大寒の候、山と雪と 太陽と鉄路と <生けるものよ美しくあれ> | 「農業は 人生を賭ける 価値がある」

大寒の候、山と雪と 太陽と鉄路と <生けるものよ美しくあれ>

 

「農業は 人生を賭ける 価値がある」

 

年が明けて

早や暦時計は二つ刻み

午前2時を指しました。

 

大寒の暦に合わせて

冬将軍は本気の寒さを

見せつけ始めてます。

 

お元気でしたか?

Mrs.&Mr. 小柴 は

今日も元気に働いております。

 

 

 

 

 

 

 

クリスマスからの

年末年始の高揚感が

光速の人工衛星が通過するが如く

瞬く間に彼方へ遠のいていきます。

 

こちら冬の現場も

冬のレジャーシーズンへと様変わりして

個人から団体さんまで

隙間を埋めるように

押しかけてきております。

 

コロナ禍の閑散としてた

ここ数年とは

まるで夢のような隔絶さ

 

集団免疫力の獲得に臨んだ

勇気ある人々の行動が

今こうして

結果をもたらしております。

 

 

 

 

 

 

 

1月21日

北海道では温暖な

こちらニセコ地方でも

-18℃を記録して

この冬一番の凍れとなりました。

 

道内各所を見れば

・・・

江丹別 -29℃

幌加内 -29℃

朱鞠内 -28℃

和寒 -27℃

士別 -27℃

富良野 -26℃

etc. ・・・

 

道北・上川地方が

本領を遺憾なく発揮しておりました。

 

もちろん

最近、幌加内母子里に取って代わり

最低気温の名を欲しいままにしている

道東・十勝地方や

流氷が接近中の網走地方でも

-30℃弱を競っていた

大寒明けの21日でありました。

 

 

 

 

 

 

 

昭和30〜40年代ですと

−18℃で始業1時間遅れ

-24℃なら臨時休校と

なりましたね。

 

木造校舎の教室が

石炭ストーブで暖まらないし

通学の負担も避ける意味で

取られていた措置だったのでしょう。

 

早朝から

火種を持って全校を回る

用務員さんの働きを

子供の頃は理解できませんでしたが

大人になった今なら

心の底からの感謝と労いを以って

受け止められます。

 

 

 

 

 

 

 

北海道のこの時期

1週間のうち

太陽が見れるのは1〜2日くらい

 

あとはずっと

曇りか、雪か、吹雪か

 

曇りの時はまだ明るいんですが

雪の時などその濃さで真っ暗になるし

吹雪の時など目も開けられぬホワイトアウト

 

顔には雪が張り付いて

モルタルを塗った壁のようになって

まつ毛は白く樹氷が如く

この時期ならではの

身が引き締まる気持ちよさ?を

体験できるんであります。

 

 

 

 

 

 

 

北海道は鎌倉時代から

和人が各所に定住して

領土として維持管理してきたそうですが

当時の素材や材料

技術などによって

この厳寒の地で警備に身を投じた

武士たちの凄まじさ

 

全く恐ろしい使命感であると思います。

 

それがあったればこその

今の北海道

先人の献身に敬意を払わずに

いられませんね。

 

 

 

 

 

 

 

いま

北海道の交通体系が

何度目かの変革を迎えようとしています。

 

明治の開拓初期に

手宮線に続いて

真っ先に敷設された函館本線が

間もなく廃止となります。

 

またそれ以外でも

主要幹線のいくつかが

廃止検討されており

 

そのいずれもが

開拓を進め支えた

歴史遺産でもあります。

 

時代が

成長から熟成に移行してしまった

現代としては

抗えない流れがそこにあり

地域に住む者としても

維持の困難さを当事者として知る故に

残念ながら受け止めざるを得ない

と思います。

 

 

 

 

 

 

 

例えば本日(22日)

道南方面から雪が激化していて

JR函館線は倶知安から南側で

部分運休

 

ニセコ地域はその範囲に入り

今日は終日、汽車が走りません。

 

いや昔なら

悪天の時こそ汽車に限る!

と言われたものですが

 

果敢に運行すると避けられない

吹き溜まりによる擱座、脱線など

不具合が起きる度に

ここぞとばかりに騒ぎ立てる

メディアの責任追及により

最近は、計画運休が常態化し

道路よりも先にギブしてしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和の中期は

交通手段が鉄道しかなく

個人の持つ移動手段といえば

徒歩か馬橇

 

そんな時代に

ひたすら使命感を帯びて奮闘した

鉄道マンたちの仕事ぶりを

都市の暖かい部屋で

鉛筆舐め舐め悪口書いて

ヤジを飛ばしていたメディアが

いたわけで。

 

道路が整備され

クルマが進化するに従い

鉄道経営は弱体化し始めて

それに追い打ちをかけるように

ヤジを飛ばす業界が

鞭を打ち込んできたと。

 

その結果の計画運休

とも

私の目には映るんですけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

JRは

輸送量が減るにも関わらず

設備投資はますます増え

物価上昇率を上回る機材の高価格化で

経営環境が厳しくなる一方

 

しかも

人員も減っているから

マンパワー勝負の保線が

天候変化に間に合わないのも

頷けます。

 

それでもなお

鉛筆舐め舐めどころか

パソコン画面で悪口書きまくる

メディアの攻撃は手を緩めず

ひとたび何かあれば

その存在全てを否定するようなことを

平気で流布・喧伝しております。

 

 

 

 

 

 

 

 

メディアによる無責任で異常な

後出しジャンケンの責任追及によって

経営が萎縮している結果

一つ一つの判断や行動が

鈍っていく。

 

それは運行を不安定にしてゆき

利便性は下がっていき

鉄道不要論を定着させて

ますます収益を悪化させる。

 

いっぽうで

地域の線路を守れ!

住民不在の意思決定!

とかなんとか

騒ぐのもまた同じ口。

 

何を言ってますの?

であります。

 

 

 

 

 

 

 

地方の線路を引き剥がすように

一番作用しているのは

実は「住民を守れ!」とぶち上げる

メディアの口先かと思われます。

 

しかもそれは

自ら直接手を下さず

大衆を裏から操作してやらせて

己だけは涼しい顔して

建前論を恥ずかしげもなく

叫び続ける。

 

地方に暮らしていると

メディアの悪意を伴う商業主義?というか

何かの企図を持つ煽動行為?というか

いわゆる

辻褄の合わぬ無責任な破壊活動が

実生活として体感できるのです。

 

アンタらは一体

誰の味方なの?

どうしたいの?

人の不幸がそんなに面白いか?

 

率直にそう思うんですよね。

 

 

 

 

 

 

 

翻ってみますに

私たちは

「国民」の意識を抹殺されて

「市民」を名乗る集団から

「大衆」扱いされていることに

気がつきます。

 

つまり

「市民」の目的達成のために

奴隷化されてる「大衆」

という構図を察知してしまうのです。

 

地方の線路だって然り。

 

一つの口から

「地域を守れ!」と「公共投資は無駄使い!」が

同時に発せられますもんね。

 

何かある度に

煽動する対象として

「大衆」化されてるんじゃなかろうか?

 

そう思えるのでありますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

公共投資を削り

地方企業を弱体化させて

そのもたらす結果は

災害時に示されてるのに

 

未だに

一種の破壊活動は増長を止めません。

 

線路が無くなると

駅を中心とした

この灯りが消えてしまいます。

 

明治の開拓期に人力で敷設した

この鉄路から駅から

人と物が浸透して

原生林を生産力に変えてきました。

 

それを

一番守りたい人たちが地元民なら

守れないのを一番知っているのも

地元民であります。

 

鉄路の死期を悟る

地元の人たちの

苦しさと悲しさ

 

そこにはちょっと

手を触れないで欲しいんですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

その苦しみ・悲しみを

己が活動のために弄ぶ輩には

一切の共感を得ないのであります。

 

今年はやけに運休が多いな

と感じながら

でも仕方ないよね、と

納得させる地元の人たち。

 

札幌の空調が効いたビルの中から

この空気を感じることが

果たしてできるのだろうか?

 

大寒の候

本気を出す冬将軍を前にして

線路を眺めながら

山や雪や太陽を眺めながら

土地の歴史を見直している

私たちであります。

 

 

 

 

 

 

 

C62重連で

4200psの急行「ニセコ」が

昭和46年まで走っておりました。

 

今は3両編成ながら

2700psのキハ201が

毎朝爆音を轟かせて走っております。

 

動力の近代化で蒸機が消え

交通の近代化で鉄路が置き換わる。

 

新しい幹線

その名も「新幹線」が

どんな未来を運んでくれるのか

 

それを楽しみに

振り返ってばかりではない

地元民たち

 

悲喜交々

思考と感情の錯綜

 

ダーウィンの言葉でないけれど

進化したもの

適応できたものが

生き残る

 

人もまた

社会もまた

同じでありますね。

 

無責任なヤジ馬に惑わされず

今日を、この時を

淡々と見つめて生きて参りましょう。

 

 

 

 

 

 

 

さてそれでは

次回はもう立春ですよ!

 

冬も半分過ぎました。

あっという間であります。

 

どちら様も風邪など召されぬよう

どうかご自愛くださいませ。

 

春の到来

もう少しですからね

 

では!

 

 

 

 

 

北海道 小柴ふあーむ

 

代表 和美
その夫 孝志

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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