平和問答編3「巣立ちの時」

やり残したことはないだろうか?
マルク・ナタリー・ソレルの三人が僕の前で披露してくれた論説を胸の奥にしまう。

「先生はオレたちに伝えたいこととかねぇのか?」

相も変わらずぞんざいな態度で接してくるマルクは僕に最後の授業を要求した。

「旅立ちの祝辞といえば聞こえはいいですが、僕たちだけに持論を語らせクルーデル先生は充実感と優越感に浸る。本当にそれで教育者としての職責を果たしたと言えるのでしょうか?」

背後から頭を殴られたような気分だ。ソレルの言葉で感動のフィナーレが台無しだ。

「私も最後の授業を聞きたい。クルーデル先生が考える『平和』にみんな興味があるはずだから」

ナタリーにせがまれたら首を横には振れない。しょうがない。最後の授業を始めるとするか。

「まず前置きを話しておかなければならない。マルクとナタリーは知っていると思うが、『戦争』に関する説明をした時だ」

「ハッキリと覚えてるぜ。確かええと……『天秤』と『磁石』だったよな?」

「国の経済力と軍事力の関係で教えてもらったから、私はちゃんと理解してるよ」

マルクとナタリーは覚えてくれていたようだ。そのあと二人が逃げたことも僕の脳裏に焼きついている。

「僕は諸事情があって出席できませんでしたが、安全保障と勢力均衡を中心に熱弁を振るっていたとガレス王子から伺いました」

そういえばいたなミグレッタと一緒に。
あぁ……苦い思い出ばかり湧いてくる。

「勢力均衡は国力のバランスが保たれていれば外交関係に適度な緊張感が生まれ、武力による問題解決を図ることが少なくなるという考え方だ。武力を用いらなければ『戦争』を引き起こす確率を下げられ『平和』な時間が継続する。だとしても『戦争』になる確率がゼロになるわけでない。現実問題として軍事力の存在そのものを否定することが不可能な以上、国家間の力関係には細心の注意を払わなければならない……なんて今更説明しても仕方ないか」

三人は静寂を作り出し、僕の言葉を待っている。

「前置きはこれぐらいにして本題に入るとしよう。僕が考える『平和』は――『卵』だ。鳥の『卵』と仮定して話をしよう」

マルクと目が合った。すると急に立ち上がる。

「先生はオーバーグレーツステーキに何をかける?」

「ステーキ?溶かしたチーズを砂糖と絡めソース状にしたものをステーキの上にかけてバジルを乗せるのがメガラ人のソウルフードだろ。そんなことが今関係あるのか?」

「違うんだなぁ。ステーキに塩コショウをかけて卵で覆うようにこんがり焼くのがメガラ人の最新の流行なんだぜ。先生にも知らないことってあるんだな!」

得意気に語るマルクにナタリーとソレルが冷たい視線を浴びせる。

「『卵』は『蛹』と同様に自分の意思ではどうすることもできず、誰かの手を借りなければ孵化することも叶わない。それは『平和』にも言えることなんだ」

「『卵』は親が常に寄り添い温め続けることで孵化します。同時に捕食者から『卵』を守るための矛にも盾にもなりますね」

「『蛹』は敵からの攻撃を受けたりしなければ自然と羽化するけど、親に見捨てられた『卵』は雛鳥になれないってことだよね?」

「だが『卵』を孵すには必ずしも親鳥である必要はない」

「親鳥である必要はない?まさかクルーデル先生は人の手で返しても問題ないと仰るのですか?」

「ソレル君も私と同じ疑問を抱いていたみたい。親鳥の力を借りないとなると、温度の管理とか孵化させるための環境を整えることの方がとても大変そうな気がするけど……」

「『蛹』が『真の平和』になるための一つ前の状態なら『卵』もたま『仮の平和』と同義になる。もし人の手で『卵』を孵せたなら、真の意味で『平和』の境地にたどり着いたといっても過言じゃないんじゃないか?茨の道を歩き続けるぐらいの信念と野心がなければ成し遂げられない。全ての人々に平和をもたらすことって、それぐらい困難さを極めるものなんだ」

「人間の手で温める。それは誰か一人でも『卵』を蔑ろにすれば、雛鳥が空を仰ぎ見る瞬間は永久に訪れないことを意味します。そこに一つ疑問が浮かびます。『仮の平和』であっても『卵』の安全が保障されていれば、『平和』である事実は変わらないように思うのですが?」

「うーん、ソレル君の考えだと『卵』のままでも『平和』なんだから、それで満足できる人がいてもおかしくないってことだよね?」

「それこそ多種多様な考え方が物を言うんじゃないか?『仮の平和』であっても強力な軍隊が守ってくれるなら不満はない。強力な軍隊がいても近隣諸国と揉めてばかりじゃな安心して夜も眠れない。どっちが正しいか間違いかは僕たちには推し量れない領域だ。ただ『卵』と『雛鳥』にも共通して言えることがある。それが何かわかるか?マルクに聞いてるんだぞ」

「――ふぇっ!?オ、オレかよ!?」

うたた寝していたマルクは虚を衝かれ飛び起きる。

「そ、そうだなぁ。うーん、オレが鳥だったらでっかくてカッコいい親の元に産まれたいから、もし生まれ変わるなら鷹かな」

「良くわかってるじゃないか」

「どういうことですか?マルクの答えの中に正解があるというのですか?」

「ああ!私わかった!『卵』は親を選べないってことよね!『卵』を孵すのは親次第だから『仮の平和』か『真の平和』かは孵す者たちによって左右されちゃうってことだね」

「人の手で『卵』を孵すには長い月日、多大な労力と根気を要する。それは『平和』にも言えることだ。長い時間をかけ人の思いやり、優しさ、気遣いで『卵』を包み込む。そして『卵』が帰った時『雛鳥』は大空へと舞い上がり自由と安寧を謳歌する。その時こそが『真の平和』だと世界中の人々が実感する瞬間なんだと僕は思う」

最後の授業が終わり巣立ちの時がくる。
ソレルとマルクが一足先に教室を出るとナタリーが神妙な面持ちで相談事を持ち掛けてきた。

「クルーデル先生、私は先生みたいな優しくてどんな生徒にも対等に接してくれるそんな立派な教師になりたいの。だからもう一年、先生の授業受けてもいい?」

「気持ちは嬉しいけどそれはオススメできないな」

「どうして?」

ナタリーは少し悲しい表情をした。胸が締めつけられるが、教え子の未来に関わる。感情に流されるわけにはいかない。

「教師も人間だから良くも悪くも偏見や先入観で生徒を見極めようとする人もいる。でもその人たちの考え方や見ている世界に触れてきてほしいんだ」

「過激な発言をしたり差別的な態度をしたりする先生の話も聞かなきゃいけないの?私、クルーデル先生みたいな優しい先生じゃなきゃ授業なんか受けたくない」

「教育者の頭の中を垣間見るのも教師になるための訓練だと考えるしかない。大人になる前に人間社会の理不尽さを学校で体験できると思えば学校生活も悪くないと思えるんじゃないか?」

「私はマルクやソレル君みたいな強い人間じゃない。でも教師になったら色んな個性を持つ人たちを相手に授業をしなきゃいけないんだよね」

「僕は学校に行っても友達が少なくて楽しい思い出があまり作れなかった。育ての母が厳しくてテストの点数が悪いと外に遊びに行かせてもらえなかったんだよ。だから、ナタリーたちが凄く眩しくて羨ましくて輝いて見えたんだ。そんな教え子たちを持てて僕は幸せ者だ。ナタリーにもそんな幸せな時間を過ごしてもらいたい。辛いことや苦しいことがあったらいつでも相談に乗るから、色んな人、色んな考え、色んな景色を体験してみてほしい。ナタリーがマルクやソレルのような教え子を持った時、目にしたもの耳にしたものを『わかりやすく、正確に、想いを込めて』伝えてもらいたいんだ。ナタリーが想像する以上に世界は広いから」

ナタリーが教室から去ると再び静寂が戻った。一年はあっという間に過ぎていったが激動そのものだった。
次の一年はどうなるだろうか?
その前に僕は一ヶ月の休養に入る。故郷に帰って両親に思い出話を聞かせなくてはならない。ここ数ヶ月両親に手紙を書くのを忘れていたからだ。教え子の巣立ちを見送ったばかりで気が休まらないが親孝行も大事な務めだ。
さて、心にぽっかり空いた隙間を埋めるにはどうしたらいいか。
顔に教科書を乗せてしばし眠りにつくことにする。