啓蟄の候、年季奉公は社会適合への矯正なり <現場開始のご挨拶>
「農業は 人生を賭ける 価値がある」
南岸低気圧の影響で
日本各地で春の雪が降り
生活維持に気苦労されてることと存じます。
身の回り、大過ございませんでしたか?
北海道 小柴ふあーむが
啓蟄のご挨拶を申し上げます。
こちら北海道も
2月暖気の揺り戻しで
月替わりの頃から寒波勝ちとなり
朝の気温も−10℃超
山は新雪でウッホホーイ!状態が
頻出しております。
畑の準備も始まってますが
一見少なそうな雪もじつは
堅く締まってるだけでありまして
つまり高比重なコンクリートと化しており
機械効率が上がらない雪となってます。
そんな中でも
代表ともども
現場の営業準備を始めて
今日も仲良くケンカしております。
現場作業たるもの
体はテンション上がってますので
気まで上がってしまうと始末が悪い。
従いまして
何事もできるだけ穏やかに淡々と
短い言葉で端的に完結する。
これに限ります。
感情を表してはなりません。
が、しかし
的確な指示とは
一瞬を逃さぬスナイパーが如く
スパッと出すものであり
それはしばしば危険作業への警告とか
安全衛生上の重要指摘とかもあり
時間的猶予のない時は
相応の厳しさを伴います。
このバランスが
高難易度のコミュニケーション術であり
現場経験者ならではのテクニックが
発揮される場面でもあります。
それが時として上手く機能しない時
特にシーズンイン当初など
互いのテンポが合わずに
齟齬をきたす。
ライブでいうリハーサルとか
サウンドチェック状態の時期は
どうしても場が荒れること
ままあります。
それはそれとして
互いに自戒と自省の反復により
間合いを修正していって
「ユナイテッド小柴」 としての総合力を
遺憾なく発揮するに至るわけであります。
今年も始まっております。
北海道 小柴ふあーむ!
お客様へのご案内も準備中です。
4月1日にお届けできるよう
支度しておりますので
どうぞお楽しみに!
今年は
経営的に少し損失を伴いながらも
来年以降への新展開の仕込みを
より強調しようと考えてます。
おそらくそれらは
あえて公表することもなく
目につくこともないでしょう。
しかし奏功した暁には
お客様のご満足が間違いなく
向上する方となってます。
その仕込みに伴う
経費増、投資増
そして損失増
甘んじて受け止める経営に
振る覚悟です。
いくばくかのお客様には
その作戦途上のご協力を
お願いするやもしれません。
その節はどうぞご理解を賜れますよう
宜しくお願い申し上げます。
さて今回の話題ですが
先週、公立高校の卒業式が
道内で執り行われましたが
その有様について。
私たちが親的に
一番印象に残ってる式は
高校でしょうか。
もともと手放してはいたものの
いよいよ手離れの時だなって
覚悟する感じが実態を伴って
迫ってきた記憶がございます。
そんな中で
卒業式のスタイルについて
自由と◯カを取り違えた事例も
散見されましたね。
いわゆる進学校系
いわゆる制服廃止系の学校で
ハチ切れた?
逸脱した?
履き違えた?
頭の良さを発揮するのは
そこじゃないだろ!
というような服装と振る舞いが
自由と自立と解放の象徴として
持て囃されておりますね。
アレ、嫌なんですよね
わたし的には。
自由の粗製濫造
早とちり と感じまして。
セレモニーはセレモニー。
自分の解放の前に
周囲への礼節を示す場だと
考える者であります。
己一人の自尊心とか
自己顕示とかは
二の次なわけです。
そういうことは
他所でやれ!
周囲を巻き込むな!
他人の時間まで価値下げるな!
であります。
アニメの格好して登壇とか
壇上で叫ぶとか
校長と肩組んで記念撮影とか
それ、自由とか開放への
冒涜と思いますよ。
頭良いふりして
履き違えんで欲しいですわ。
私の世代は
校則開放がブームとなった時期の
高校生でありました。
制服廃止もその一環でしたが
当時の生徒会と学校との協議において
とっても大切に扱われた約束事があったんです。
私たちを過剰に縛るな。
その代わり
自分たちは自分たちで律するから。
自由と解放の定義を
権利と義務の両立によって
確認しあったんですね。
それがあっての
制服自由化であったんです。
その経緯は
新入生への生徒集会でも
先輩からきちんと説諭されて
「得られた権利を冒涜するな」
ということをキツく仕込まれました。
権利には義務が伴うこと
自由には犠牲が伴うこと
私たちは大切なことを
実体験を以って学習できた世代
だったんです。
それゆえに
今の卒業式など見ると
あの頭の良さはもう消え去ったか
偏差値お化けになってるだけか
選民意識の成れの果てか
と憂鬱になるのであります。
いま国会で
類似の現象を散見するにつけ
進学校でのセレモニー冒涜の許容が
世の中を壊す下地になってるよなぁと
思う次第です。
偏差値マウントの
歪んだ発露にも思えるんですよね
保護者たちの能天気さを見ても。
あくまで私個人の所感ですが
制服には制服の良さがある。
しきたりにはし來の意味がある。
己の自由発露は
隣人の自由を奪うリスクを伴う。
まずそれを咀嚼してからの
自我確立かな?と思います。
自由の使い手は
それ相応の訓練を受けておかないと
いけません。
目立ちたいのなら
一人でやれ。
誰もいない所でやれ。
その意味が分からないのなら
やめれ。
私たち一人ひとりが
使い手としての素養を持つのか
常に自己点検、自己監視を続けて
いつも己と向き合わねばいけない
と思います。
今年の生産現場
と営業活動
作物やお客様
そして社会と向き合いながら
自己研鑽に努め続けてまいります。
冬の年季奉公も
夫婦して20シーズンを終えました。
もう今さら
そんなに働かなくてもいいんじゃない?
そういう考えがあることも
存じておりますけど
冬の年季奉公は
おカネの為だけではないもので。
自分の畑だけとか
仲良しだけの集まりだけとか
威張りやすい相手だけとか
とかく農業は
内に籠りやすい職業です。
それは良い面でもあり
悪い面でもあります。
夏と冬とで
棲む世界を交互に代えて
世間からの客観的評価を
直接受けること。
特に
ダイレクトに否定される対象として
傷つきを恐れず飛び込むこと。
クレームの対象となり
自分の有様を批判してもらう
勇気を持ち続けること。
そして
よもすれば唯我独尊となり
詭弁と偽善と虚偽と自慰で
正義漢面する自分を
コテンパンに叩きのめしてもらい
強制的な修正、矯正作業を
厭わぬ勇気を忘れまじ。
と考えております。
農業の悪い方の面をキャンセルし
社会不適合者の言い訳商売
と言われぬようにすべし。
お客様の感覚を
共有できる農業者たるべし。
それを忘れぬために
冬の年季奉公は
体が持つ限り大切にしたい
と考えてます。
今年も
大なり小なり
厳しい3ヶ月でしたけど
夫婦ともに
世間の風に当たって
身を引き締めさせてもらえました。
その成果は夏に
存分に発揮させていただきます。
啓蟄
北海道ニセコでは
虫らはまだまだ雪の下でありますが
それでも
雪を剥がしてみると
草は緑を維持して
虫もモゾモゾしています。
春、目の前
高まる黄道に
胸をワクワクさせながら
雪焼けの顔を綻ばせる私たちです。
それでは
またお会いしましょう!
どちら様も
季節の変わり目
花粉症対策に抜かりなく
北海道 小柴ふあーむ
代表 和美
その夫 孝志
フェイスブックページ 「~勇気ある生き様~ 北海道 小柴ふあーむ」