出来立てホヤホヤの柄縁金具です。



現代刀などの身幅が広く重ねが厚いお刀は、なかなかサイズの合う柄縁を見つけることができません。

ヤフオクなどで、サイズの合う刀装具を片っぱしから競り落とすという方法もありますが、実物が届いてみないと実際に使用可能かどうか判断できない場合もあり、若干乱暴な感は否めません。

そこで、今回は柄前の新規製作に合わせて、新たに縁金具を作成しました。

日本刀の操作性に大きな影響を与える一つの要因として、柄成りがあります。
柄成りとは柄前の形状のことなのですが、居合や抜刀などの武道に用いる場合には、刀身の能力を引き出しかつ使用者の体型に合った柄前を製作することで、より精確な刀剣操作が可能になります。

武道の高段者の中には、「道具のせいにするな!」といった指導をされる先生もいらっしゃいますが、そういう方に限ってご自身のゴルフ道具はオーダーメイドで拵えていたりします。
確かに初心の方などは、ある程度の技術を習得するまでは、肉体改造に取り組まなければなりませんが、極端な言い方をするとフルフェイスのヘルメットに合わせて頭蓋骨を整形するとか、体格に合わない背広を着こなすために筋トレをするようなものです。
そこで、十分に刀剣操作をおこなえる武道家の方には、ご自身に合った外装製作をご提案しています。

ちなみに柄成りは、柄縁の形状にある程度依存する傾向があるため、柄縁選びはとても重要な意味があります。

柄縁を新規で製作する場合、柄前の形状を作り上げてから柄縁を作ることが出来ますので、柄前師としてはお勧めの工作なのです。
4月29日は、「昭和の日」でした。
というわけで、修復のご依頼にてお預りしている軍刀身と付随の98式軍刀拵のビフォアーメモを記します。


終戦後69年を経て、健全な状態にて保管されている軍刀は、数が少なくなってきました。
この度のお刀も多分に漏れず、戦後の紆余曲折を経て、お世辞にも良い状態とは言えません。


柄と茎が合っておらず、常にグラグラしています。
刀身の目釘穴と柄前の目釘穴が合わず、目釘を入れることも出来ません。


外してみると、案の定、別のお刀の柄前でした。柄下地から作り直さなければなりません。


刀緒は、何故か猿手と接触する箇所が切断されています。


柄成は、刀剣のものとは言い難いほど重ねが厚く、竹刀を持っているようです。
ストッパーは、あらぬ方向に曲がっており、金属疲労の懸念を感じます。


柄下地は、亀裂が入り常にギシギシと音がします。


鮫皮は短冊状に張り付けたもので、部分的に数枚の鮫皮が使われているため、製作当初より強度の補強としての機能はありません。


切羽は、全種類番号が違い、形状もイビツです。


鍔の鍍金は剥離しており、ストッパーの櫃穴に亀裂が発生しているため、刀身を傷つける懸念を感じます。


ハバキは完全に刀身と合っておらず、今すぐにでも刃マチを破損してしまいそうです。
太刀ハバキを新規にて製作予定です。


最も気になる箇所として、後家鞘の反りと刀身の反りが合わず、途中から無理やり入れている感が気がかりです。
刀身だけは真面目な研ぎが施されており、折角の研ぎあがりの刀身が寄せ合わせの外装によりヒケやキズを負っています。

以上、どこから手をつけてよいものか・・・全く検討がつかない状態ですが、全てが当該お刀とは無関係の刀装具で構成されてるだけに、ご提供いただいた部品を用いて一から軍刀拵えを作り上げるつもりで製作を開始したいと思います。

近所を散歩中に、長らく建設中であった公共施設が完成していました。



徒歩圏内でアウトドアが楽しめるバーベキュー場です。



これから夏に向けて、近所の大学生などで賑わいそうな予感がします。



友人らを呼んで、バーベキューなど楽しそうですね!

本日、小荷物が届きました。

中から、単行本サイズの短歌集が出てきました。



私は、刀剣の世界で独立するまで、長らく製薬業界に身をおいて糊口を凌いできました。

著者の蛭沼考人氏とは、当時同業者として知り合い、その後も細々と交流を続けて参りました。


お互いに、高い感性を持って生きていくには世知辛い世の中でしたが、サラリーマン時代に知り合った方の中では、非常に崇高な意識をお持ちでした。


その後いろいろなことがあったようですが、このたび一つのカタチとして短歌集を出版されたことは大変喜ばしく、心からエールを贈りたいと思います。

今日は、プロのカメラマンの方がお見えになりました。



十分な設備のない中、家庭にある小物などを工夫して刀剣の写真撮影を行いましたが、「なるほど!」と思わず納得してしまうようなプロのテクニックを間近に拝見することができて、とても楽しい時間でした。


ちなみに、写真は鎌倉期のウブの太刀です。

錆身の研磨依頼でお預かりしている短刀身です。



写真のとおり、身幅が狭く重ねが厚い、ゴリゴリな体配です。

こういった特徴的な短刀身は、「鎧通し」などと呼ばれています。


読んで字のごとく、甲冑武者が組打ちになった時に有効な武器なのですが、今回のお刀も錆びた状態です。

砥石を当ててみたところ素直な地鉄で、純粋に戦国期とうなづける刀身です。


錆身の面白さの一つは、職人サイドの見方として、修復の工程が進むにつれてだんだんと正体が分かっていくことでしょうか(笑)

本郷台にあるいたち川沿いの桜並木が満開です。



春の陽気に誘われて、散歩に出かけました。


こんな心地よい日に、家に閉じこもって工作をしているなんて、なんだかもったいない気がいたします。

研磨中の錆身の働きが見えてきました。



若干肌荒れがありますが、まさしく波平です。


もう少し時代が下がると、肌がより均一になり綾杉がかった柾目が特徴になりますが、下の銘を鑑みて妥当な働きだと思います。

私はこの時代の波平が好きなのです。


後は、帽子を切るだけですが、「やけに早研ぎだなあ~」と思われましたでしょうか?

実は、片面しか研いでいないのです。


なぜそんな馬鹿なことをするのか?というと、急ぎ展示に供するための研磨なのです。

美術館などで目にする刀剣は、大概指表しか見ることができません。


ひょっとしたら、指裏は錆身のままかもしれません(笑)。

愛刀の一振り(錆身)に砥石を当ててみました。



茎は、写真の如き磨上底銘にて「波平安□」。

□は、私には「秀」に見えますが、定かではありません。


整形研ぎの段階で、粗目の備水に乗せると・・・

うわ~ドロッドロ、柔らかい地金の砥石あたりのよろしいこと!


この感触は、備前の物とも大和本国とも若干違います。

10年程前に研いだ金剛兵衛の記憶に似ています。


この感動を誰かに伝えたいのです。というわけで、ブログにアップしてみましたが、伝わらないですよねえ~残念です。

刀剣の名義変更を依頼され、只今代筆中です。




今回は東京都登録のお刀なのですが、「都」という字を見ていてフッと意味が気になり始めてしまいました。というわけで、「都」について調べてみました。

ネット検索によると、東京都の設置は、昭和18年(1943)7月1日にさかのぼります。
それまでは東京府と東京市があったようですが、これらを廃し東京府の範囲に東京都が設置されたという記録があります。

ただし、私が気になったのは「都」という一文字なのです。
日本中探しても「都」とつく行政区画は、東京しかありません。
「当たり前だ!」と思われるかもしれませんが、なぜ「都」という漢字を用いたのでしょうか?

「都」という字は、中国の周王朝期つまり霊王の時代には既にポピュラーな使われ方をされていたと思われます。
春秋時代の大国で、地理的に日本と近い「斉」の国(多分他の国々でも同じ)では、まちが以下の様に定義付けられていました。

・30の家が集まると邑(ゆう)
・10の邑が集まると卒(そつ)
・10の卒が集まると卿(きょう)
・3つの卿が集まると県(けん)

邑も卒も郷も県もまちのことを指すので、規模によって呼び別けられている以外は大きな違いはないと思います。

では、「都」なのですが、こちらは公室の先君の廟があるまちのことを指すらしいということが、宮城谷昌光著「晏子」のなかで書かれています。
ということは、「都」はまちの規模に関わらず、公室の直轄領という意味合いが濃厚であると感じます。

では、日本ではどうか?と考えると、東京都制が施行された昭和18年から考えて、東京都とは大正天皇の廟のあるまちという意味なのではないでしょうか?

再度、ネット検索をしてみると、出ました!
「大正天皇以後、天皇・皇后の陵は、東京都八王子市の御料地内に作られることになり、武蔵陵墓地が成立した」とのことなのです。

あぁ、すっきりしました(笑)。

ちなみに、東京都の銃砲刀剣類等所有者変更には、登録証の写しを添付することとなっているようですので、皆さまお気をつけくださいませ。