一家言もつことに、憧れてませんか? | 「農業は 人生を賭ける 価値がある」

一家言もつことに、憧れてませんか?

「農業は 人生を賭ける 価値がある」

 

 

 

どんな状況でも そうだと思います。

 

一家言、語りたがる人はいませんか?

 

そして一家言が出ちゃうと

 

シラケてお開きに なっちゃいませんか?

 

 

 

 

 

 

農業界

 

自営業者の集まりです。

 

 

皆さん、たくさんの艱難辛苦を乗り越えて

 

いまに至っている 猛者たちです。

 

 

当然、背中に背負うものは大きく

 

焼けた肌と深いしわに記憶された年月は

 

他人が立ち入れるようなものではありません。

 

 

みなさん、たくさん悔しい思いをし

 

泣いたり 叫んだりして

 

いまに至っています。

 

 

 

 

 

 

 

ゆえに

 

口から発する言葉には

 

経験に裏付けられた重みが

 

それぞれあって

 

他者を寄せ付けない硬度を

 

感じさせるんです。

 

 

それだけのこと、して来てますからね。

 

 

 

 

 

 

しかし、なのです。

 

その一家言もつ姿勢が

 

農業界を衰退へ追いやる

 

一要因になってるのです。

 

 

ある集まりで、あるカウンシルで

 

農家のオヤジたちが集まって話すと

 

一家言のぶつけ合いになっちゃうんです。

 

 

 

 

 

 

企業勤めしてない自営業の旦那もそう。

 

接客なんて意識は全然なくて

 

一家言を客にぶつけて悦に入る

 

そんなお店がそこらじゅうにあるんです。

 

 

 

 

 

一家言を持つこと

 

それは否定しませんよ。

 

ただ一家言しか持ってないと

 

世の中の動きや人の意見が

 

全然聞こえてこない身体になっちゃいます。

 

 

「それって、そういうもんだべさ!」

 

「いや、そこまでしてやりたくないんだわ!」

 

 

たぶんご自身の一家言が

 

壊されることを恐れているかのように

 

さぁ、ここからが会話だよ!という時に

 

ケツまくって逃げるようなことを

 

言っちゃうんですね。

 

 

で、相手を黙らせたいがための

 

一家言が持ち出されるという。

 

 

 

 

 

 

 

SNSのグループなどでも

 

農家の人らは会話や意見交換が

 

出来てないことがほとんど。

 

 

決め付けのぶつけ合いでしか

 

ありません。

 

 

自分が一言吐く時

 

相手がそれにどんなリプライを返してくるか

 

想像しながら会話は進みませんか?

 

 

想像力の無い言葉のぶつけ合いは

 

感情の吐露にしかなっていなくて

 

「私は私だから!」

 

と公共の場で言ってしまう幼さとも相まって

 

なかなか自己成長のチャンスを掴めませんよね。

 

 

 

 

一家言を持つ大人に憧れる気持ち

 

分かりますけども

 

憧れは少年少女の内で終わりましょう。

 

 

本当の大人とは

 

人の話、人の意見、人の気持ちを察し

 

折り合いを探る手間を惜しまない人

 

私はそう思います。

 

 

 

 

以上、新米の生意気でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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