七月御盆と八月七夕、お弔いは落ち着いて | 「農業は 人生を賭ける 価値がある」

七月御盆と八月七夕、お弔いは落ち着いて

「農業は 人生を賭ける 価値がある」


七月七日

七夕さんですね。


しかし、こちら北海道は

旧暦の八月七夕が主流です。


内地で勤めていた頃

よくからかわれていました。


あ~、北海道は日本じゃないからねぇ~

ってなかんじで。


大きなお世話でありますw







八月七夕

これは旧暦に則っているのですね。


そう考えれば

北海道の方が伝統を重んじてるわけで

なにも指を指される謂われは

ないのであります。


しかも、八月七夕は

北海道のみに非ず。


九州や信越、東北などでも

八月七夕の風習は

きちんとありますですよ。







ひるがえって

お盆の法要。


これはどうも

七月御盆のほうが

しっくりくる感じですね。


いまの御時世

八月御盆は 帰省の位置づけ。


法要どころではございません。


七月御盆でみんな一斉に法要することで

お参りに行く方も 迎える方も

非常に段取り良く つつがなく

お弔いを済ませられます。


七月御盆は、お弔い

八月御盆は、大型連休


実際にこの形態をとってる地域が

大勢を占めてるようですが

それも納得いたします。






北海道のお弔い感覚

ちょっと違和感ありまして

お葬式とかはお祭り気分で

おだつ人が多いんです。


かなり、勘違いしています。


完全に思考停止していまして

互いの理不尽を押し付け合う状態で

お葬式は大体揉め事の始まりで

それをきっかけに

親族が解体するのも

よくあることです。





内地で暮らしてみて

お弔いの本来の在り方を

勉強できました。


それを体験してから

私たちは自信を持って

自分達のお弔い姿勢を

示せています。


簡単なことです。

お弔いは誰のためにやるのか?


たったそれだけのことです。


旧態然として互いを束縛し合い

結果として絶縁するきっかけになるお弔いは

故人抜きで我欲が横溢する

この世の煩悩の塊ですね。





静岡で17年、暮らしました。

亡き母の七回忌を

現地で執り行いましたが

完全に浮いてましたねw


父が色々手配してたんですが

関係者の戸惑いが手に取るように分かり

間に立って交通整理することが

しばしばありました。


北海道を中心に集まった親族も

キョトンとする場面がいくつかあり

北海道の特異性と 閉鎖性を

あらためて認識する機会となりました。





お弔い


静岡のお弔いは

一見さっぱりしていますが

実際は本当に思いやりのある

優しいお弔いだと思います。


長年の歴史と経験を踏まえて

必要なことと そうでないことを

勇気を持って整理してきた結果

だと思います。


お弔いは

見かけじゃありませんね。


その席で

誰が どんな話をして

時間を過ごしているか。


それが大切なことだと思います。


ただ集まることが目的化し

喪服持ってうろうろして

写真撮ったり バカ話したり

形式で注文付けたり 欲を出したり


少し考えた方がよろしい

北海道のお弔い風習です。








母の七回忌を取り仕切った父も

今年は新盆の身となりました。


さて、本来あるべき姿で

父のお弔いを取り仕切りますか。


固定観念でガッチガチだった 父

草葉の陰でブツブツ言ってるかもしれませんね。

















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