Mさんは約束どおり9時にホテルのロビーに来てくれた。
昔日本人のモスクワ生活を手助けしてくれた人である。
私が派遣された頃は商品が増え始めた時期で、まだまだ必需品を思い通り手に入れるのは困難だった。そんな時、一仕事10ドル程度の謝礼で、色々と助けてくれた。
当時既に年金生活者。
関東軍の将軍を尋問した時の通訳を勤めたとか。
私は彼がロシア革命の年に生まれたと勘違いして、90歳だと思っていたのだが、「大正14年生まれ。82歳」だった。
お孫さんのI君を連れてきている。
彼の健康状態や体調が心配だったので、これは有り難い。
ただし、I君、モスクワ大学の生物学の学生で、日本語には縁がない。
早速尋ねた。
「名前と住所がわかっている人の電話番号を調べられますか」
これは日本語。
MさんはI君にロシア語で質問する。
I君は私のメモを見て「やってみる」
I君、携帯電話で何か話している。
「今はわからない。その内わかるかもしれない」
『えっ、番号案内は無いの?』
『そうか、ロシアには104はなかったのか? あったような気がするんだけど・・・・』
メトロ パルチザンスカヤ
Mさんは車に乗らない。
昔から公共交通機関で日本人を支援してくれた。
だから、日本人がメトロに乗ったら珍しがられた頃から、私はしばしばメトロやトラレイブス(トロリーバス)に乗せてもらった。
日本人の間では、歩くのが速くてついていくのが大変だという噂だった。
だから、今日は、ゆっくりだが、公共交通機関で回ることにした。
イズマイロヴァ最寄りの駅はメトロ・イズマイロヴァのひとつセンター寄りのパルチザンスカヤである。
恐ろしい名前だ。
ここからセンターへでかける。
これがパルチザンスカヤ駅の入り口である。
取り敢えずグムから赤の広場を回りたい。
ということで着いた駅がプローシシャチ・レボリュッツィイ(革命広場)
どちらも恐ろしい名前だ。
通路の角角に革命兵士がいる。
パルチザンスカヤ駅は階段を昇り降りするが、モスクワの地下鉄ではむしろ珍しい。
ほとんどこのような長いエスカレーターを使う。
地下鉄を出て北側から赤の広場へ入ろうとする所、ジューコフ元帥の像である。
下に写っている人は単なる通行者。
ジューコフはノモンハン事変のソ連側の将軍である。
「日本軍の高射砲や戦闘機などばよく訓練されており、歩兵も接近戦に強く死を恐れなかった。しかしながら上級指揮官は発想が貧弱で、質が低劣・・・・」と述べている。
その後中央に呼び戻され、ヒトラーの侵攻に対する指揮をとる。
1945年ドイツ本土への侵攻の指揮を執りベルリンを占領。カイテル元帥から降伏文書を受け取り、そのままドイツ占領軍の最高司令官となった。
ジューコフ像を右に見る位置から赤の広場を見ている。
左にグム、右に歴史博物館、正面、対極にワシリー寺院が見える。
クレムリとレニン廟は右手に隠れている。
少し進んで、左手グムを見る。
もう少し進んで振り返った。
今入ってきた赤の広場の北側入り口である。
だから方向が入れ代わって左手が歴史博物館。
ここでMさんが土産物屋さんに誘う。
彼は外で待っていてI君だけがついて来る。
丁度良いからI君に囁いた。
「彼の健康はどう?」
「彼は健康だ」
「もし彼がしんどそうなら遠慮なく言ってくれ」
「私たちは良いから、彼だけ見ておいてくれ」
「わかった」






