所用にて千葉へ出かけました。



千葉県の市街地から少し離れた小高い岡の上に、亥鼻(いのはな)という地域があります。
一見変わった名称のこの地区には、城郭建築を模した郷土博物館や千葉大病院など大規模な公共施設が立ち並んでいます。
この地には広大な遺跡群が眠っており、長い間、地域全体が聖域として信仰の対象であったことがわかります。



特に気になるのが、以前から気になっていた千葉大病院構内にある七天王塚です。



詳細は一切不明という七天王塚ですが、平将門に関係があると言い伝えられています。



七つの塚①



七つの塚②



七つの塚③



七つの塚④



七つの塚⑤



七つの塚⑥



七つの塚⑦



七つの塚を上空から線でつなぐと、北斗七星の形に配置されています。
間違えなく妙見信仰と関係があります。

我が街の最寄り駅である本郷台駅には、かつて七石山という関東最大規模の墳墓遺跡がありました。
古地図をみると、北斗七星の形をした山で、同様に妙見信仰との関りを感じます。

また、本郷台の七石山から亥鼻の七天王塚の方角を見ると成田山があり、その先には香取神宮があります。さらにその先に鹿島神宮が、ほぼ直線上に点在しています。
これは偶然の一致ではなく、意識的に配置されているのだと思います。
何らかの形で、相模次郎平将門が関係しているかもしれませんね。
鮫皮を漆で塗り固めました!



強靭な刀剣外装の代名詞のようになっている肥後系の拵えです。

掟通り、鮫皮を漆で塗り固めます。
今回は重厚感を出すために、わざと色むらが出るように仕上げました。
この色調を出すために、何度も何度も薄く重ね塗りを行いました!
やっと思い通りの色が出てくれて大満足です。

去年中に仕上げるつもりだったのですが、予想以上に漆の発色の研究に時間がかかってしまいました。
我が街の鎮守、春日神社へ初詣に行きました。



春日神社は、永禄8年(1565年)再建といわれる比較的新しい神社です。
しかしながら、鎮座する小高い丘の形状などを鑑みると、平安時代の山ノ内首藤家による創建時の遺稿跡に再建されたと考えてもあながち間違っていないと感じます。



小菅ヶ谷地区には、もっと古い時代の遺跡が数多く出土しており、地形や地名などもことごとく製鉄技術に関連があったことが想像できます。
今日、相州伝の発祥は鎌倉時代に始まることが定説ですが、栄区(旧山ノ内郷)の出土品や製鉄跡などをみると全くの間違えであることが判ります。
因みに、JR本郷台駅周辺には、昭和初期まで七石山という霊廟遺跡があり、渡来人又は蝦夷にとっての死者の谷であったと推測されます。



話は変わりますが、以前恩師から頂いたお守りです。
毎年鶴岡八幡宮のお守りを身に付けていますが、今年は居合神社にすがりたいと思います。
皆様、明けましておめでとうございます!
今年もよろしくお願い申し上げます。

と言うわけで、年を跨いで刀剣外装の修復中です。
 


この柄前は、拵えの新規作成にてお預りしているお刀に付属していた外装です。
見るからに歴史を感じる高級感あふれる時代拵えでした。分解するまでは・・・。

柄糸を外してみると、ご覧の通り。
鮫は一枚どころか、継ぎ接ぎだらけの短冊、大きめの親鮫は何やら人工的な親粒を埋め込んであります。

全ての工作が真新しく、古い柄下地をベースに、近年に鮫皮を寄せ集めて貼り付けて、それらしく柄巻きを施しただけの悪意を感じる代物でした。

江戸時代の職人の技に勉強させていただく最大の機会と思って、年越しビックイベントにとっておいた作業なのですが・・・、分解してみてガッカリ。残念な年越しになってしまいました(笑)

この手の工作は、新たに柄前を作るよりも時間も労力もかかる場合があり、あえて行なう理由はただ一つ。
高額取引を狙って鑑定家や愛刀家を騙すため、商売人が職人と結託して製作します。
伝統的な修復技術が用いられてしまうと、専門家でも見抜くことは難しいです。

見分け方としては、柄巻きが比較的新しい時代拵えは、何かしらの加工が施されていると思った方が無難です。
今日は、茨城県取手にある陽武館市村道場にて、本年最後の合同稽古に参加しました。



久しぶりにお会いする方や初めてお会いする方など、関連道場から集まった皆さんと交流を持つことができました。
また、技の手解きなどを先生方からご指南頂き、大変貴重な時間を過ごす事ができました。

写真は、剣道形の演武。
青魚のおいしい季節です。



今日は、釣れたてのアジを刺身で頂きました!うまい。

ハマっ子に魚嫌いはいない?と思いますが、有史以前から坂東武者の主食は魚でした。
時代が移り変わっても、基本的な食材と料理法は変わりません。
それが、無形文化遺産にも登録された和食の底力です。

和食の調理には、鋭利な刃物が欠かせません。
それが和包丁です。
和包丁の使用で最も重要な作業は、研ぎです。
最近は、料理人の中にも包丁が研げない人が増えてきていると聞きます。
そんな人たちのために、和包丁はドンドンと固くなっています。

かつては白紙の包丁が高級品とされていましたが、最近では青紙やV10の包丁が重宝されています。

ちなみに、包丁と刀剣を同じように考えている一般の方が多いと思いますが、全く違う刃物です。

包丁は、食材の鮮度を保ちながら加工を施すための道具ですが、刀剣は、乱暴な扱いを受けることを前提に製作された武器です。
使用法ばかりか、製法から日々の手入れまで全く違います。当然、修復の概念も違います。
そして、各々の研ぎの意味合いも変わってきます。
研ぎ師は、刀剣の研磨が出来るからといって包丁の研ぎがうまいとは限りませんし、逆もまた然りです。

刀匠の中には包丁やナイフの製法を研究されている方もいらっしゃいますが、大半の刀匠はまともな包丁一つ作れないというのが現実です。

というわけで、私は飾りではない実用を意識した作品作りに力を入れています。
現在作成中の柄前です。鮫着せが終了しました!



この鮫皮は、たいへん高価な献上鮫であったそうです。

ある名刀の外装として用いられていたものの、第一次刀剣ブームという刀身ばかりが評価された時代に離れてしまいました。
その後も刀装具が外され、最後に恩師のもとに残骸として保管されていました。
私が受け継いで約10年になりますが、ついに使用する時がきました!
長く親交を育んできた友人のお刀に使って頂くことが、最も有意義であろうと考えたからです。

今回も総着せですが、以前は前垂れに加工されていました。そこで今回は刃方合わせに加工しました。
理由は、指し裏で腹合わせにする技法には、鮫皮を一枚巻きにしていることを見せ付ける意味合いがあり、茶の湯の価値観を引き継ぐ江戸肥後拵の精神性から逸脱すると考えたからです。

ちなみに、同様の鮫着せ加工の上に柄巻きを施してしまうと短冊に見えることから、悪質な刀剣商や職人に巡り合ってしまうと、総着せ指定で製作依頼をしても短冊着せで工作をされることがあります。
当工房へ持ち込まれる修復のお刀も、オーナーは一枚で巻いてあると思い込んでいたものの、実際は短冊だったということが散見されます。

こればかりは、素人では柄巻きを外してみないと見分けがつかないため、工作が簡単な短冊着せで柄前を拵えられてしまうのです。
何年も後に、そんな詐欺行為が発覚して気分の悪い思いをすることを考えると、安価な工作や納期の速さに惑わされず、真面目な仕事をしてくれる職人と長くお付き合い頂くことが、日本の伝統工芸の将来にもつながるばかりか、長く使用できる愛刀に仕上がります。
刀剣の研磨では、砥石をいろいろなサイズに加工して用います。



この砥石は、コッパなどと呼ばれる小さな砥石の破片です。

作り方はいたって簡単!バイクのリアサスやスイングアームに内曇を括り付けて、近所を一周してくるだけ。
パラパラと剥がれて、使い易い手頃なサイズのコッパに仕上がります。
その際袋に溜まった砥石の粉も、研汁に溶かして最後の一粒まで研磨に使います!
刀剣類の愛好というのは、他の趣味に比べて圧倒的少数派だと思います。
しかし、長らく武家文化の象徴的な職業道具として、文化の中心に据えられていたことも事実です。
そのため、高い技術と文化・精神性を兼ねそろえた伝統工芸品の最高峰と位置づけられてきました。

少数派と言えば、長く発行されてきたナイフの月刊誌が休刊をむかえるそうです。
私は、ナイフの事はほとんど分からないのですが、同じ刃物として定期的に書店に並ぶ雑誌があること自体に感心していたので、この度の休刊はちょっと残念な気がします。

細々とでも、続けていく事の重要性というのは、伝統工芸の世界でも同じ事だと思います。

とうわけで、先日すごい雑誌を発見しました!



目にした時の衝撃ときたら、鳥肌が立つほどでした(笑)

何事も、続けていこう!そう決意を新たにする良い機会になりました。
そう、月刊むしのように・・・
古名刀の研磨中。



働きが豊富なお刀です。ずっと研いでいても飽きがきません。

とは言え、腰がない!シナエこそ出ていないものの、力を込めて砥石に押し当てるだけでグニャリと曲がります。そして、大問題は帽子が抜けていることです!

以前の研ぎ師さんも苦労されたと見えて、うまいこと書き帽子を施していました。
さてさて、どうしたものか・・・。

とりあえず、寝ます。