製作後100年ほど経過した白鞘です。刀身の研摩と同時に修復を施します。

白鞘は、研摩毎に新調する必要がありますが、初心の方の中には研摩時に研ぎ代以外の費用が発生することが納得いかず、後日怒鳴り込んでいらっしゃる方もいます。

 

もちろん、白鞘をそのまま用いても刀身を研摩したことには変わりありませんが、白鞘内の錆びが刀身に移って再度刀身が錆びたり、高い確率でヒケの原因になります。今回のご依頼も、再三のご説明にも関わらずご理解頂けず、白鞘を新調するならば古い白鞘用にツナギを作ってくれ・・・などのやり取りに辟易してしまい、それならばと古い白鞘を修復することにしました。

 

分解の図:シミの様なものがいたるところに発生しているのがお判り頂けますでしょうか?これが、もらい錆びやヒケキズ発生の原因なのです。

この後、錆が浸透している部分を削って、場合によっては漆を用いて補修を施します。

倉庫を整理していたら、面白い刀身が出てきました!

 

蕨手刀といって、東日本を中心に縄文系の狩猟民族が用いた道具といわれています。これは、もちろんレプリカですよ!

 

この蕨手刀は、日本の製鉄文化の起源を考えるうえで、大変重要な鉄器です。一般的には、日本刀の変遷は大陸から渡来した直刀から湾刀へと形状が変化したと考えられています。

しかしながら、渡来系弥生人の直刀に対して、もっと古くから日本に土着していた縄文人の蕨手刀の方が、日本刀の起源により近い存在の様に感じます。

 

イメージ的には、蕨手刀が馬上戦闘用に長寸となり、刀身の力学的な逃げ場を作る為に茎をくり貫いてスプリング力を強化し、毛抜形太刀の原形となったのではないでしょうか?

 

蕨手刀 → 毛抜形太刀 → 太刀 → 打刀

 

茎をマジマジと見ていて思うことは、茎尻の蕨部を摘むとタナゴ型の寸延び短刀の刀身と、ほぼ同じ形状になるということです。

 

相州伝短刀に見られる特有の作り込みは、実は蕨手刀から来ているのではないか?と思えてなりません。ところが、「蕨手刀の茎尻を摘むと、タナゴ型になる」とした解説や文献を今まで見たことがありません。

現存している蕨手刀の鍛え(赤目砂鉄由来の鉄は、ある程度同様の鍛造技術を用いなければ実用化できない?)や沸の強い直刃基調の焼き刃(鍛え同様に材料の特性からくる強制時効硬化時の条件設定?)も、明らかに相州伝へと繋がる技術と感じます。

 

律令国家によって俘囚と蔑まれ東夷と虐げられた縄文系人種が、己が誇りを守り続ける為に技術の継承と共に縄文魂を伝えたとするならば、長年の悲願成就が坂東の独立つまり鎌倉幕府の登場と考えると歴史ロマンを感じます。

長らくお預かりしている軍刀拵製作のお仕事です。

戦時中の軍刀身に、一緒にお送り頂いた別の軍刀外装を着せるという作業内容ですが、刀身と鉄鞘の反りは合わず、合わせ物のハバキで間に合わせており、外装自体の状態も経年劣化が激しいため、修復と加工に猛烈な時間がかかっています。安易に考えていた刀装具の入手にもてこずり、結局一から切羽やハバキを作ることになりました。

 

ところで最近、状態の良い軍刀拵をほとんど見かけません。

価格が上がっているというよりは、物自体が少なくなっている様に感じます。現存の軍刀拵は、出兵までの時間的な制約の中で突貫工事的に作られたものが多く、分解してみると完成度の低いものが大多数です。そのため戦後は、軍刀拵と言えば粗悪品の代名詞のような扱いを受けてきました。

 

ここで明言しておきたいことは、軍刀拵は日本歴の中で最後に行き着いた刀剣外装であることは否定できない事実です。陣太刀拵え様式の実用一辺倒の作り込みで、刀剣外装の歴史を踏襲し、さらに当時の製造技術の粋を集めて設計・量産されました。もはや、伝統工芸の技術だけでは修復すらできません。

 

敗戦のイメージが濃厚で無駄に忌み嫌われてきた傾向があるのかもしれませんが、国を思い戦地に赴いた先人の思いが忍ばれる外装様式であることは否定できません。また、高級仕様の刀装ともなると、唸るほどの美しい外装も存在します。というわけで、今回も実用の美を加味し、高貴な造形美を再現します。

 

以前の高級仕様軍刀拵の製造時の記録はこちら!

 

お送り頂いた柄前(左)と、新たに作った柄下地(右)です。柄成りの違いがお解かり頂けますでしょうか?軍刀体配の刀身に着せるには難しい工作になりますが、英霊へのオマージュとして作り上げます!

 

やっとカタチになってきましたが、まだまだお時間頂きます。妥協せずに良いものをお作りしたいと思います。

こちらの地金をご覧になって、皆様でしたらどちらに極められますでしょうか?(毎度ながら、写真が下手糞です!刀の写真がうまい方は、本当に尊敬します。)

 

鑑定的な表現で紹介しますと、匂口絞まる直刃を焼き、地金は良く積んだ無地肌風となります。

 

ちなみに、内曇を入念に引いて拭いをかけています。写真時、後刃は拾っていませんが、後日化粧しました!結局数日かけて、鑑賞研磨を施してしまいました(笑)。

 

 

さあ、お判りになりましたでしょうか?

 

ヒントは、若干鉄が白けた感じを受けます(拭いで色合いを調整しているので、写真からは分かりにくいです)。本品は四字銘?ですが、一般的には受領名で呼ばれています。

 

 

 

 

ボチボチ解答です。

 

 

正解は、肥後守(肥後隆義)でした!近所の文房具店で、数百円で買える便利グッズです。

 

全く無意味ですが、下地を整形し、入念に研摩を施しました。茎がなくて折りたたむ形状の為、ハバキ元?周辺は砥石がとどきません(笑)。

 

解説には直刃と書きましたが、ひっかけです(ごめんなさい)。刀身に「本打割込」と刻印されている通り、実際は刃金と地金の鍛接面です。

そして、地金ですが何度見ても良く積んだ新々刀地金にしか見えませんが、これこそが無鍛錬の鉄に入念に砥石を当てた時の景色なのです!(軽自動車の板バネでも確認済み)。肌?だけ見たら新々刀期の大阪・肥前あたりに紛れます。

 

では、なぜただの鋼材が鑑賞の魅力あふれる鉄味を楽しませてくれるのでしょうか?それは刀剣研摩という技術が、鉄に高度な芸術性を付加する技術であって、そもそも肌など無いはずの鋼材でも鑑賞に堪えうる要素を加味してくれるからです。

 

 

上級テクニックですが、真の刀剣の美しさを鑑賞するには、表面の技巧的な美しさに惑わされないように、表層を頭の中で一枚剥いで鑑賞する技術を身につけることが重要だといいます。

 

最近、蕗鉄鍛えなる刀身(茎に銘記あり)を研摩しましたが、どう考えても無地肌の鉄板の様な研ぎ味でした。この蕗鉄なる材料は、おそらく溶鉱炉製の鉄という意味であろうと思いますが、玉鋼由来の鉄とは何か違うものの吸い込まれるような美しい地金でした。

刀剣の価値を大きく決定付ける要素に、「健全性」があります。

 

健全性とは、状態が良い!という意味ですが、これには重要な論理的意味合いが込められています。例えば、「三段論法」という推論方法を用いると、論理的思考を養うことができます。

 

三段論法とは、二つの前提(大前提、小前提)から結論を導く推論の仕方のことですが、刀剣の鑑定においても掟や特徴などの統計学的な前提条件を当てはめることで、妥当な結論を導き出す推論の一つにほかならないのです。

 

ところで、健全ではない刀身の状態(欠点)の最たるものの一つに、焼け身があります。

 

焼け身とは、刀身が火を被ったことで、焼入れで得られた刀身の硬い部分(刃紋が出現している箇所)が失われた、或いは失われた焼き刃を再構成するために再焼入れをおこなった刀身です。

一度焼き刃を失った刀剣は、刀匠が意図した完成の状態に戻すことが難しいため、作刀時の設計が狂ってしまいます。

これでは、鑑定することが難しいので、「著しく健全さを失っている」=「刀剣の価値がない」と、考えられています。

 

では、焼け身を見分けるにはどうしたらよいのか?ですが、中には焼け身に見えない焼け身や、そもそも刀匠が二度焼きや焼き直しを施している場合もあるため、鑑別は大変難しいものです。

 

 

この刀身は、茎に熱が加わったことによって火肌といわれる焼け身の特徴がよく出ています。

 

 

このがさついた茎の肌の状態を覚えておいてください!近年に火を被った茎は、このような火肌が出現します。

 

刀身の切っ先のほうだけ焼けてしまっているものもあるので、必ず茎に違いが出るとは限りませんが、一つの判断基準としてご参考になさってください。

トータルバランスを考慮した、刀剣リフォーム案件です。

刀身は、ある程度修復を終え、外装の修復及び作り替えの最中です。

 

ご予算とお任せ度合(丸投げ)の条件から、当初の設計を作刀期の時代様式に見定め、元々付属していた尾張系の道中差し?(柄巻き欠落)をベースに、修復を施します。

 

 

刀剣の外装は、顔ともいうべき柄前を変更する事で、印象を大きく変える事ができます。今回は刀装具の入手が遅れ、時代考証に影響が出てしまったので、改めて下地から作り直すことにしました。

 

荒削り中の柄下地です。

 

柄成を変えることで目指す外装様式に近づけていきます。

如何に柄前が重要か?ということが、柄成ひとつとっても一目瞭然だと思います。

錆身の修復にて鰯状の刀身を研摩し、戦国期の片手打ちを目指した設計を立てて外装を製作していたところ、ご依頼者様より一歩遅れて目貫が届きました。お送り頂いた目貫は、典型的な化政文化の影響を受けた江戸期の作域でした・・・。と言うわけで、参りました!当初の設計がぶれてしまいましたので、改めて研ぎから設計の変更を施し、柄成りを改めるために柄下地から作り直すことにしました。

 

 

この御刀は、大和系などによく見られる薙刀直し風の菖蒲?鵜の首?造り系の刀身なのですが、実はこのタイプの刀身、知る人ぞ知る研ぎ方で印象がガラッと変わる面白い作り込みなのです。

 

こちらが、当初の設計上目指していた外装に似合う仕上げ研ぎ仕様。

 

違いがお解かりになりますでしょうか?そうです!横手を切るか切らないかによって、雰囲気が全く違う刀身に生まれ変わるのです。さらには、横手の位置を変えること(もちろん極端な場所に横手を切ると修復大失敗にもなりかねません)によって、印象をガラリと変えることもできます。下地研ぎで体配を汚していないので、仕上げの化粧を変えるだけで、いつでも雰囲気を変えることができます。

 

鋩子の追加によって、グッと引き締まって見える効果があります。

 

ここからは個人的な見解ですが、南北朝期の刀身やおそらく造りなどは、本来横手を想定していなかったのではないでしょうか?横手というのは、のちの時代に見栄えや締まり感などの改善のために確立された技巧の様に感じるのです。たぶん打刀拵の登場以降、研摩技術が確立していく中で、刀剣研磨の条件のようになっていったのでは?と思います。

 

今後のトータルバランスの設計方針は、江戸期の高級仕様脇差しを目指して工作を続けたいと思います。いずれにしろ、設計の途中からの変更は、大変な労力を要します。

雨模様が続く異常気象な日々ですが、久々の心地よい日差しの中、かねてよりお誘い頂いていたブルーベリー狩りへとお邪魔しました。

 

 

お伺いしたのは、古代製鉄の要衝として以前より興味を持ち続けてきた、東京都稲城市です。稲城市は、多くのご縁からたびたび訪れる機会を頂戴し、訪れる度に製鉄の地理的条件と一致することから、独自の説を裏付けるまたとないチャンスと感じると共に、都度新しい発見の連続に興奮が冷めません。

 

今回は、小高い傾斜地(小田良地区)に作られたブルーベリー畑へお邪魔し、楽しみながらブルーベリーを摘ませて頂きました。ここでとても気になったのが、ブルーベリー畑のある谷戸の地名「小田良(こだら)」です。

類似した地名として、日野の大多良が思いつきます。
大多良周辺は、デイダラボッチの伝説や関東最古の製鉄の遺構があり、周囲の川では豊富な砂鉄を採取することができます。のちに相州鍛冶発祥の土壌となった高度な製鉄文化圏がそこにあったことが伺える地域なのですが、稲城も古い地名や渓流の形状、古代信仰の名残などなど、何から何まで製鉄文化の存在を指し示しています。

 

ここで、ブルーベリーについてのお話しですが、ブルーベリーは酸性土壌を好み、長く栽培を続けると土壌が激しい鉄欠乏を誘発することが知られています。鉄欠乏状態のアルカリ化した土壌では、ブルーベリーは鉄欠乏症(クロロシス)に陥ります。

これは、ブルーベリーの根の細胞膜表層にある3価鉄還元酵素活性が、酸性土壌の時に至適なpHとなって働くものの、アルカリ側にpHが傾くと酵素活性が極端に低下することが原因です。3価鉄イオンが根の表層で還元されて2価鉄イオンにならなければ、ブルーベリーの根は鉄を吸収できなくなってしまうというわけです。

 


このように考えると、過去(7世紀頃~)に製鉄が行われていた地域やその可能性のある地域では、ブルーベリーの栽培に最適な条件がそろっていることから、土壌改善などの大規模な労力を費やすことなく、比較的安定した条件で栽培が可能になるのでは?などと、安易な考えを巡らせながら、頂いたジャムに舌鼓を打つのでした(笑)。

マイペースなものつくり生活を送っていると、どうしても世間の潮流に鈍感になります。ここ数日、刀剣愛好の集まりから新規の修復相談まで、やけに来訪者が集中しているな~と思っていたら、連休中だったことに今更気付きました(笑)。

 

とはいえ、趣味を同じくする方々との語らいの時は、本当にあっという間に過ぎてしまいます。このような交流の輪がジワジワと広がっていく事に今更ながら感謝の気持ちでいっぱいになります!


さてさて、最近の来訪者の傾向から、特に気になることがあります。
それは、来訪者間で知識に大きな差が感じられるということです。

交流が長く心許せる友人たちのグループは、既に鑑定士や職方と同等かそれ以上の知識を身につけており、私自身そんな友人らから教わることも多いので、刀剣に限らず文化を楽しむ時間を共有させて頂いているという感じです。
逆に、初心の方やこれから刀剣を趣味にしたいと思ってご来訪される方は、感情論や自己解釈が先行しているケースが多く、その都度頭を切り替えなければ会話が成り立たないことが多いのです。

また、例え著名な愛好家でも、バランスよく知識をお持ちとは限りません。鑑定はよほどの知識をお持ちでも、外装や刀装具となると初心者以下ということはざらにあります。逆に、有数の刀装具コレクターなのに刀身が一切みえない方もいます。さらには、高名な武道家で刀剣の操作は名人級にも関わらず、 真剣と模造刀の違いすらわからない方もいます。

ちなみに、私が最も気になっていることは、刀剣愛好と刀剣を用いる武道をバランスよく嗜まれている方の実に少ないことです。刀剣を知るには、その使用法にも理解が及んでいる必要があると考えています。
日本刀を最も扱う刀剣職人の中で、人生で一度も武道を経験していない方はほとんどいないと思います(少なくとも私の知人の職方で武道未経験者は皆無です)。


刀剣や武家文化というものは、多岐に及ぶ教養と知識が要求される、大変奥深いものです。それが故に、どうしても得手不得手といった分野が発生することは半ば当然のことでしょう、そんな中にあって各々が情報を共有し学ばせて頂くのだ!という気持ちを忘れずに尊重し合えれば、より良い方向に文化を護り・育てる関係を築けるのではないでしょうか。

 

そして、そんな楽しい時間は、あっという間に過ぎてしまうものなのです。

刀剣鑑定の醍醐味は、何と言っても上の出来です。地刃の働きの鑑賞となると、時を忘れて楽しむことができます。

ですが、いざ購入となると、下の出来にも目を向けなければなりません。目垢の付いた刀は、それなりの理由があるということを常に念頭に置いてください。上は古名刀でも、下は圧倒的に若い!という刀剣は、ゴロゴロしています。

 

この木片は、近所を散歩中に拾ったただの木の板です。

 

何の木か?もよくわかりません(笑)。

なぜ拾って来たかというと、身幅と重ね、反り具合(本来木材に用いない表現です)が、ちょうど日本刀の絶妙な体配を内包していてグッと来てしまって、持って帰ってきました(笑)。

 

鑑定自慢の知人に茎の肉置きを説明する為、拾ってきた木の板を即席で茎状に整形し、健全な茎の状態についてご紹介しました。

 

改めて、無銘鑑定は難しいな~と感じます。