明るく、陽気に、いきましょう・・・最初ここ読んで | 腰椎手術後 難治性疼痛(ようついしゅじゅつご なんちせいとうつう)  闘病記

腰椎手術後 難治性疼痛(ようついしゅじゅつご なんちせいとうつう)  闘病記

腰のヘルニア手術 腰椎分離すべり症ボルト固定術手術
4本のボルト抜く手術 神経ブロック注射 腰に電極植え込み手術の闘病記

「腰が痛い」保存療法か手術するか? 手術の方を選んで、11の病院を回る人生に

ペインクリニックの医者
「腰の手術はしても8割9割は成功するが、そうでない人がここには来てる。」

若者用ハローワークで「仕事は腰を治してから」
その善意はうれしいが、どうすりゃいいんだ?
力仕事のバイトは腰が怖くて出来ないし

大きな3つの手術、転院を書くと
①2014年8月25日 椎間板ヘルニア内視鏡手術     都内A病院整形外科で受ける

②2015年12月9日腰椎分離すべり症固定術内視鏡手術 腰に4本ボルトを入れる 都内A病院整形外科でヘルニア手術と同じ医師から受ける

③2017年9月6日ボルトを抜く手術内視鏡手術    都内A病院整形外科①②と同じ医師から受ける

④2018年4月24日 都内A病院整形外科から都内B病院ペインクリニックのところへ行く

「腰が痛い」人沢山いますね。私もその一人でしたが
2014年7月9日
都内C病院整形外科に行く。腰痛の原因はわからない。手術してもよくなるという保証はないと言われる。
2014年7月14日
都内D病院整形外科に行く。ヘルニアの手術をするなら都内A病院整形外科でするように言われる。
2014年7月16日
都内E病院整形外科に行く。手術も患者の選択だが、保存療法を薦められる。
2014年8月6日
都内A病院整形外科に行く。8月25日都内A病院整形外科で手術と決定。
2014年8月13日
都内E病院整形外科に行く。手術を告げると「まあいいでしょう」と認める。腰痛で来ている人の多いのにびっくりする。

①2014年8月25日 椎間板ヘルニア内視鏡手術     都内A病院整形外科で受ける
2014年8月30日
退院、電車で帰る。
2014年10月8日
都内A病院整形外科に行く。
2014年11月この頃から夜30分くらいランニングする。(回復を喜ぶ))
2014年12月10日
都内A病院整形外科に肩、首痛で行く。
2014年12月11日
都内A病院整形外科でMRI検査。MRIの画像上は問題ないと言われる。一応神経の薬を処方される。
2015年2月10日(ヘルニア手術後働く)
地元のハローワークにいく。就活を始める。
2015年2月26日
隣の市の公社から面接の呼び出しがくる。
2015年5月1日
隣の市の公社のバイト決まる。5日から働くことになる。              1日おきで17:30~22:00まで 4時間30分勤務
2015年5月4日
明日からのバイト先への手土産を買ってくる。
2015年5月5日
バイト初出勤する。
2015年6月10日
都内A病院整形外科に行く。腰の痛いところにブロック注射を受ける。「よくなった。痛くなくなった」と告げると「このまま様子を見て、2週間後にまた来て」と。
2015年6月24日
都内A病院整形外科に行く。「もう少し様子を見て」と言われる。
2015年7月7日
新宿ハローワークに行く。就活を考える。
2015年7月13日
朝から釣りに行く。
2015年7月16日
新宿ハローワークに行く。
2015年10月9日
地元市役所筆記合格。面接に向け準備始める
2015年10月16日
地元市役所2次試験面接に行く。集団面接。うまくできたので合格した気がする。
2015年10月20日
新宿ハローワークに行く。
2015年11月8日
地元市役所最終面接に行く。バイトもやめる。
2015年11月9日
都内A病院整形外科に行く。12月9日ボルトを入れる手術をすることに決定。
2015年11月19日
地元市役所より健康診断書の提出を求められる。多分合格間違いなしと感じる。
2015年11月26日
都内A病院整形外科に行く。12月8日入院、9日手術と決定。
2015年12月8日
都内A病院整形外科に入院。

ヘルニア手術後に出来たこと、したことをまとめると
2015年5月から隣の市の公社(隣の市の外郭団体)で働く
週3,4日 1日4.5時間勤務 自転車で50分かけ通う
夜ランニング30分
図書館で座って勉強をする  しかし次の手術を受けて、すべてが出来なくなった

②2015年12月9日腰椎分離すべり症固定術内視鏡手術 腰に4本ボルトを入れる 都内A病院整形外科 ヘルニア手術と同じ医師が執刀
手術前 治癒には3ヶ月という話が執刀医よりあり
この固定術の手術が3ヶ月で完全に回復しない場合もあると言及をされていたならば、地元市役所の試験に手応えもあったので、手術はここではせずに、入庁してから病気休暇もしくは病気休職の形で手術の延期も考えた筈。その最悪の場合の説明が執刀医より不足していた。
2015年12月11日 
地元市役所大卒事務枠合格
2016年1月7日
都内A病院整形外科に行き手術後の経過報告
執刀医より「ただし無理をするな」と言われる。
2016年2月4日
都内A病院整形外科に経過報告「痛い」と
2016年3月22日
都内A病院整形外科で「痛いので」執刀医に診断書を書いてくれるように依頼する
執刀医診断書を書くのを応諾
2016年3月23日
地元市役所に入庁延期を申し出る
2016年3月24日
都内A病院整形外科に行き診断書を書いてもらう。そのまま地元市役所に提出
2016年3月25日
地元市役所に、入庁延期願いを提出 認められ、3ヶ月延び、7月1日入庁となる。
2016年4月7日
ボルトを入れた近辺が痛い気がする。7月から行けるか不安になる。
2016年4月24日
腰の具合がよくない
2016年4月26日
都内A病院整形外科に行く。執刀医「とにかく体を動かして、次第に体を慣らしていけ。骨の周りの筋肉が動くときに当たって痛いのだろう。次第に慣れていく。ボルトは体の深くに埋め込んでいる。ボルトを抜くのは早くても1年半後だ」と
2016年5月31日
都内A病院整形外科に行く。執刀医「とにかく7月から行ってみたら。どんな形でもいいから、時短でもいいから交渉してやってみたら」その後ボルトの真上に4カ所注射をした。
2016年6月2日
地元市役所に行く。7月1日からフルタイム勤務でなければだめ、時短はだめと言われる。7月1日からの部署は外回り仕事と言われる。
2016年6月6日
都内A病院整形外科に行く。「地元市役所に行くことをあきらめた」と告げる。抗うつ薬で慢性的腰痛に効く薬を処方される。
2016年6月9日
都内E病院整形外科行く。医者の話では「手術は成功だと思う。血液検査で陰性だからばい菌が入り炎症しているとも思えない。1年は最低でもボルトを抜くのに必要。違和感をボルトに感じる人はいる。30前ならボルトを抜いてもいいだろう。だいたい半年で社会復帰していく。」
2016年6月16日
都内E病院整形外科に行く。MRIを受診。「もう少し様子を見て」と言われる。
2016年6月21日(チラシ配りのバイトをしてみたが)
チラシ配りのバイト説明会に行く。7月から始める。1ヶ月、もたずに退職した。
チラシ配りをして稼ごうとしたが、腰が痛くなりできなくなる。
2016年11月1日
都内A病院整形外科に行く。まだボルトは抜けないと言われる。
2016年12月1日
都内A病院整形外科に行く。今度2月頃にきたときにボルトを抜くか考えるという話でまとまるが。「ボルトを抜いても痛い」と言われるのを執刀医は恐れているのだろうかと思う。
2016年12月12日
都内E病院整形外科に行く。ボルトを抜くのはもう6ヶ月待つようにと言われる。まだ固まってないとの話だった。
2016年12月19日
都内F病院整形外科に行く。レントゲン撮る。若い医者から「はっきり痛い原因はわからない。ボルトを抜いても痛みがなくなるかもわからない」と言われる。MRIをとることになった。
2017年1月6日
都内F病院整形外科に行く。「この分離はヘルニアと違って100%よくなるのはない」と言われた。MRIをもらう。
2017年3月4日
1年3ヶ月たってもこれかよと思う。1年6ヶ月で治るといった都内A病院整形外科のところに5月に行くことを家族で話し合う。
2017年4月1日
家族で話し、6月に都内A病院整形外科の執刀医のところに行くことになる。1年半たってもこれではどうなるか訊きたいと。
2017年4月5日
都内A病院整形外科に電話。5月2日に診察予定を入れる。もう言うべき時だと。
2017年4月6日
家族と話す。本気でとにかく治したいと告げる。
2017年4月17日
家族と話す。都内A病院整形外科の執刀医に話すことを家族に書面でまとめて示す。
2017年5月1日
都内A病院整形外科に行く。
(1)10年たってもこのままな気がする。
(2)2回目の固定術の手術後は一度も外に走りに行けてない。1回目のヘルニアの手術後はランニングもでき、バイトにも行け、図書館で座って勉強をできたにもかかわらず、2回目の手術後はできなくなったのはなぜか?
(3)新宿の若者用のハローワークに連絡しても、「仕事は腰を治してから」と言われる
(4)他の病院でセコンドオピニオンをとりたいので紹介状を書いてほしい。
以上を執刀医に告げる。
執刀医「(紹介状を書くことを)いいですよ。でもまた戻ってくる人が多いが」と。
都内D病院整形外科と都内G病院整形外科宛てに紹介状を書いてもらうことになる。
さらに、執刀医より再検査入院をしてその結果をもって、セコンドオピニオンを訊きに行ったらと提案があり、都内A病院整形外科に検査入院を申し込む。明日MRI があいているので、MRI検査を申し込む。
2017年5月2日
都内A病院整形外科にMRI検査に行く。血液検査もした。その際に看護婦より執刀医以外の先生の意見も聞いた上で判断すると言われた。その後帰宅。都内A病院整形外科から電話が入る。5月10日から検査入院と決定。
2017年5月10日
都内A病院整形外科に検査入院。執刀医がブロック注射をする。執刀医も原因を決められずに困っている様子に見えた。
2017年5月12日
家族がきた前で、執刀医から話し。執刀医よりボルト4本の上にブロック注射をした。この時のブロック注射が、ブロック注射の中では一番効いたと思った。執刀医はこの時点でまだボルトは抜かない方がいいと言った。都内D病院整形外科と都内G病院整形外科用に紹介状を書いてもらう。
猶、この際に同室に入院している老人の付き添いをしている奥さんがいて、彼女からの話。彼女は2ヶ月前に自分と同じ腰に固定術の手術をこの病院で受けた。「もう治ってる。あちょっと痛いかな」と証言し、背をそらした。2ヶ月で何ら支障なく暮らせてるこの50代くらいの女性と1年半経過しても痛みの出る自分との差に愕然とした。
2017年5月23日
都内G病院整形外科にセコンドオピニオンと言うことで行く。43000円払う。若い医師が言うには、6月20日、自分より上の医師が診察する。その際にこれまでのCD-ROMをもってきてと言われる。若い医師からは「プリフの手術後に痛みが残るのは珍しい」と言われる。
2017年6月5日
都内A病院整形外科に行く。執刀医より最初からのCD-ROMを受け取る。
2017年6月16日
都内D病院整形外科に行く。若い医師。セコンドオピニオンとして43000円払う。若い医師より「ボルトは2年もたてば、CTスキャンでみて骨がくっついていれば抜いてもよい。骨がくっついてなければもっと太いボトルで固定するかも。最悪はそうなる」と。「自分が(抜くのを)やってもいい」と。
2017年6月20日
都内G病院整形外科「自分より上」の医師の元へ行く。「自分より上」の医師「ボルトは抜いてみたらどうですか。ただし内では抜きません。執刀した都内A病院整形外科でやってもらってください」といい、セコンドオピニオン代43000円を返される。正式に断られたと判断。
2017年7月10日
都内A病院整形外科に行く。執刀医よりボルトを抜いても治らないことがあると言われる。都内H病院のある先生の名前を挙げ、認知療法があるから行ってみたらと言われる。精神の問題にされるのかと思う。もしボルトを抜くならそのときは近辺の神経を焼くとも言われた。8月14日に検査CTと3次元レントゲン写真を撮ることになる。
2017年8月14日
都内A病院整形外科に行く。9月5日から入院。ボルトを抜くと決定。やっとここまできたという思い。
2017年9月5日
都内A病院整形外科に入院。

③2017年9月6日ボルトを抜く内視鏡手術     都内A病院整形外科 これまでと同じ医師執刀
2017年9月6日
ボルト4本を抜く手術をした。太くて長いのに驚く。これがどこかに当たっていたのではという気になる。

ここがゴールと、ボルトさえ抜けばと、楽観的でここまで来たが、これからが大変、迷走して、どこにゴールがあるかわからない状態が始まる

2017年9月11日
都内A病院整形外科退院。費用は15万弱。腰の具合は何とも不明。
2017年10月4日
都内A病院整形外科の執刀医に「すっきりした」と告げる。執刀医「徐々に運動していって」と。1ヶ月後に行くことになったが、まだ不安はある。
2017年10月30日
家族と話し。2ヶ月でよくはなってきたが、まだ今一歩かな。もう1ヶ月みたいと話す。
2017年11月5日
今一よくなり方が遅い。ペインクリニックと精神性の認知療法が必要かもと思う。
2017年11月8日
都内A病院整形外科に行く。「まだ痛みがある」に対して執刀医より「まだ1ヶ月だからもう少しみてくれ」と。ブロック注射を1本受けるが効いた気がしない。県内I病院のペインクリニックへの紹介状を依頼する。すぐに帰宅を急ぐ。
2017年11月9日
都内A病院整形外科で執刀医不在なので他の医師から3時間待ってブロック注射を受ける。疲れて帰る。
2017年11月10日
隣市にある心療内科に行く。点滴を受ける。腰の痛みが消えるが気分的にハイな状態で怖い。
2017年11月11日
心療内科で処方された薬をもらいに行く。この薬局でしか扱ってない薬があるので。
2017年11月24日
心療内科に行く
2017年12月10日
家族と話し。ボルトを抜いたところにまだ痛みがあると。
2017年12月14日
都内A整形外科に行く。執刀医より「もうすることはここではない。都内H病院のとある先生を紹介される。患者会で知っているのはソクワンの会ぐらいです」
2017年12月16日
隣の市の心療内科に行く。
2017年12月18日
都内H病院の、とある先生の開く腰痛者の会に行く。出席者16名くらい。年寄りだらけかと思ったら、意外に若い人の方が多かった。コルセットをしていったが、コルセットをしているのは自分だけ。この会は腰痛の人の手術後でも痛いという人ではなく、手術はしてない比較的軽傷の人の集まりに見えた。保存療法を中心とした体操の指導であった。一通り終えて、これではよくならないと感じたのか、皆の前で男性の老人が「いい先生を紹介して」と訊くと「先生を頼ってはだめ、そこから治して、薬も飲むと腎臓を悪くする」とある先生の答え。失笑がわいた気がした。精神論、根性論で腰を治せという人かと思った。本当に腰痛で困った人は理解されないな。
2018年1月3日
家族との話。「次第に腰はよくはなっている」と話す。
2018年1月15日
隣の市の法律事務所に行く。自由法曹団の一員の弁護士と会う。
知り合いの医師に相談し何か問題がこの治療にあるかを聞いてみるので、1ヶ月時間をくれと。
金は無料だった。時系列の記録を渡した。
2018年1月25日
都内A病院整形外科にいく。
2018年2月9日
隣の市の心療内科に行く。
2018年2月15日
隣の市の法律事務所の弁護士より断られて、ガックリ。
2018年2月20日
県内I病院ペインクリニックへ行く。ブロック注射の話が出る。抗うつ薬をもらう。3週間で効果出る。話を聞いてくれてすっきりした。
2018年2月21日
県内I病院ペインクリニックでもらった薬で眠い。
2018年2月26日
午後都内A病院整形外科へ行く。執刀医、硬膜の注射をまあいいでしょうと言う。「確か前にもやったはず」と言う。記憶ではやってない。
2018年2月27日
県内I病院ペインクリニックに行く。ペインクリニックの部長と会えず。木曜日になる
2018年3月1日
県内I病院ペインクリニック部長のもとでの話。
お若いのに気の毒に。運動して直す。コルセットはよくない。5年たって直らなければそれで固定したと思え。硬膜ブロック注射は意味がないだろう。むしろそれで何か起こるのが怖い。全国のペインクリニックのガイドラインは自分が作ったのでどこのペインに行っても結論は同じ。手術後に痛みが出るのは少ないが稀ではない。手術後に切ったところが痛いという人はいる。また腰にメスを入れることはできないはずだ。アメリカでは医療機関で麻薬を使っている。4月17日の予約を入れる。もう来るなではないという意味か。
2018年3月7日
市役所障害福祉課にいく。精神障害者手帳はまあ取れそう。同じような障害者の集まりを教えられる。心療内科クリニックらしい。
2018年3月9日
昼から隣市の心療内科に行く。
精神障害者の手帳がほしいなら認定医として書く。障害年金ももらえるだろう。腰の方の手帳は自分では書けない。2つの障害として重ねることも可能。ウエルビーという障害者用の就労パンフをもらう。
2018年3月12日
市役所障害福祉課にいき、精神障害者の医療費自己負担を30%から10%にする手続きをする。障害者手帳は手術の執刀医でなくても、認定医であれば誰でもいい。障害者手帳の情報はこの役所内で漏れることはない。国民年金課に行き障害者手帳がなくても障害者年金をもらえるとわかる。心療内科の初診日が2015年2月14日とわかった。1.5年経過しているので障害年金をもらえる。年77万円。65歳後は障害年金で行くか老齢年金で行くかを選べる。国民年金を払っておいてよかった。
夜、かねて電話した脊椎損傷の会の支部長より電話。「君は違う」と。
2018年3月15日
ウエルビーに行くも、職業訓練校とわかりガックリ。
2018年3月17日
午後遠出して医療担当弁護士3人のとこへ行く。もし勝訴したら300万が入るが。やりますかと聞かれる。ペインクリニックに行くのはやめた方がいいと。腰の痛みでここに相談に来る人は多いようだ。
2018年3月19日
精神障害の人の集まり場所に行く。40代の人が多く年齢的にあわないと。他の施設を探すと。
2018年3月22日
腰の痛みで朝目が覚める。ベッドが買いたい。
2018年3月30日
電動ベッド来る。2階に置く。
2018年3月31日
家族で今後を話す。
①都内A病院整形外科執刀医に障害手帳をもらえるように書いてもらう
②最悪、今後のこととして生活保護も考える
③精神障害年金は心療内科の現在かかっている医者がいなくなったら、もらえなくなるのでは
④ハローワークで障害者用の仕事(これには障害者手帳が必要)をし、その後体のレベルを上げ、普通の人の仕事に変えられるかもしれない。
2018年4月2日
生活保護関係、障害年金関係の本を市の図書館に借りに行く
2018年4月3日
午後市役所生活保護関係部署に行く。
家族の住所、収入、持ち家、預金を聞いてくる。今は親と同居でも家を出たとして月7万プラスアパート代、プラスαが出るとわかるが、7万じゃあしょうがないとなる。精神障害年金をもらうしかないと結論。
2018年4月6日
午後市内の社会福祉法人に行く。在宅ワークでパソコンで10万は稼げると話あり。「いい話が聞けた」
県内I病院のペインで硬膜外ブロックの注射をしたい。腰の回復があまりよくないようで、1本打ちたい。
2018年4月8日(日曜日)
9時に隣の市の心療内科の担当医に家族で会いに行く。精神障害年金2級をもらえるように書類を書いてもらうことになった。費用は10800円。
2018年4月12日
午後市役所に行く。年金課に精神障害年金を取得の書類を提出。1部不備をその場で直す。コピーをとって提出。
2018年4月17日
県内I病院ペインクリニック部長に行く。都内B病院ペインクリニックの部長への紹介状を書いてもらう。もうこれ以上はどこの整形外科も何もしたがらないだろうと言われた。人の後はやりたがらない。県内I病院ペインクリニック部長が言うには今の腰の具合では身体障害ではせいぜいとれて13級くらいではないかという話。
2018年4月18日
都内A病院整形外科に行く。都内B病院ペインクリニックに行くと告げる。

④2018年4月24日
都内A病院整形外科から都内B病院ペインクリニックに移る    ペインクリニック科部長のところへ行く
最初はブロック注射を受ける
2018年4月24日
都内B病院ペインクリニックに行く。5月2日に神経ブロック注射と決まる。これから腰痛の原因部位を探す。原因不明の腰痛が8割でもそのうちの8割は原因を探せると。気に入った。
2018年5月2日
都内B病院ペインクリニック部長より注射を受ける。痛みが消えた。帰り上野で飯を食う。
2018年5月3日
朝になったら元に戻って痛い。薬が効かなくなった。あの点が痛い点だとわかった。
2018年5月14日
都内B病院ペインクリニックに行く。前回とは違う注射をした。結果はよかったようだ。最終的には焼くかも。
2018年5月28日
都内B病院ペインクリニックに行く。5回注射をうつとなった。3日以後に高周波熱凝固法に入ると思っていたが。2年4ヶ月かけて痛めたものは直るにも2年4ヶ月かかると言われた。
2018年5月31日
都内A病院整形外科執刀医の元へ行く。都内B病院ペインクリニックの話をした。ペインでよくなってきていると。執刀医は聞いていた。
2018年6月13日
都内B病院ペインクリニックに行く。施術をしてくれるペインクリニック部長とコミュニケイションがとれない気がする。
2018年6月25日
都内B病院ペインクリニック部長、だんだん注射はしても効かなくなってくると。とにかく動かして強制的でもいいから動いてと。働いてないことを伝える。今日5回目の注射をした。この部長以外を考えてもいいかも。
2018年6月28日
県内I病院ペインクリニックの部長のとこへ行く。都内B病院で施術をしている部長は日本でも指折りの先生だから信用してと言われる。ただし1発で直るとは限らないと。何度も焼きに行くかもと。
2018年7月4日
都内B病院ペインクリニック部長の話、年単位で直すと。時間がかかる、糖尿病と同じと。ブロック注射は効いたので多少は乗り気になる。
2018年7月9日
都内B病院ペインクリニックで8月1日に高周波熱凝固法をすることになった。
2018年7月18日
都内A病院整形外科でCDロムをもらい、それを持って都内B病院ペインクリニックに渡す。
都内B病院ペインクリニック部長に託す
ブロック注射から高周波熱凝固法の治療にかわる
2018年7月25日
朝から都内B病院ペインクリニック。3時過ぎに終わる。8月1日に高周波熱凝固法の療法をする。
2018年8月1日第1回高周波熱凝固法
都内B病院ペインクリニックで初めて高周波熱凝固法を受ける。腰の下の方2カ所を受けるが痛みが抜けたという。上の2カ所が痛いが、同時に4カ所はできないと言われた。次は8月15日に来て様子を見た上で9月の頭にやると言われた。
2018年8月6日
朝から予約なしで都内B病院ペインクリニックに行く。9月5日に2回目の高周波熱凝固法をしてもらえることになる。
2018年8月15日
都内B病院ペインクリニック。様子を報告。空いているせいかペインクリニック部長ご機嫌。
2018年9月5日都内B病院ペインクリニック。2回目の高周波熱凝固法をする。まだ痛みが残っているようだ。3回目が必要か?
2018年9月13日
県内I病院ペインクリニック部長のとこへ行く。高周波熱凝固法は4ヶ月も待つのかを聞くが、答えず。まあ、彼は終わった人だから。
2018年9月14日
都内B病院ペインクリニック。ペインクリニック部長はあまり効果がなかったにがっくりしていた。呼吸法を話し出す。直らないことのプレッシャーをかわしたかったのだろう。
2018年9月15日
心の調子が悪い。火曜日、隣の市の心療内科のとこへ行くことにする。
2018年9月26日
都内B病院ペインクリニックへ行く。10月10日、10月29日に行くことになる。ペインクリニック部長に何とか食いつく。ガッツが出てきた。ペインクリニック部長も見下げた言い方をしなくなってきた。また高周波熱凝固法をしてもらえることになる。但し10月は忙しいといわれる。
2018年9月28日
イイダ(スーパー)で風船を買ってきて膨らませる。ペインクリニック部長の呼吸法の話を実践。
2018年9月29日
7割り方直ったと話す。でも・・・・
2018年10月2日
隣の市の心療内科のとこへ行く。
2018年10月10日
都内B病院ペインクリニックに行く。すごく込んでいた。高周波熱凝固法を受ける。
2018年10月29日
都内B病院ペインクリニックに行く。最後の高周波熱凝固法を受ける。まだ結果はわからない。ペインやってよかった。生活ができないほどではなくなったような気もするが。
2018年11月1日
精神障害者手帳をもらって社会福祉法人の仕事をするかと思う。
2018年11月5日
都内B病院ペインクリニック。ペインクリニック部長機嫌よし。ブロック注射液を入れた、ドンぴしゃであたった。11月26日にまた高周波熱凝固法をしてくれることになった。
2018年11月12日
朝から都内B病院ペインクリニックに行く。
2018年11月26日
朝から都内B病院ペインクリニック。高周波熱凝固法をするがまだ他が痛い。
2018年11月27日
昨日の高周波熱凝固法をしたところが痛い。
2018年11月29日
都内B病院ペインクリニックへ予約なしで行く。ペインクリニック部長は今日は忙しいのでブロック注射はできないという。ご機嫌斜め。まだ高周波熱凝固法をして3日なのでもう少し様子を見てといわれる。大いに不満。
2018年12月1日
電極を埋める方を選択するようだ。症状が固定してきて痛いようだ。
2018年12月10日
都内B病院ペインクリニックへ行く。頑張ってペインクリニック部長に電極の埋め込み手術を飲んでもらう。ペインクリニック部長もこちらのガッツに心動かされたようだ。
2018年12月17日
隣の市の心療内科に行く。
2019年1月14日
3年間待った。
2019年1月16日
都内B病院ペインクリニックで脊髄刺激装置埋め込み術受ける。当日急にやると言われた。トライアルであり、もしいいようであれば本格的に埋める手術をするの話。術後業者がきて電極の操作法を教える。ペインクリニック部長、若い男の先生、女の先生3人のチームですると言ってきた。今日はまだプレートを入れたところが痛い。
2019年1月17日
昨日の手術、脊髄刺激装置埋め込み術は駄目みたい。
2019年1月18日
都内B病院ペインクリニックにPCを持って行く。久しぶりの人の中で気持ちがハイになっている。
2019年1月19日
病院の中で自分と同じオペミスのおばさんと話した。このおばさんも固定術の手術ミスと言っていた。自分と同じ立場の人がいた。本格的にプレートを入れてもいいかも。
2019年1月21日
都内B病院ペインクリニック。夕方5時。ペインクリニック部長いつもと同じことを言う。業者が痛みのチェックをした。少し上が痛いというので業者が少し上にも電流を流す。
2019年1月22日
腰のせんちょう関節が痛い。直ったはずなのに。パニクってくる。業者がきて調節をしてくれ、落ち着く。
2019年1月23日
電気が効いてないみたいだ、腰が痛い。
2019年1月24日
埋め込んだペインクリニック部長と話したいので家族呼ぶ。ペインクリニック部長と3人で19時に面談。都内H病院のペインクリニックの医師を紹介される。認知行動療法をしてくれると。もちろん高周波熱凝固法をここで続けると。もう何もしないという意味ではないと。
2019年1月25日
結局、脊髄刺激装置埋め込み術のトライアル失敗。4時に退院。ペインクリニック部長以外にプレートを抜いてもらった。費用は43万。病院内で腰に電極を入れコードを8本入れ車椅子から立ち上がれるようになった女性と話す。凄いこの人をみて、また埋め込むかと揺れる。
2019年1月29日
都内A整形外科病院に行く。紹介状を頼んできた。他のペインを考えている。
2019年2月1日
都内B病院ペインクリニック部長より、ここへ来ている他の人より君は体の切れがいいと言われる。ペインクリニック部長から都内H病院ペインクリニックの医師への紹介状をもらう。
2019年2月5日
隣の市の心療内科に行く。
2019年2月14日
都内C病院ペインクリニック、都内J病院ペインクリニックの予約を取る。
2019年2月27日
都内H病院ペインクリニックのとこへ行く。午前中は若い研修医から問診、その後年配の女医から問診。夕方いよいよ、その先生に会う。ドーパミンを薬で注入すると痛みが軽減する。動かないでいると前頭葉が不活発になり、痛みに感じやすくなると。ドーパミンで前頭葉を活性化する。
2019年2月28日
近くの薬局に行き都内H病院ペインクリニックで昨日処方された薬を飲む。不安にならなくなったかも。
2019年3月4日
都内C病院ペインクリニックのとこへ行く。ここのペインの部長。都内H病院ペインクリニックの先生とも、都内B病院ペインクリニック病院ペインクリニックの部長とも知り合い。都内H病院ペインクリニックの方を少ししたらといわれる。都内B病院ペインクリニックに行くのは休んで。両方やるのはよくないかもと。また内の都内C病院ペインクリニックのきてもいいと言われる。
2019年3月11日
都内B病院ペインクリニックに行く。高周波熱凝固法を続ける。都内H病院ペインクリニックの話をする。そちらを進めてみたらと言われる。将棋を始めたことを話すとそれに集中していれば痛みを感じないだろうと。せんちょう関節に高周波熱凝固法をした。まだ結果は今日ではわからず。
2019年3月12日
昨日の高周波熱凝固法は効いたみたい、重痛いのが消えた。まだでもわからないが。
2019年3月14日
腰の重だるいがなくなった。
2019年3月16日
だいぶ前向きな気持ちになる。自信が出てきたかも。
2019年3月18日
都内H病院ペインクリニックに行く。脳の検査、結果、前頭葉に血があまりいってないようだと言われる。ここは一時中止、都内B病院ペインクリニックにかける。6月10日都内H病院ペインクリニックの予約はやめる。その後上野で寿司を食う。
2019年3月20日
都内B病院ペインクリニック部長の下へ行く。4月24日に高周波熱凝固法をすることになった。運動をしろと楽しいことをしろと言われる。痛みを忘れて。
2019年3月26日
隣の市の心療内科に行く。
2019年4月24日
都内B病院ペインクリニックで部長から高周波熱凝固法を受ける。
右足に麻酔が残ったようで帰り着くまで変。高周波熱凝固法の結果はまだ不明。
2019年4月28日
家族と今後の話をする。都内B病院ペインクリニック部長に直してもらい、もう一方仕事を考える。2本立てでいく。だんだん覚悟ができてきたが、だが最悪働けないことも考えといてと言う。
2019年5月8日
都内B病院ペインクリニックに行く。5月29日にまた高周波熱凝固法をすることになる。
2019年5月25日
精神障害者のたまり場に行く。夕食に義兄来て、そのたまり場のことを話す。そのたまり場に通ってもいいかも。
2019年5月29日
都内B病院ペインクリニックに行く、高周波熱凝固法を受ける。結果はまだ不明。
2019年6月1日
腰が痛い。
2019年6月3日
午前中 隣の市の心療内科に行く。6月10日12時半に都内H病院ペインクリニックへ行くことになる。都内B病院ペインクリニックにはその後に行く。まだ痛みが残っている。
2019年6月5日
明日都内B病院に持って行くために、高周波熱凝固法を腰にしたときの写真をプリントアウトした。
2019年6月6日
都内B病院ペインクリニックに行く。今度は7月4日に高周波熱凝固法をするという予約を入れる。段々よくなっているの話に部長はご機嫌だった。
2019年6月10日
都内H病院ペインクリニックへ行く。都内B病院ペインクリニックの治療1本に集中し、ここは静観するという話になる。次は7月22日という予約を入れた。
昼は上野でステーキを食べた。
2019年6月14日
精神障害者の集まるデイケア施設に行ってみる。半日410円で話ができるようだ。通うなら週に2回くらいかな。
2019年7月4日
都内B病院ペインクリニックで高周波熱凝固法を受ける。帰ってきてから高周波熱凝固法の位置がマークをしていった位置より上に離れていることに気づく。打つところを間違えたのか?明日また都内B病院ペインクリニックに行くことになる。
2019年7月5日
都内B病院ペインクリニックに行く。部長先生、高周波熱凝固法の位置のミスを認めず。マークしてあった位置は神経が集中していて高周波熱凝固法を打てないので、その上の方からやったという。マークした位置より上の方にブロック注射をした。あまり効いてない。更に残って部長と面会。8月7日にマークした位置に高周波熱凝固法をすることになった。腰の痛みを訴え、椅子を勧められても椅子に座れず。緊張すると腰の痛みが出るか。部長に8月7日は必ずマークした位置に高周波熱凝固法してくださいと頼む。
2019年7月11日
都内A病院整形外科に行って、紹介状を無料でもらってくる。無料というのは何だという話になる。都内A病院整形外科も責任を感じてなのか?
2019年7月14日
都内C病院ペインクリニック部長へのセコンドオピニオンのための提出書類を作る。
2019年7月22日
都内H病院ペインクリニックに行く。7月4日の都内B病院ペインクリニックの高周波熱凝固法がマークした位置を外して上の方、遠くなのを話した。腰の一番下にサーモができるかはやはり専門が違うせいか彼は答えなかった。次回は9月2日となる。8月7日の高周波熱凝固法でよくなるといいですねと言ってくれた。いい先生だ。この一言で気持ちが違う。
2019年7月25日
5時起きして都内K病院ペインクリニックに行く。その説明では尻の割れ目に近い位置の高周波熱凝固法はできると話していた。
せんちょう関節に造影剤を入れて、調べることが出来るがここでもそれはできると言った。その検査するかは8月7日の都内B病院ペインクリニックの高周波熱凝固法の結果次第とした。電話で予約してくれればここでもやるからと。都内B病院ペインクリニックほどここのペインは込んでいない。先生の話、
腰の手術はしても8割9割は成功するが、そうでない人がここには来てる。手術の成功しない人がいるとはっきりと言ってくれた。
俯せに寝せ、背中を探って「ここ痛いでしょ」と触診した。まさに患者が言う前に痛点を探り当てた。すごい腕だ。だいぶ年配だが、やはりすごい。ここまで触診をして、痛点を探り当てたのはこの先生だけだ。他は整形でもペインでも触診をして痛点を探り出せた人はいなかった。8月7日に都内B病院ペインクリニックの高周波熱凝固法が効かなかった場合にはこちらに移るかも。
2019年7月26日
都内C病院ペインクリニックから、セコンドオピニオンの件だが、病院側は都内A病院整形外科だけでなく、現在かかっている都内C病院ペインクリニックからの紹介状を要求してきた。8月7日の都内C病院ペインクリニックでの高周波熱凝固法の結果待ちでセコンドオピニオンは保留にした。
2019年7月30日
都内K病院ペインクリニックに8月13日の予約を入れる。
2019年8月7日
朝から都内B病院ペインクリニックに行く。ペインクリニック部長が尻の割れ目のところに高周波熱凝固法をした。危険がある部位だが、「もし何かあってもご納得の上で」とパソコンに部長が書き込んでいた。最後なので是非やってくださいと言った。治療をしたところが痛いが2,3日後に結果が出るだろう。
2019年8月9日
まだ少し痛みが残る。火曜日に都内K病院ペインクリニックにいくことになる。
2019年8月13日
朝から都内K病院ペインクリニックのとこ。造影剤を入れても痛みの箇所がわかるわけではない。先生は口が重くリハビリを勧めてくる。
2019年8月14日
朝から都内B病院ペインクリニック。9月14日に高周波熱凝固法の治療を予約する。プールで動いたら痛くなったというとペインクリニック部長はやり過ぎてもだめと。
2019年8月19日
都内A整形外科に行く。
2019年8月20日
午後都内K病院ペインクリニックへ行く。先生からリハビリの話される。
2019年9月2日
都内H病院ペインクリニックに行く。都内B病院ペインクリニックの部長に任せたらの話。
2019年9月11日
朝から都内B病院ペインクリニック。高周波熱凝固法を受ける。尻の割れ目の2カ所の真ん中一カ所に高周波熱凝固法したようだ。家で夕方「疲れた」。まだ先が遠いからか。今日の高周波熱凝固法の周辺が痛い。何を毎日したらいいのか毎日困っていると。
2019年9月12日
昼から隣の市の心療内科にいく。
2019年9月18日
朝から都内B病院ペインクリニック。部長に5分で帰される。2週間に1回のサーモを頼むが強く拒否される。凹む。受付の女性にここの他の先生ならしてもらえないかと言うが、部長先生の手前誰もできないだろうと言われる。1月ごとに1回サーモをしてもよいという国の方針があるからと。その後駅前のペインクリニックに行くが、3,から4週間に1回のサーモはあっても、2週間でのサーモはないと言われる。
2019年9月19日
都内K病院ペインクリニックにいく。1回で沢山焼くのは無理と。1ヶ月に1回が限度と。
リハビリを勧められる。都内K病院ペインクリニックでの治療は諦める。
2019年9月20日
今日は腰の調子がいい。
2019年10月2日
この腰痛は年内くらいでめどが立つかも。
2019年10月16日
朝から都内B病院ペインクリニック。望むように90度のサーモを2カ所した。
2019年10月21日
午後都内H病院ペインクリニックのとこ。もう少し様子をみるとなる。
2019年11月16日
祖母告別式。久しぶりに親戚と話をする。自信になった。
2019年11月20日
朝から都内B病院ペインクリニック。高周波熱凝固法受ける。
2019年11月21日
あと治療も1回ぐらいかな。
2019年12月9日
朝から都内H病院ペインクリニック。調子がいいのでもうここには来なくていいと思うと告げた。都内B病院ペインクリニックのとこも行くのはあと5回か6回だろうと。隣の市の図書館で1時間本が座って読めたと。
2019年12月11日
朝から都内B病院ペインクリニック。来週の高周波熱凝固法よろしくと言いに行く。
ペインクリニック部長「来週でけりがつくとも思えないが、まあ、焦らずに」との話。
2019年12月18日
朝から都内B病院ペインクリニック。高周波熱凝固法を受ける。次回は1月15日と。今日で終わりにしたい。
2019年12月23日
隣の市の心療内科に行く。先生に他の心療内科に行ってもよいと言われた。気にする。

2020年1月1日
親戚が集まり皆と話す。
2020年1月15日
朝から都内B病院ペインクリニック。高周波熱凝固法はしなかった。「もう一番下までやったので、様子を見たい。今度は3月にして。そこで高周波熱凝固法するかもしれない」と部長の発言。
2020年2月27日
朝から都内B病院ペインクリニック。
コロナの影響で、がら空きであった。患部を高周波熱凝固法で焼け野原にしてくれというと、リスクがあってやらないと
2020年3月5日
隣市、自分の市の社労士に電話して、身体障害者手帳をもらえる診断書を書いてくれる医師の話をするが無理と断られる。精神障害者の方なら何とかなるがと言われる。
2020年3月11日
都内B病院へ行く。高周波熱凝固法を受ける。結果は今一歩というところか。これでは都内C病院ペインクリニックや都内J病院ペインクリニックを考えた方がいいかもしれない。これまでかかってきた都内B病院のペインクリニック部長はもう大体やり尽くしたと思っているような気がする。尾てい骨近辺の高周波熱凝固法は危険と考えているようだ。このところの高周波熱凝固法の針は浅くしか入ってない気がする。コロナの影響でこのペインクリニックで普段の客が半分くらいしかきてないようだ。
2020年3月28日
県内I病院へ行く。そこのペインクリニック部長。都内B病院のペインクリニック部長だからここまで焼けたと。体を動かしてと。
2020年3月31日
15時、都内A病院整形外科ヘルニア、固定術の執刀医のところに行く。
いいペインの医者やこれからの対応について彼からは何も聞けず。都内J病院ペインクリニックの話を聞いても何も知らないようだ。
2020年4月2日
都内の小規模のペインクリニックに行く。先生40歳ぐらい。受けた高周波熱凝固法の話をすると、凄い、こんなにやっちゃうのかと。彼はブロック注射で生きている町医者か。
2020年4月6日
都内H病院ペインクリニック。 薬インチュニブ(ADHDに対する薬)を飲むことになる 次回4月30日4時半
2020年4月8日
都内B病院ペインクリニックへ行く。普段の7~8割の患者数。今日は高周波熱凝固法せず 5月28日に高周波熱凝固法をするト。 都内C病院ペインに紹介状を書いてくれることになる
都内C病院ペインクリニックに治療を移してもいいと都内B病院ペインクリニック部長はいう。もう投げたいのか?
2020年4月14日
都内J病院ペインクリニックに行く予定だったが腰痛で中止。次週火曜日に延ばす
2020年4月21日
初めていく都内J病院ペインクリニック 鎮痛剤タリージェ、睡眠剤、レーザー照射を受ける
2020年4月28日
2回目都内J病院ペインクリニック タリージェを追加増量 患者少なくゆっくり話ができた
都内B病院ペインクリニック部長とも、県内I病院部長とも知り合い ペインの同業者仲間として知り合いらしい
2020年4月30日
都内H病院ペインクリニック インチュニブを飲むことになる タリージェと併用大丈夫と
2020年5月12日
3回目都内J病院ペインクリニック タリージェ増量 この先生を信用していいかも
2020年5月13日
精神障害者手帳をもらう 保険ももらう
2020年5月16日
都内C病院ペインクリニック担当医、突然入院でセコンドオピニオンをキャンセル
2020年5月19日
4回目都内J病院ペインクリニックへレーザーを受けに行く
2020年5月26日
5回目都内J病院ペインクリニック 腰痛で耐えられずに途中で帰る 来週の火曜日に癒着をしているかをみる
他県L病院ペインクリニックにエピドラスコピーを頼むか?
2020年5月28日
隣の市心療内科へ行く 腰痛の為予約したが行けず
2020年6月2日
6回目都内J病院ペインクリニック 来週火曜日に癒着の検査予定
2020年6月9日
7回目都内J病院ペインクリニックで癒着といわれ、1回目ブロック注射 他県L病院ペインクリニックへの紹介状は待ってといわれる
2020年6月16日
8回目都内J病院ペインクリニック 2回目ブロック注射する タリージェを1日15ミリグラム飲むとなった
2020年6月23日
9回目都内J病院ペインクリニック 3回目のブロック注射 もっとも痛い点を外して打ってもらった 注射が痛いと言って
2020年6月30日
10回目都内J病院ペインクリニック 
2020年7月4日
都内C病院ペインクリニック、担当医が退院したと告げられてセコンドオピニオンに行く
県外L病院のペインに行ってもいいかも
エピドラスコピーもしてもいいかも
都内J病院の今の担当医は信用できるから ト
2020年7月7日
11回目都内J病院ペインクリニック 県外L病院ペインクリニックへの紹介状を断ってきた 怒っていた 
2020年7月14日
12回目都内J病院ペインクリニック。こちらからブロック注射は断る 先生から医療用麻薬を使ったらと提案
2020年7月16日
午後都内A整形外科に行く。県外L病院ペインクリニックへの紹介状をもらう
2020年7月21日
13回目都内J病院ペインクリニックに県外L病院ペインクリニックへの紹介状を頼む ブロック注射が痛い、強い薬は嫌だというこちらの話にさじを投げたか
ブロック注射をして痛がる患者はいる
強い薬は痛みのある人には副作用はない
ブロック注射でもエピドラスコピーでも治らない人はもう薬しかないト
2020年7月28日
14回目都内J病院ペインクリニックで県外L病院ペインクリニック宛の
紹介状をもらう
2020年7月29日
県外L病院ペインクリニックに紹介状を持って行く
エピドラスコピーは君にはできない
エピドラスコピーは危険もあると   1時間ぐらい話す 結局無理か。出来ないか。
2020年7月30日
ラッツカテーテルを調べる。厚労省に電話。なぜエピドラスコピーよりラッツの方を保険適用にしたか聞く。答えは効果と費用からと。都内B病院ペインクリニック部長もラッツをしているのを調べる。なぜ彼は最初きた時にラッツを考えなかったのか?
2020年8月3日
厚労省に電話。難病対策課 腰痛は難病ではない。痛みの患者家族会は知らない
ラッツの病院ごとの施術数は把握こちらではしてない 病院のHPをみて。滋賀県は近畿厚生局 077 526 8114 が担当
2020年8月7日
朝から都内B病院ペインクリニック部長に担当医替えを要望、答えは駄目と
ペインクリニック部長の発言
もう治療は高周波熱凝固法しかないと
ラッツカテーテルはしない。ラッツはもっと上の方の癒着はがしだから
(でも最初からラッツを上からしていたら今の痛みは残らなかったのでは)
仙骨近辺はわかっていないことが多く自分はいじれない(でも高周波熱凝固法はできるのか)
かって事故があった。自分ではないが。ト
疑問
これまでこの病院で高周波熱凝固法をして仙骨に痛みが出た、または残った例はないのか?残った人はその後どうしているのか?以前そういう例があったならば、最初は上からラッツをしてくれば、痛みはここに残らなかったのでは?
上の方の高周波熱凝固法をした箇所は高周波熱凝固法を選んだのはなぜか?2018年4月24日に初めてこのペインクリニックに来たときに、何故造影剤で癒着を確かめることもなく、なぜ高周波熱凝固法に入ったのか?
看護師と話す。病院内にセコンドオピニオンはないのか?と聞く。無視
8月17日10時半に結論を伝えると。
メディエイターにも話す。医者は患者の受診を拒否できない。メディエイターも肯定。
このペインクリニックの医者の序列を3番手まで教えてもらう。担当医を変えて
2020年8月8日
最終的に治療に麻薬を使うを考えるかと決意
2020年8月13日
朝8時都内B病院ペインクリニックへ電話。今日痛みが耐え難いからブロック注射してほしい、今からいくと。看護師、今日は駄目。明日8時半に来てと。自分がこれから明日の医師を手配しますと。明日ブロック注射打ってくれるかと話すとあんたの担当医のペインクリニック部長ほどではないが、それなりの人を出しますと答え。薬も出してくれますかと聞くと、はいと。
2020年8月14日
都内B病院ペインクリニック、昨日指定された8時半。がら空きで患者が10数人。17番診察室で、ミディエイター、若い医師が出てきた。担当のペインクリニック部長も昨日出た看護師も休み。
若い医師より、担当医の変更はしない。ブロック注射はしないと宣言。昨日の看護師はブロック注射をするって言ったが。8月17日10時半にカンファレンスの結果を伝えますと 腰痛が激しく、話す意欲続かず帰る
疑問 この都内B病院ペインクリニックで高周波熱凝固法をしたのは担当医だけか?
他の医師はしないのか?
もし他の医師もしたとしたらその結果はどうか?
他の先生で失敗はないのか?
レントゲン検査と血液検査に行く。面接の時に2018年4月24日のこの病院に最初に来た日にも血液検査とレントゲンを撮った。何故このときに患部の癒着を検査できなかったか?しなかったか?
上記検査終了後若い医師に質問 検査結果を前にして
血液検査で炎症はないという。レントゲン検査をみて前回2018年4月24日と今日とで変わりは見えないと。じゃあ、先生あなたの見立てで痛いのは原因は何かと聞く。彼答えず。
この若い医師に宿題 8月17日に答えて
①高周波熱凝固法で失敗した人はいるか?いたら、その人は今どうしているか?個人情報は出せないなんて渋ってないで、今後の治療のために教えて。
②なぜはじめてきたときに癒着はないと判断したのか?造影剤をなぜ使って調べなかったのか?
③高周波熱凝固法は月1回ペースでしてきたが、本当は4ヶ月に1回ではないか?その無理が現在の尻の割れ目付近の痛みを引き起こしているのでは?しかもこれまで担当してきたペインクリニック部長のいうことによれば、今痛いところは事故も起こったことのある難しい箇所だと。つまりそこに痛みを押し込んだのでは?

この都内B病院のメディエイターに質問
1年間にそちらに相談に来る人の人数は?
100人くらい 延べだと200人くらいと

2020年8月15日
家で高周波熱凝固法を調べる。
2020年8月17日
都内B病院ペインクリニックに行く。都内B病院ペインクリニック部長が相手
一昨日 8月14日若い先生との話では今日カンファレンスの話を聞けることになっていたが、最初に部長の口から出た言葉は「痛みはいつからですか」カンファレンスの結果を話すではなくいきなりこれなので、完全になめていると感じた。「今日はカンファレンスの結果を聞きに来たが、若い先生に出しておいた3つの宿題の答えを教えて」と言う。「え、3つの宿題?」と。間を開けて答えを待つが、腰の痛みの一般論を喋り出し、専門用語が連発された。いつまでも喋り続けるのでストップをかけ、こちらで3つの宿題をいう。「うちでは高周波熱凝固法で失敗した患者はいないと答え。続けて高周波熱凝固法のことを専門用語を入れて話し出す。部長は「高周波熱凝固法で腰はよくなってきたと言ってたじゃですか」と言った。こちらから宿題の2番目と関連して、何故2018年4月24日に初めてここへきたときに患部の癒着を疑わなかったかを聞く。癒着であったならば、ラッツカテーテルで癒着をはがしていけば今のようにお尻の割れ目近辺に痛みは残らなかったはずだと主張した。専門用語をまた言い始め、喋り続けるので、厚労省に電話をして聞いた話をする。手術後にそこが痛い場合には、まず1番そこの雑菌による化膿を疑う、2番目は患部の癒着を疑う。それ医者の基本ですと。相手を聞いたら医者ではなく看護師ですとの返事と。その話に対しては部長はまた専門用語を連ねて話し始める。
担当医の変更はできるか聞く 出来ないの答え
尻の割れ目近辺はわかってないと言っているが、ここを治療できる医者を紹介してと言うと
都外2つの病院を候補に挙げる。遠い、都内はと聞く。
都内C病院ペインクリニックを言ってきた。この3つを言ってきたが予備として都内G大学病院を希望。4つの病院の紹介状を週末までに郵送してもらうことになる。
専門用語で誤魔化し、厄介者を追い払えばいいという考え。