相撲と神社 | 越木岩神社ブログ

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兵庫県西宮市にある「越木岩神社」の日々をブログでお伝えします。

(あくまでも私見です)

基本的には、「相撲は神事」です。
何故か??

相撲は、土俵の上で力士が組合って戦う形を取る日本古来の神事です。


それが、同時に武芸として武道として認められ、また古くから祝儀を得るための興行として、大相撲が行われるようになりました。
現代の日本においては、スポーツの興行として大相撲があるのだと理解しています。実際に興行主がおり、見世物としての観戦料がかかっており、運営されています。


私個人としては、大相撲の大前提は興行であり、神事としての相撲を元とするので、神事に基づく礼儀作法が残っているのだと考えています。



相撲は、元々は日本固有の神道に基づいた神事であり、日本国内各地で「祭り」として奉納相撲が行われています。
当社でも秋祭の奉納相撲大会・泣き相撲が行われています。
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神事である由縁は、古事記に記されている国譲りの際、高天原最強の武神タケミカヅチと出雲最強の軍神タケミナカタとの力比べ、これが相撲の発祥だと言われているからです。


お祭りの際には、天下泰平・五穀豊穣などを願い行います。地域によると、稲の霊と相撲し霊が勝つと豊作となるため常に負けるものなどもあります。場合によっては、不作、不漁のおそれがある土地の力士に対しては、あえて勝ちを譲ることもあります。
また、土中の邪気を払う意味の儀礼である四股が重視され、神事相撲の多くではこの所作が重要視されています。
また、力士の土俵入りの際に柏手をうち、横綱が注連縄を巻いたり、土俵祭という本場所の前日に立行司が祭主となって行なう祭事がありますが、介添えの行司が清祓の祝詞をあげた後、祭主が神事を行い、方屋開口を軍配団扇を手にして言上します。


最近横綱相撲という言葉をよく聞きましたが、これもタケミカヅチとタケミナカタの力比べによるところなのでしょう。
タケミカヅチはタケミナカタを正面から受け止めます。タケミカヅチの桁違いの力に押され、タケミナカタはタケミカヅチの力を悟り許しを乞うことになります。横綱がテクニックや力だけで跳ね飛ばしたとしたなら、相手に遺恨が残るでしょうが、相手の力を受け止め、力を認めた上で、勝負をつける。負けた者は力の差を認め、頭を下げる。礼に始まり礼に終わるのです。
これが神様の相撲であり、横綱相撲なのでしょう。


大相撲は??
勝敗だけを競うものならばそれはもはやスポーツであり、祝儀や番付だけを気にするなら興行なのでしょう。


神社を中心とした日本古来の宗教で慣習のもとになるものを神道と言います。


日本では「道」を極めるものが多くあります。
華道、茶道、柔道、剣道、書道、武士道


例えば、茶道はお茶を美味しく点てるだけではなく、所作を美しく無駄なく、相手のことを考えてお茶をたてます。それは目に見えぬ神様のような振る舞いで、そして神様をおもてなしするように、神様に捧げるような気持ちで行うのです。
武士道や柔道などでも、ただ体が大きいとか、力が強いとか、動きが早いとか力任せで勝負に勝てばいいわけではなく、相手を慮り(考えて)、礼儀作法を重んじます。


私見では、大相撲は興行だと思います。相撲協会もマスメディアも、しっかりと考えや慣習、神事である部分を整理した方がいいのではないかと思います。女力士・女相撲とか、興行主の女性が土俵の上で挨拶をしたという話がありますが、興行であったからでしょう。スポーツであれば男女隔てることなく行えばいいでしょう。
神事であれば、どこを神事として大切にするのか。例えば伊勢の神宮で式年遷宮がありますが、御神体は神宮神職でも見たことがないと言います。神職でも出来ないことがあります。巫女は男性は出来ない大切な役割です。


相撲と大相撲、興行・スポーツ・神事なのか、何を大切にするのかを今一度相撲協会には考えていただきたいですし、私たちも考えないといけないのではないでしょうか。


ちなみに、当社の相撲大会や泣き相撲は男女関係なく参加いただいております