先月号で書きました「ヒヨドリの話」の続編。
境内にある観音竹をねぐらにしているヒヨドリ。夜、玄関の照明に照らされ、丸くなった寝姿をかわいく思っていたのですが、境内の親鸞聖人像にフンをするという事件が起こってからは私の態度が変わりました。これは、けしからんということで、そのヒヨドリがねぐらにしていた観音竹の茂みのうち、足場にしていた葉柄を切ったのでした。
するとその日、ヒヨドリはやってきませんでした。少し寂しい気持ちに……。
しかし次の日には、別の葉柄に止まっていました。戻ってきてくれたのかと少し愛らしく思い、夜になって玄関の扉を開けたのですが、他の葉が目隠しになり以前のようにその姿が浮かび上がることはありませんでした。
そこで翌日、止まっていた葉柄はそのままで、周辺の葉を切ったところ、夜にはまたよく見えるようになりました。
しかし数日後には別の観音竹の茂みに移っていたのです。そこもよく見えなかったので、同じように周りを切り落としました。
ヒヨドリにしてみれば、ねぐらが見つかったと思えば、周りの葉を切られてるという迷惑なことをされ、ついには、うちではない別の場所をねぐらにしたのでした。
私自身、ヒヨドリをお寺から追い払いたいのか、もしくはずっと眺めていたいのか、心がまったく定まっていません。
不格好に切られた観音竹と、きれいな親鸞聖人像が、そんな私の心を語らずとも示していたのでした。