真宗法語法話(103)良いことを 言う「口」 内容が 伴わない「身」 | おじゅっさんのおはなし

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~高照寺住職の真宗法話~


良いことを 言う「口」
内容が 伴わない「身」


4月3日、佛光寺本廟で宗祖親鸞聖人七五〇回大遠忌法要が厳修されました。一連の大遠忌法要の締めくくりとなる法要なので、私も身の引き締まる思いで出勤させていただきました。


当日は朝から雨模様。午後からの法要は、お勤め直後から雨脚が激しさを増してきました。そしてしばらくすると大雨に。しかも雷がとどろき、強風が吹き荒れ・・・。嵐そのものです。


お堂の中なので雨が降っても大丈夫だと思っていたのですが、大間違いでした。たまたま本堂外陣の一番はしっこに座っていたので、吹き込んだ雨のしぶきで濡れるわ、強風で経本が飛ばされるわ。でもお参りの途中なので逃げるわけにもいきません。


何よりも心配だったのが私の斜め前に立っていた大型のスピーカー。三脚の上には重たそうな本体が。これが倒れてくるとケガだけでは済まないだろうなと思いながら、三脚が強風で揺れていないかじろじろと眺めていたのでした。


嵐もピークが過ぎ、スピーカーも倒れることなく、何とか無事に法要は終了しました。


しかし、これって無事終了したことになるのか、という疑問が湧き出てきました。法要の最中であっても、こころの中は空模様と同じく吹き乱れていたのですから。


「大遠忌の締めくくり」「身の引き締まる思い」と口先では偉そうなことをいってはいても、まったく身がともなっていなかった私。


しかし、そんな私の有り様が、法要を通してあぶり出されたこと自体が、大遠忌法要の意義であったのではないかと感じた春の嵐の一日でした。