柄糸の巻き替えのご依頼です。同時に、目貫の交換をご希望になっており、持ち込まれたのがこちらの金具。

 

ご覧になって、何か違和感を感じますでしょうか?

 

そうです!両方とも表目貫の形状をしています。この手の金具は、実は刀装具ではありません。ひっくり返してみると・・・。

 

煙草入れの金具です。

 

刀剣の目貫と大きく異なる点は、前出のとおり型にはめて作られているため、形状が同一です(競馬といって真の愛刀家は、この手の金具を拵えに用いることを嫌います)。また、とても薄く作られているため、大きな力が加わると凹んでしまうことがあります。

一見、良い出来に見えるものもありますが、それもそのはず廃刀令まで目貫を作っていた金工が製造に関与しているため、やけに完成度の高い作品が散見されます。

 

目貫として煙草金具をお持ち込みになられた場合、さすがに掟が逃げることと安全面から、やんわりと使用を控えて頂くようにアドバイスするのですが、どうしても使いたいと仰る場合は、涙を呑んで強度の補強を施します。

 

裏面に松脂と菜種油を煮て作った薬煉(くすね)で裏張りをします。

 

鉛で埋めても良いのですが、熱が加わるため古色に影響が出ることを極力防ぐ必要があります。

とは言え、極力刀剣には刀装具を用いて頂くことが、機能面から見ても重要です。

今日はあいにくの雨にも負けず、毎月楽しみにしている刀剣愛好の一日でした。

朝から友人たちと集まって、刀剣に関する情報交換や考えを披露し合って盛り上がりました!

 


昼食後は、横浜刀剣会の鑑定会に参加。

 

概ね鑑定会では、古い順に鑑定刀が並びます。今回は、集中して挑みたかったので、しばらく席に座って遠目に見ていたのですが、どうもおかしい・・・。一号刀から順番に、室町(応永備前)、南北朝摺上げ(相伝備前)or慶長、南北朝短刀(相州伝)、江戸(大阪新刀)、室町(千子?)の様に見えます。「遠目に見ただけで何をいうか!」と思われるかもしれませんが、刀剣鑑定はゲームですので基本的に典型作しか出題されませんので、こういった楽しみ方も出来ます。

 

というわけで、私の見立ては以下の通りです。

 

今回は典型作の出題ばかりで外しようが無いだけに、天位に届かなかったことは落第点でした。

 

解説は、以下の通りです。

 

一号刀は、紀州徳川家伝来、応永12年期の盛光。

 

二号刀は、柳生家伝来、大摺り上げ金粉銘長義。焼刃の雰囲気が長義には見えず、あえて義景に入札しましたが、同然でした。

 

三号刀は、コンプトンコレクションの長谷部国信。出来はまさに国重でした。

 

四号刀は、津田越前守助広。遠目に見て助広と極め、確認しに見に行きましたが上の出来は典型的な助広でした。

 

五号刀は、鍋島家伝来の村正。こちらも、遠目にみて千子と見ていたので、確認しに見に行って自信を持ちました。
 

この村正は、肥前の名工忠行が摺り上げ加工を施し、裏側に切付銘を刻んでいます。

 

佐賀藩が倒幕運動を開始したのは、鳥羽伏見の戦いで幕府軍が敗れるのを見届けてからのことでした。佐賀藩は、交易などから強大な軍事力を持っていたものの、ぎりぎりまで攘夷とも開国とも佐幕とも倒幕とも示していませんでした。ところが、戦局が官軍に有意にはたらくと見るや、上野の彰義隊に襲い掛かり、東北戦線においても大いに活躍し、官軍の勝利に貢献しました。その象徴となる一振りが、この村正であることが分かります。

 

 

ちなみに、茎尻を摘む以前の形状は、以下の如くです。

 

こちらは、 戊辰戦争時の官軍最高司令官有栖川宮熾仁親王の指料で高松宮家旧蔵の村正です。

 

鑑定会の後は、日が暮れるまでいつものカフェでマッタリと刀剣などの話題を楽しみました。ご参加下さった皆様、今回も誠にありがとうございました!

日本刀の形状で、鎬造りの刀身に横手の無いものを「菖蒲造り」とよびます。一般的なカタチではありませんが、古い刀身にまま見かけることがあります。語源は、菖蒲の葉に似ていることから、「菖蒲造り」と名付けられたと言われています。

 

梅雨の合間の楽しみと言えば季節の草木!鎌倉中央公園へ行くと、美しい菖蒲の花が咲き誇っていました。

 

季節を代表する紫陽花!過ごしにくい気候ですが、心洗われる花々に和みます。

 

 

今年は、例年に比べて我が家ではノミが大発生してしまいました。

 

発生源を撲滅するため、部屋中の大掃除、例外なく居候たちも・・・。

 

不愉快そうな表情、二度洗いにうんざりの図。

 

ノミ取りシャンプーに、動物用薬、のみ取り粉・・・、それでも外へ行きたがる懲りない面々。すっきりきれいになりました!

東京を代表する和太鼓集団『鼓遊』さんのコンサートへ行って来ました。

 

 

稲城市にある駒沢学園の記念講堂にて、頭の木崎さん率いる鼓遊の皆さんが、心身に障害をもつ子どもたちの支援を目的に、チャリティーコンサートを開催されました。会場は、1階席2階席共にほぼ満員で、人気の高さが伺えます。

 

 

今回は、特別にご招待を頂き、コンサートを拝見させて頂きましたが、毎回大迫力のパフォーマンスに言葉にできない感動を頂いています。

 

このような素晴らしい文化が日本に残っていることに感謝すると共に、より多くの方と感動を共有したいと心から思います。

 

本当にすばらしい!

 

今日この日一日を生きていることに、改めて感謝してしまうほどの心揺さぶられる感動体験でした。

ご来訪ありがとうございます。早いもので、関東はついに梅雨入りしてしまいました。ホウノ木には良い季節ですが、身体の疲れが抜けにくい季節ですのでどうぞご自愛下さい。

 

先日、鯉口の補強について書きました。すると、「そんなに角製の鯉口は弱いのか?」といったご質問を頂戴しましたので、あわてて追記させて頂きます。

 

まず、鯉口に水牛の角を用いることは、最も一般的な工作の一つです。ある程度の格式や掟にしたがって拵えをお作りする場合、角を加工することで機能性も見栄えもよくなります。

自然、現存する鞘の数も多くなるので、修復の機会も多く寄せられます。気がつけばしょっちゅう水牛の角を削っている程です。

 

ただ、ここで申し上げたいのは、水牛にも多くの種類があるということです。一般的に、白っぽいものは在来種の角に多く、黒いものは外来種由来の可能性が高いです。さらに、切り出す時の向きもその後の強度に大きな影響を及ぼします。

 

安価で手に入る水牛の角は、使いやすいように前もって板状に加工されています。ところが、角は木材と同じように年輪状に成長することから、加えられた力に対して柾目の角材を用いると縦に破損しやすいのです。

 

そこで高級仕様の拵え製作時には、角を輪切り状に切断して用います。

 

水牛の角について、一概に強度の強弱を判断することはできません。ただし、伝統工芸の場合は、機能性を加味して材料を厳選することが条件になっています。

鞘の修復でお預かりしている拵(こしらえ)です。

抜き差しを多用する武道に用いると、鞘はどうしても消耗します。

 

この鞘の状態は、鯉口の角が刃方で割れていました。

一度、水牛の角を外して、新たな鯉口をはめ込んで完成です・・・。

 

 

 

いや・・・、考えてもみたら同じ工作で元の状態に修復しても、同様の力が加われば何度でも同じところで鯉口が破損するかもしれません。

鯉口に亀裂が生じる度に、修復に出すのではオーナー様も御刀も報われません。

 

というわけで、鯉口金具を作って、修復+補強を施しました。

 

武道に気持ちよく使って頂き、しかも長く機能する様に補強を施すことは無駄な工作にはならないはずです。拵のバランスや掟を崩さない範囲での補強は、許容できる程度であれば大いに実施すべきと思います。

先日、作刀をお願いしていた大小が完成したとの連絡があり、逸る気持ちを抑えて電車に飛び乗りました。

 

 

刀剣の世界は、作刀だけで生活できる職方は一握りに過ぎず、その中でも最高位の職人は数名という大変厳しい世界です。

 

この度作刀をお願いした先生は、尊敬する巨匠のお一人で、以前某協会の仕事をさせて頂いていた時にお会いして以来のお付合いです。いつか機会があれば、お仕事をお願いしたいと思っていたので、ある意味夢が叶いました!

 

日頃立ち寄る事のない葛飾区ですが、この地は江戸時代、江戸と地方を結ぶ交通の要所で水戸佐倉街道や関所が設けられるなど、多くの人と物資が行きかう活気溢れる宿場町でした。

 

 

毎回感じる事ですが、偉大な巨匠の条件といいますか名だたる名工の先生方と話していると、そういった素振りを微塵も感じさせません。

私は万年三流職人ですが、偉大な刀職の先生方とお会いする機会に恵まれているこのお仕事に感謝しています。そして、このお仕事を続けさせて頂けることに感謝の気持ちでいっぱいになります。

作刀関連の技術の中で、もっとも化学的解明が進んでいる分野は「染色」です。

 

刀剣の外装製作の最終工程に、「柄巻き」といって柄前に正絹などの平紐を技巧的に巻く工程がありますが、この紐を柄糸といいます。

柄糸は、拵えの微妙な表情に大きな影響を与えるので、染色を施して用います。

 

今回は、深い深い緑を目指して柄糸を染色しました。

 

ちょっとだけ、染色の化学反応についてご紹介します。

染料は色素を持った物質で、染料と繊維の分子同士が手を繋いだ瞬間に染色が行われます。その後も繊維の分子間に入り込み、水に溶ける性質を失った染料は、洗っても落ちない状態になって理想の染色が仕上がるのです。

言い換えれば、染色とは、水溶性の染料分子と、繊維の分子間の親和性に基づく化学反応です。親和性とは、電気的なプラスとマイナスの分子間結合力に由来します。

染色される繊維分子の化学的な性質によっても染色性が大きく変わるので、様々な繊維に対して適した染料が用いられています。さらに、染料分子と繊維分子との親和性を補強する為に、仲介する媒染を用いることで目指す色調を表現することもできます。

 

この先が面白いのですが、今回はここまで(笑)。

 

染色途中の段階(目指す色合いまでは、まだまだ染色が足りません)

 

何度も染色を繰り返し、その都度媒染を調合することによって、何ともいえない美しい色調を目指します。この地道な作業によって完成後の拵えの雰囲気がグッと引き締まります。

現在研磨中の御刀です。

 

研摩は、あともう一歩という状態!研摩が終わり次第、外装の修復に取り掛かります。

 

先日、街歩きのTV番組で、芸能人が備後尾道を散策する様子を見ました。あまりにも美しい町並みと数千年変わっていないであろう古い地形の見事さに心打たれました。尾道の語源は、尾根の道(修験道の聖域)に由来するとする語源説も納得の解説でした。

 

ここ数年、鎌倉周辺の尾根の道を歩きながら製鉄文化や刀剣の歴史をご案内するツアーを開催していますが、事のきっかけは近隣学生からのご依頼でした。彼の直向なまでの熱意に根負けしたというのが積極的なツアー開催の動機になりましたが、尾道出身で将来は地元を盛り上げる仕事がしたい!という郷土愛に溢れる青年の情熱に感銘を受けたのでした。

 

この菖蒲造り風の薙刀直しの様な体配は、大和系の刀剣でよく見かけます。在銘の三原刀なのですが、大和系の技術で作られていることがよくわかる作品です。備後の刀工は荘園との関係が深く、近隣の大田荘に移り住んできた大和鍛冶に起因すると考えられます。

 

こちらは先日研摩を施した大和系の短刀身です。若干の製法の違いと鉄色の違いは、材料の違いに起因すると感じます。

 

普通に考えると、近隣の刀剣大国備前・備中の影響を強く受けそうですがそうならなかったのには、一つの大きな要因があるのだろうと思います。それは、宗教的な文化圏の隔たりです。

荘園の運営は、本拠地から派遣された人間が行います。当然、付随する文化や生活様式、道具類に至るまで本国からの生活がそのまま持ち込まれます。自然、宗教観や思想までもが持ち込まれることから、近隣地域の文化圏との大きな隔たりが生じ、なかなか文化交流が進まない要因になったのではないでしょうか?

大和は宗教大国ですから、備後の地でも思想的な対立が起きたかもしれません。

 

ちなみに、鎌倉幕府の勢力が広がるにつれ、各地に鎌倉幕府の荘園が増えていきますが、荘園の近隣地域人からみれば今まで触れたことのない坂東の文化が突然荘園地に持ち込まれてきます。急速に鎌倉様式(相州伝)が日本中に伝播していくわけですが、大和の宗教文化に対し鎌倉の武家文化は、さほど閉鎖的な文化ではなかったと見えて、その後の刀剣文化に大きな影響を与えていきます。

 

南北朝様式の刀剣が一斉を風靡したことと荘園との存在にも、大きな関係がありそうです。

今日は、嬉しい事がありました!

 

今から5年以上前、外装製作の依頼でご来訪された方がいました。その場で依頼内容が定まらずにその日は一旦帰られたのですが、その後何度もご連絡をさせて頂いたもののご依頼の確定に至らず連絡も途絶え途絶えになっていきました。そうこうしているうちに、電話も繋がらなくなり、手紙の返信もなくなってしまいました。

 

その間、御刀は当方がお預かりしているため、「どう手をつけて良いものやら?」ホトホト困り果てて、御刀を持参してご住所を尋ね歩くも家がない?判らず、御刀の手入れだけはさせて頂くという悶々とした日々だけが過ぎていきました。

 

 

相手が現れない以上、返却もできず。方々に相談するも、「管理費を請求せよ」とか、「受け取りの意思が無いのだから、もらってしまえ」など、無責任なアドバイスばかりで、完全お手上げ状態でした。

 

と、今朝携帯電話に見慣れない番号が・・・、架空請求詐欺?の恐怖に一抹の不安を感じながらもかけ直すと、電話に出られた方はまぎれもなく行方不明のご依頼者様でした(笑)。

 

電話中にも関わらず、「よかった~、よかった~」と連呼してしまいましたが、とりあえずお礼を言って電話を切りました。

 

この仕事では、毎週の様に「もうできた?もうできた?」と問い合わせていらっしゃる方もいれば、今回のように依頼の内容すら確定せずに5年間かかる方もいます。人の時間感覚というのは本当にまちまちだなあ~という、お話でした。