2018.12.8に、
大阪でのゆっくりとした時間が生まれたので、
とにかく行ってみたかった万博公園へ!行った!!

すぐ近くは通ったことあるのに
いつも高速道路に乗りながら通りすぎて、逃していた。。。

今回ようやく、大阪の万博公園へ足を踏み入れ、
そしてとにかくブログが書きたくなった!!



平成7年生まれの僕にとっての「大阪万博」の情報源は、映画・ドラマ・漫画だけでしかなくて『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』『20世紀少年』などの"作品"を通してでしか知りませんでした。


イメージは
「すごいこと」「皆んなが懐かしく感じる」「太陽の塔」「岡本太郎」

こんな感じ。


来たる2025年の万博にも関心があったので、
そのことも念頭に置きながら、僕がイメージしていた

「すごいこと」「皆んなが懐かしく感じる」「太陽の塔」「岡本太郎」

を、肌で実感しに行きました。




行ってみた感想を
ひと言でいうと、
"凄み"を感じた。



1970年に、この地に約6400万人が来場し、熱狂したという事実と、

太陽の塔やパビリオンなどを眺めている時の、
教科書に載ってた歴史的建造物を目の前にして興奮するのと同じような、特別な感情。

そしてなんと言っても、高度経済成長期の日本に「月の石」が展示されて、日本人だけに留まらず世界の人々を集め、熱狂させたこと。


展示してある衣装も乗り物も建物も
現代の僕が見ても真新しく感じる物たちで溢れ、「近未来」と呼ぶのにふさわしい作りになっていました。

"凄み"で溢れていて
幸せな意味で頭がパンパン(笑)


さて、僕が万博公園に行ったことを絶対にブログに書きたいと思うに至るに、二つの感動がそうさせました。

1つ目は
万博が終わった後に掲げた目指す未来のカタチが、素敵だということ。

それは、「どんなに日本が発展・発達して行っても、この万博公園だけは緑や生き物で溢れる場所であり続ける」という100年後の22世紀に向けたコンセプトでした。
1970年開催当時、どこの地域よりも近代的で、多文化だったこの地域を、どこよりも緑溢れる地域にするなんて、素敵すぎる。と心動かされました。

2つ目は
1970年の25年前は、終戦の年である1945年であるということでした。

僕らの祖父祖母の代と、父母の代との間にある25年という歳月と、
2000年と今度やってくる2025年の、
僕らと、僕らの子の世代の間にある25という歳月には
非常に差があると感じました。

なんだかこの【25年】という数字に勝手に意味を感じてしまいますよね。

僕ら世代が思うオトナのイメージと、親の世代の思うオトナのイメージと違うんじゃないかなと。流行のジェネレーションギャップとか、、価値観の差とか、、、色々巡らせてます。


さて、
この日を境に、万博についてもっと知りたい!、深く知りたい!とアンテナを張る毎日です。
書きたいことが溢れて止まらないですが、現時点ではまだ説得力のある言葉を多く知らないので、
また書けるように勉強します。



yutakoseki...