します。それは個々の政党が選任した選挙人は、必ず選任された政党の候補者に投票するに決まっているからです。
 現行の大統領選挙人による選挙の方式は憲法修正第12条に規定されています。その規定に従って結果の明らかなことを粛々と進めれば良いのです。
 選挙人は、それぞれの州で集会して、大統領と副大統領を無記名で投票します。ただし、その正副大統領のうちのどちらか一方は必ず他州の候補者でなくてはなりません。そして選挙人は、選出したい大統領と副大統領の名前を別々の無記名投票用紙に記入します。その後、選挙人は、大統領候補として投票されたすべての人の氏名と得票数、また別に副大統領として投票されたすべての人の氏名と得票数を、それぞれ別々のリストにまとめ、すべての用紙に署名し、認証したうえで封印して、ワシントンD.Cの連邦議会上院議長宛てに送付しなければなりません。しかし、実際には下に添付してような書類になっています。


2000年のニューヨーク州の選挙人が署名した書類
選挙人のサイン


不忠選挙人(Faithless Elector)

 総選挙(大統領選挙人選挙)で勝利した大統領候補者が勝利宣言を出し、世界中がその候補者を次期大統領として認めます。それは、自らの政党が公認した選挙人は、その後の大統領選挙でも自分の政党の候補者に投票するものだと確信しているからです。確かに総選挙の結果が覆った例はありませんが、最初に決められていた大統領候補者に投票しなかった選挙人もいました。その選挙人を、私の独断的な日本語訳ですが「不忠選挙人(Faithless Elector)」と言います。その幾つかの事例を紹介しておきましょう。

1836年大統領選挙
 民主党から副大統領候補として指名されたリチャード・ジョンソンが、黒人女性と同棲ていたことが発覚したので、バージニア選出の23名の選挙人が不支持に回わりました。その結果、過半数の選挙人を獲得することができず、上院において決選投票が行われ、結局、当選を果たしました。
 
1872年大統領選挙
 再選を目指す共和党のユリシーズ・グラント大統領と選挙戦を戦っていた民主党のホレス・グリーンレイ大統領候補は、11月の選挙人選挙終了後に死亡してしまいました。獲得した66名の選挙人のうちの63名は、死者に投票することを拒否しました。その63名のほとんどの選挙人は他の民主党候補者に投票し、少数の者は棄権した。

1976年大統領選挙
 ワシントン州の弁護士マイク・パディングは、共和党の大統領候補ジェラルド・フォードの選挙人になりましが、共和党の予備選挙でフォードに敗れたレーガンの方に投票しました。

1988年大統領選挙
 看護士マーガレット・リーチは、不忠というよりも「間抜け選挙人」です。リーチは、ウェスト・バージニアの民主党の選挙人に選ばれましたが、党大会の決定に反した投票を行なってしまいました。民主党の副大統領候補ロイド・ベントセンに大統領票を、大統領候補のマイケル・デュカキスに副大統領票を投じてしまいました。

2000年大統領選挙
 ワシントンDCから、アル・ゴア大統領候補を選出するために選ばれた民主党の選挙人バーバラ・レット-サイモンズは、ワシントンDCから連邦議会に議員を送ることができないことを抗議して、投票を棄権してしまいました。
(注)ワシントンDCは、連邦議会に上院も下院も議員を送る権利をもっていません。しかし、1961年に成立しました憲法修正23条において大統領選挙人だけは選出する権利をえました。しかし上院・下院両議員を送ることは修正23条の発議の折に出されましたが、現在も承認は得られていません。


2004年大統領選挙
 共和党ブッシュが大統領二期目を目指した選挙において、対抗馬になった民主党の大統領候補はケリーで副大統領候補はエドワーズでした。

ブッシュとケリー

 その選挙では、ブッシュが勝利しましたので問題にはなりませんでしたが、民主党に不忠選挙人(間抜け選挙人)が出ました。その事例は、ミネソタ州で起こりました。総選挙では民主党が勝利をおさめて、その州の定数10票を獲得しました。そして和やかな雰囲気で選挙人による大統領選挙が形式通りに進行しました。投票が終わりメリー・キッフメイアー州務長官とトニー・キールクッキー副長官が投票用紙を数えました。ところが10票あるはずのケリー票が9票しかなく、副大統領候補者のエドワーズに大統領票の1票が入っていました。このミネソタ州の失態のために、2004年の選挙の最終集計は、ブッシュが286票で当選、ケリーが251票で次点、エドワーズが1票で三位となりました。
 これまでに不忠をした選挙人の合計は157名で、その内訳を大まかに分類しますと、個人的心情により不忠をした人は81名、選挙前に候補者が死亡したので不忠をした人は71名、棄権した人(投票すると宣誓して引き受けたのですから不忠この上ない人)は3名、間抜け選挙人は2名です。このような不忠選挙人が増えることは選挙制度に問題を起こします。それゆえに29州とワシントンDCは罰金や法的告訴を設定していますが、まだ21州では無罪放免にしています。


 では、2016年11月8日火曜日の総選挙だけでなく、12月19日月曜日の選挙人による大統領選挙のことも注視していましょう。