幸せって、人と比べるものじゃないんだな~って
この歳になって実感します。
あの人は、あんな家に住んでていいな~
あの人は、あの車に乗ってていいな~
あの人の旦那さん、優しそうでいいな~
あの人の子供、優等生でいいな~
あの人のバッグいいな~
あの人の服いいな~
…キリがない(笑)
でもね、本当にそれが欲しいのか?
って自問自答してみると、意外と心から望んでいるものではないことに気づく。
大きい家は掃除が大変そうだ… とか
車はカッコいいやつより、家族みんなで乗れて、荷物をたくさん積める今の方が実は好きだ… (そもそも車に興味がない) とか
優しいだけで優柔不断な男はイヤだ… とか
親や先生の言いなりより、多少やんちゃで手がかかっても、自分の意見をハッキリ言える方がいい… とか(笑)
で、もっと、掘り下げていくと
本当に望んでいるものは、
旦那とか、子供とか、家とか、車とかじゃないことにも気づく。
ないものに目をむけてると
目の前に 既にある幸せに気付かない
なんてこたぁない時間や空間に、幸せがゴロゴロあって。
何より、
幸せをつかむのは
他人の目を気にしないで
『私は私』って
自分軸で生きていける自由な心からなんだって
気づけたことが、一番幸せかも♪
そして、幸せ とか 優しさ とか 愛 とかって
自分が 自分に許可した分しか
受け取れないんだって、気づけたことが
幸せかも♪
そうそう、
どこぞでは「神様の目を気にしよう」なんて、言われてたけど(笑)
気にしねぇよ(笑)
神様も、実は
気にしねぇんだよ(笑)
自分を許すのは
他人でもなく、神様でもなくて、
自分だから。
私は幸せになっていい って
自分に許した分だけ 幸せが降ってくる。
いや、幸せは無限に降ってきてるんだけど
それを受け取る量は 自分で決めてるってことだな。
これが、自己肯定感の正体ですね。
何もなくても幸せになっていい。
いるだけで幸せになっていい。
無限にどこまでも、誰よりも幸せになっていい。
そんな価値を持って生まれてきた自分なんだ。
って信じ始めたら、全部ひっくり返っていく。
今までの人生の中で、何か知らんけど間違って
そんな価値のある自分だって忘れちゃったけど、
そんな素晴らしい自分だってことを否定されちゃって、
思わずそっちを信じちゃったけど、
いやいやいやいや、
本当は逆だったんや。(笑)
ってことを無理やりにでも信じたら、全部ひっくり返っていく。
信じた通りになっていく。
それは、イヤというほど味わってきたはずだから(笑)
今までと逆を信じよう♪
絶対信仰で(笑) ヘ(≧▽≦ヘ)♪