プラハに列車移動をした翌日。
お昼過ぎに、プラハのメイン観光地「カレル橋〜プラハ城」の英語ツアーを申し込んでいたので、朝食を部屋で簡単に済ませた後、集合場所の確認も兼ねて旧市街広場を抜けてカレル橋までお散歩。
ホテルからカレル橋近辺へは徒歩で20分くらい。トラムに乗っても行けますが、初めての街を歩くことは、それ自体が旅の醍醐味かと。
ホテルから徒歩3分ほどで小さな公園の向こうにトラムの発着場所がありました。
滞在中におみやげを買いに「パラディウム」というショッピングモールに行く予定だったので、先にトラムの乗り場も確認できてよかったです。
早朝、といっても8時は過ぎているのですが、街はとても静かです。
とはいえ、聖ミクラーシュ教会が目に入ると、そこは有名な天文時計台のある旧市街広場。さすがに人の姿も増えてきました。
旧市街広場に到着です。
ゴシック建築のこの教会は、ティーン教会。
ヤン・フスとフス派の群像。
ヤン・フスはどのような人だったのか、調べてみました。本当にざっくりですが……。
ヤン・フスはカトリック教会の腐敗が目立ってきた時代に生まれたプロテスタント運動の先駆者です。私たちが歴史の教科書で学ぶ宗教改革者といえば、かの有名なルターですが、ヤン・フスはその約100年前に、異端者として火刑に処されました。
その後、彼の思想が民族的自覚と結びつき、民族の英雄となり、フス戦争の旗印になりました。
ハプスブルク家の強い意志でチェコがカトリック教国となった故にその名を忘れさられた時期もありましたが、没後500年を経てこの像が設置され、その後、冷戦終了後、カトリック教会からの事実上の名誉回復を成し遂げたと言われています。
その信念に満ちた清廉潔白な思想には尊敬の念しかありませんが、没後、自らの名が争いの旗印になったり、像ができたり、名誉が回復されたり、様々な思惑に翻弄されるとは彼自身は思いもしなかったかと。
そしてこれが有名な旧市庁舎の一角にある天文時計台。
制作されたのは、1410年。毎正時、使徒の行進と呼ばれている人形仕かけが動きます。
人形が動く前にはこの時計台の前には人が溢れます。
私には天文時計の見方は分かりませんが、美しいものですね。
ウィーンもそうでしたが、プラハも、アヒル人形のお店がいくつか見受けられました。
実は私もコレクションしているのですが、日本で手に入れたものとほぼ同じで、ウインドウショッピングにとどめました。
ツアーの集合場所はこのカレル4世の像の前。
確認して、カレル橋も渡ってみます。
カレル橋には現在30体の聖人像が置かれています。
橋からプラハ城を眺めます。
こちらのトイレは、レシート末尾の暗証番号が必要でした。
慌ててポケットに突っ込んでいたレシートを取り出しシワを伸ばしました。
プラハもトイレ事情は思っていたよりずっと良かったのですが、色々方式が違いました。
スタバはほぼこの暗証番号方式らしいです。