端午 | 越木岩神社ブログ

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兵庫県西宮市にある「越木岩神社」の日々をブログでお伝えします。

今日は『端午の節句』、『こどもの日』、『立夏』ですね!!



「由来」は?

端午の節句は、奈良時代から続く古い行事で、端午というのは、もとは月の端(はじめ)の午(うま)の日という意味で、5月に限ったものではありませんでした。しかし、午()と五()の音が同じなので、毎月5日を指すようになり、やがて55日のことになったとも伝えられます。



そのころの日本では季節の変わり目である端午の日に、病気や災厄をさけるための行事がおこなわれていました。古く中国では、この日に薬草摘みをしたり、蘭を入れた湯を浴びたり、菖蒲を浸した酒を飲んだりという風習があったことから、日本の宮廷でもさまざまな行事が催されました。厄よけの菖蒲をかざり、皇族や臣下の人たちには蓬(よもぎ)などの薬草を配り、また病気や災いをもたらすとされる悪鬼を退治する意味で、馬から弓を射る儀式もおこなわれたようです。



時代の変遷のなかで、薬草を摘んで邪気をはらうという端午の行事が、男の子の誕生の祝いへと結びついていったと考えられます。やがてこの風習は武士だけでなく、広く一般の人々にまで広まっていきます。はじめは、玄関前に幟や吹き流しを立てていたものが、やがて厚紙で作った兜や人形、また紙や布に書いた武者絵なども飾るようになっていったのです。さらに江戸時代の中期には、武家の幟に対抗して、町人の間では鯉のぼりが飾られるようになりました。



現在でも、端午の節句のお飾りは地方によってさまざまです。鎧や兜、武者人形、馬や虎・若武者の人形、鯉のぼりや旗のデザインもそれぞれの個性があるものです。


 

chimaki☆☆ちまきchimaki☆☆」って?

端午の節句の食べ物としては、柏餅やちまきを思い浮かべます。

私も昨日買わせて頂きましたにこ



これらは、日本で最も古いお菓子の形をのこしたものといわれています。なかでも、端午の節句のちまきにはこんな伝説があるのです。



中国は戦国時代、紀元前278年のことです。楚の国の高名な詩人、屈原は国王の側近としてつかえ、人々からも慕われていました。しかし陰謀のため国を追われることになった屈原は、ついに汨羅(べきら)という川に身を投げてしまったのです。その日が55日。屈原の死を悲しんだ人々は、たくさんのちまきを川に投げ入れて弔いました。


風習の起源については諸説ありますが、この物語が端午の節句にちまきを作って食べるという風習の起源だと言われています。